06 ゆうやけた棘
乾いたノックの音のあと、部屋のドアが開けられるとそこには友香がいた。授業を終えてそのままやって来たらしく、制服姿だった友香を見たらなぜかなつかしく思えた。
静かにドアを閉めてこっちを向いたその顔からは、いつもの快活さは微塵も感じられなかった。無表情と括ってしまうのは憚れるような、たしかな冷気とも熱気とも取れる感情を心の内に秘めているのは、いくら病み上がりの仮病人の私にもわかった。
目をおたがいに合わせると、いくつもの言葉が込み上げてきて喉がおかしくなりそうになった。静寂のなか、しばし見つめ合う私たち。部屋の空気はエアコンもつけていないのに冷たかった。
放っておけば永遠につづきそうな沈黙を破ったのはお母さんだった。お母さんは二人分の飲み物とケーキを用意して意気揚々と部屋に戻ってきた。
「ほら、きたないけど適当に座って」
お母さんに促されて、ようやく友香は近くのクッションに座った。私もベッドから下り、同じようにクッションをたぐり寄せて抱いた。
友香が来たことがよほどうれしかったのか、お母さんは満面の笑みで部屋を出ていった。私たちのあいだになにがあったのか、お母さんは知らない。だから素直に友香がお見舞いに来てくれたことがうれしかったのだろう。なんの日でもないのに、用意よくケーキまであって。私にはお母さんが能天気に思え、恨めしくもあった。
なんで来たの。なんの連絡もしなかったのに。そんな批難の言葉が喉を刺激したけれど口には出さなかった。それを言ってしまえば、その言葉は私にそのまま返ってくるから。なんで来なかったの。なんの連絡もしないで。おたがいさまなのだ。
二人とも座ったので同じ目線になった。彼女の瞳には、たしかに私が映っていた。どうしようもなく情けない仮病人の姿が。
切り出したのは、やっぱり友香だった。アイスティーを一口飲んでから、
「てっきり、都市伝説の餌食にでもなっちゃったのかと思ったよ」
それは、冗談なのか本心なのか。表情が変わらなかったので読み取れなかった。
「こないだ紫織のクラスをのぞいたら、大方そういう話になってたのよ。まじめだとかいままで休んだことがないとか、最初のに似てるって盛り上がっててね。ちゃんと休みって連絡が入ってるのにさ」
そこでようやく友香はげんなりとした顔を見せた。それを見て、私も少し落ち着いた。
そう言われると、たしかにあの都市伝説の発端の話に似ているところはある。私自身はまったく気にかけていなかったけれど、端から見ればそう思えてくるのだろう。
「私がなにかお願い事をしに行って、でもあっちのを叶えてあげられなくて消された……って、そういうこと?」
「そんな感じよ。こないだの事件があっただけに、話題の盛り上がり方はなんだか気持ち悪いわ」
と言うことは、いま教室の話題の中心は「私」らしい。なんだか、変な話になっている。いや、都市伝説に巻き込まれているのもおかしいのだけれど、そもそもいままでなんでもなかった私の扱いが、数日休んだだけで急に別のものになっているのが、なんともむずがゆかった。これでまた、よけいに行きづらくなってしまった。
「まあでも、思ったよりは元気そうでよかった」
コンビニかスーパーで調達してきたであろうショートケーキには、上にきれいに熟れたイチゴがひとつ乗っていた。友香はそれを大事そうに皿に下ろしてからケーキにフォークを入れた。私もケーキを食べることにした。
食べているとき、休んでいるあいだはなにをしていたのか聞かれた。とくになにもしていなかった、三日か四日は仮病だと正直に言うと、友香は短く、そっか、と返事をした。逆に私が友香にも聞くと、英語の小テストの点が悪かったとか、体育でやったサッカーでゴールを決めたとか明るい話をしてくれた。二人とも、意識的に引っ越しの話は避けていた。
多少のぎこちなさはあれど、空いてしまった時間を埋めるように私たちは他愛のない話をした。うれしくもあり、悲しくもあり、さびしくもあるような、奇妙な時間だった。
近所の公園から、5時を告げる「夕焼け小焼け」が聞こえてきた。高校生になったいまでもこのメロディーが聞こえてくると、そちらに耳をすませて動きを止めてしまう。長年ですり込まれた癖は我ながら微笑ましい。思わず、
「もう帰る?」
と聞いてしまったときには、少し遅れて、しまったと思った。友香は少し考えてから「そうだね」と言った。自分から聞いた分、よけい気落ちしそうだった。
そこで不意に私は思い出した。
「ねえ、今度、新しく駅前にできた洋菓子店に行かない?」
友香はきょとんとしたが、やがて「うん、行こう」と二つ返事で乗ってくれた。いつがいいか聞こうとするよりも早く、
「明日はどう?」
少し、意外だった。私としては行ければいつでもよかったし、まさか明日すぐになんて思ってもいなかった。
明日の予定はなにもない。いつも通りならここ数日と変わらない怠惰な生活が待っている。友香はいそがしいだろうが、明日と言うのだから、都合がいいのだろう。私が友香に合わせない理由はなかった。
「いいよ。明日ね」
私の言葉に友香は満足げにうなずいた。久々に友香の笑顔が見られて、今度は素直によろこべた。
お母さんがお見舞いのお礼を言って、私は玄関まで見送ることにしたので一緒に出た。
外はすっかり夕日に染められていてきれいだった。
「久々に外出るんでしょ。しっかり寝なよ」
私は苦笑した。そう言われても、もう十分寝ている気がする。むしろ寝過ぎだ。
「寝坊しないようにするよ」
「それは当たり前」
涼しいやわらかい風を受けて友香の髪がなびいた。その一瞬の髪の先の輝きに目を奪われる。
紫織、と名前を呼ばれてはっとした。
「また明日ね」
そう言って、友香は微笑んだ。
「うん、また明日」
私もその言葉を繰り返すと、いつもの満足げな顔がちらりとのぞいた。
夕日のほうに向かっていく友香の後ろ姿はまぶしかったけれど、やがて黒い点になって消えるまで、私はずっと見つめていた。心の中で「また明日」という言葉を、子供がぎゅうぎゅうになった宝箱に押し込めるようにして、その意味を噛み締めていた。
また、明日。
あと何回、この言葉を交わせるのだろう。
また会える。たしかなそのよろこびの裏で、その次はあるのなんて陰りが差している。
うれしくもあり、悲しくもあり、一番強いのはさびしさだった。
そんなこと言わないでくれればいいのに。
押し込めたはずの宝箱から、そんな言葉がこぼれ落ちていた。
黒々としていながらもきれいに輝くことができるひねくれたそいつを拾い上げて、今度はしっかりと握りしめた。四方八方に伸びた棘が突き刺さり、胸の奥がずきりと痛んだ。
もし口に出してしまったなら、私はどれだけ傷つき、傷つけるのだろう。
そんなことを考えているうちに太陽はそそくさと沈んでいって、世界は明日に向けて順調に時を刻んでいた。
RiGHT 渉 @ALiCE_92
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