5
唸るエンジン音。
重低音が響き渡り、腹の底から揺さぶられる振動と音にブラックマスクは、ちっと舌打ちをする。不愉快な音ではない。好みの音だからこそ、自分がアクセルを踏めないことに苛立っていた。
「ねぇ、聞いてる?」
ツーシートの狭い車内の横には、金髪の美女が運転していた。紺色に短いスカートの高級スーツに身を包み、マフラーが吐き出す煙よりも多い香水の匂いに鼻が曲がりそうになって、ブラックマスクは鋭い目を女に向ける。
「ああ、聞いている」
「ならさ、ちょっとは相づちぐらい打つぐらいいじゃない。死体にでも話しかけていた気分よ」
「ご機嫌に答えて欲しかったらこのコブラを運転させろ」
「嫌よ。これを転がすのが私の唯一のストレス解消なんだから。そもそもその原因を作っているのがあなただってことを自覚しているかしら?」
シェルビーのコブラCSX7000。
ヘビのような丸みを帯び流線型の車体と排気量7000cc、最高時速280kmを叩き出すモンスターマシン。光の濁流のように高速道路の街灯が駆け抜け、あらゆる車を追い抜かしている。計器は時速210kmを指す。
フルスロットルの八割の踏み込みを維持しながら美女は、憎々しげに言い放っていた。
「俺はやりたいようにやるだけだ」
「へっぇ~。そう。やりたいようにやってる癖に、その身体を維持するには年間1000万ドルがかってるのよ? 誰が予算繰りをしていると思ってるの?」
「…知らん」
その一言に美女はぶち切れた。
「私よ私! いい、私が、命令無視、独断専行、の一匹オオカミを飼うのに本国から1000万ドルの予算をぶんどるの! それにどれだけ苦労があると思っているのよ!」
美女の怒鳴り声にエンジン音が逃げ出す。キーンと響き渡る耳をブラックマスクが塞いでいた。
「聞けっていってんでしょ! あなたが私の言うことを聞いてくれればこの苦労もマシになるつってんのよ!」
「ああ、わかったから。分かったから狭い車内で怒鳴るな」
「本当にわかってるのかしら? 本当にもう!」
その言葉でアクセルが更に吹く。目の前に走っていた車の間をすり抜けてコブラは夜の高速を這っていく。
唇を噛んでストレス発散にアクセルを吹かす美女へブラックマスクが尋ねる。
「今回の事件、サードの仕業と断定できたんだな?」
「そうよ。あなたの出番って訳。首つり女のときみたいにやられて入院なんてことはなしにしてよ今回。あれこっちがどれだけ大目玉を食らったか…」
「あの件は俺の調査不足だ」
「ええ、そうね。その通りだわ。だから私達の調査機関使えって言ってんでしょ」
「軍人上がりのCIAは御免だ。奴らはサードの理解が足りなさすぎる」
「あなたも軍人上がりの癖に生意気言ってんじゃないわよ。第一、サードなんて化物を普通の人間に理解しろってのがおかしいのよ。戦闘要員としてじゃなくて調査要員として使えって何回言ったら気がすむのよ」
「現場では何が起こるか分からん。戦闘で使えないヤツを連れて行っても死ぬだけだ」
ブラックマスクの理屈に美女は更に眉をひそめている。
「屁理屈ばっかり。どうせ怖いだけなんでしょ? 普通の人間が」
その言葉にブラックマスクが黙り込んだ。
「この議論は何度しても無駄ね。まあいいわ。あなたはあのふざけたサイトで情報収集を行っていればいい。こっちはこっちで調査しておくから」
「そうしてくれ。あと日本の警察と軍の動きはどうだ?」
ブラックマスクの一言が美女の怒りに更に油を注いだ。
「それよ! 思い出しただけでムカつく! ジャップなんて私達の言うことに従っていればいいのよ! 何よ、安全保障条約の段階的な緩和って! 情報開示しろつってんでしょ! 日本の政府も警察も軍もファッキンシットよ!」
がなり立てる美女は、黄金の髪を燃え上がらせんばかりに吠えた。ブラックマスクはそれを受け流す。
「科警研が調査に入ったようだが、その情報はどうなっている?」
「あのファッキン野郎共は、サーバーごとファックしてやったわ。舐めんじゃないわよってラブコールを残してね」
スラングを交えて話す美女は怒りを滲ませて答える。
その答えにブラックマスクは少し気後れしていた。怒れる白人美女の迫力という物はときに恐ろしい物があった。
「ハッキングしたのか…。まあいい、で成果は?」
「ビンゴよ。最近は随分と尻の穴を縮めているみたいだけど私達にすればファックするなんて朝飯前。ローションなんて使わずに掻き出してやったわ」
凄まじいまでのスラングで美女は罵っていた。
それに開口しそうになりながらブラックマスクは、たしなめる。
「ローズ。海兵隊のノリは止めろ」
ローズと呼ばれた美女は運転しながら嫌な顔をする。
「あなたも尻の穴がちっさいこと言ってるわね。どうせ車から降りたらお上品な言葉で喋ってあげるわよ。いいから黙って聞け。科警研からは現場に残された細胞組織の検査結果があったわ。完全にサード。それも無形状態の一番厄介なヤツよ。変異人格が無秩序で何時人格崩壊するかわかったもんじゃないわ」
「手遅れか?」
「手遅れよ。人格崩壊して獣化するのが確定」
矢継ぎ早にブラックマスクは尋ねる。
「変異部位は?」
「おそらく骨ね。あとは鉄も検出されているわよ」
「…その鉄分の補給先は?」
「血かもね。辺りの血痕からはヘモグロビンが著しく少ないってあるわね」
「骨と血か。どうやら他のサードを取り込んだようだな」
「ええ。だから変異人格の無秩序が起こるのよ。無形状態の細胞変異速度が異常な数値を出しているわ」
「ラボは獣化を何時だと予測している?」
「あんなところ当てにしているの? 現状あるデータから予測して、いちおう一ヶ月以内。もしかしたら今、獣化してるんじゃないかって私のストレスが爆発しそうよ」
イライラしているローズにブラックマスクは指摘する。
「もうすでに爆発してるだろ」
「こんなもんで爆発なんて冗談じゃないわ。爆発してたらあなたにバズーカお見舞いしているわよ」
「…それで死ねるんならいいが…中途半端は御免だ。状況はわかったが、それにしても今どこに向かってるんだ?」
「そんなこともわからないの?」
「わからん」
「横浜の中華街よ。美味しいラーメンの屋台が出てるって話を小耳に挟んだの。ファッキンハングリーよ私。飢えているからあの脂っこい背脂を啜りたいの。ほんとジャップの食べ物だけは評価してあげる。やみつきになるわね背脂って」
「…好きにしてくれ」
ブラックマスクは諦めてそう言い残すと、黙って高速の景色を眺めた。
真っ赤なコブラは、高速の街灯に照らされ、横浜の中華街へと唸り、その速度をまたたたき上げる。
MASK IN BLACK ― 欲望の仮面 ― 三叉霧流 @sannsakiriryuu
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