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「本当にどうしよっか…」
ドトールのテーブル席で紀子がうなだれながら、悲惨な顔つきでそう言った。
部長の礼子から連絡を受けて、三人はとりあえず緊急会議ということでドトールで相談をしている。会社帰りのOLや学生がたむろして、店内は賑わっていた。
アイスコーヒーとアイスミルクティーについた水滴がじわりとコースターを濡らす。英雄はすでに先ほど飲んだカフェオレのお陰で時間つぶしのために頼んだアイスコーヒーに手を出す気にはなれなかった。
「原稿、最低300文字なんだよね? なんとかなるんじゃ…」
気楽に言おうとした英雄に、紀子は首を振る。
「あのね新垣君。私が担当してるコラムじゃないのよ? これは二面で使う記事なんだからそれこそ鬼のように赤が入るわ…。それに並大抵の取材じゃ部長許してくれないし…」
「一面と二面を担当する先輩達の様子を見てたらヤバいよな」
仁志も紀子の言葉に同意するように言う。
「でも今更引き下がれないよね?」
紀子達に眼鏡をかけた英雄がぼんやりと聞いた。
二人とも切り替えの早い英雄に少し驚いた。
「お前すげーな。確かに逃げられん状況だな。記事落としたなんてことになったら部長が何をしるか俺達にもわからねぇ…。スポンサーもいるしな」
豊栄新聞の本格ぶりは、なにも記事だけではない。その新聞自体にスポンサーがいる。商店街の組合や小さな化粧品メーカー、スポーツドリンクの会社、シューズメイカーなど。潤沢な豊栄新聞の資金源となるのはこれらのスポンサーのお陰でもある。広告をうつと言うよりもどちらかというと各メーカーは、実際の高校生から商品の意見を聞いたり、商品開発の声にすると言った物になる。それを統括しているのも部長の礼子であり、彼女はそう言ったメーカーから相談を受けて、豊栄高校の生徒の協力を得て商品の使用感想や改善策を相談していた。もちろん、直接金銭のやり取りはできないために、学校への寄付として処理されている。そのために新聞の配布先は校内だけではなく、そういったメーカーや組合にも送られる。対外的に言えば、もはやビジネスのようなものだった。
「そうそう。豊栄新聞は、スポンサーがいるから落とすことなんて不可能。しかも逃げられないようにスペース確保してもらっていたら…ああ考えただけで胃が…」
「胃が壊れる前に、原稿をどうするか考えようか」
紀子がお腹をさすっていると英雄は微笑みながらそう言った。
「そうね…。新垣君の言うとおりだね…っよし! 記事の方向性を考えよう。まずそれからね」
紀子は自分を鼓舞するかのように姿勢を正し握り拳を固めて、そう気合いを入れる。
「方向性って?」
その様子を見ながら英雄は首を傾げる。
「えっとね。方向性って言うのは、記事が何を主張しているかっていう柱みたいなものなの。豊栄新聞は、実際の新聞記事のように客観性を重視するけど、高校生新聞の形態を忘れてはいけない。部長が求めているのは『社会のあり方を私達の目線で興味を持ち、私達の目線で社会を見つめる切っ掛けになる』そんな記事なのよ。だから、私達の興味がもつ噂話っていう切り口を許可したんじゃないかな。部長あんまりそういったことが好きじゃないけどさ」
その紀子の話に英雄は腕を組んで少し考える。
「つまり…。今回の記事は、噂話に惑わされず、噂話を客観視できるような記事になればいいって事かな?」
英雄の言葉に、紀子は嬉しそうに頷いた。
「そうそう! 新垣君って意外と鋭いね。…そこの馬鹿とは月とすっぽん」
紀子は嬉しそうに言った後で、目を細めてスマホをいじっていた仁志にそう言った。
「え? 俺?」
「そうよ。アンタよ、アンタ。何一人自分は関係ないって顔してるのよ。アンタにも記事かいてもらうんだからね!」
「いやさぁ…俺は記事書く才能がないからずっと雑用してたんだけど?」
「はぁ…もういいわよ、アンタは。新垣君、一緒に噂話のおさらいをしましょうか」
「あ、うん」
そう英雄は頷いて、先ほどのネットカフェでコピーした用紙を鞄から取り出した。
包丁男。
その噂話は、バラバラ殺人事件の最初の被害者や目撃者を調べたテレビ局と週刊誌のインタビューが発端だった。池袋の繁華街で真夜中にうろつく不審者の腕が刃物のように見えたという話だ。たった一人の目撃者から波及して、ネットやニュース番組はその話題性から包丁男と名付け、様々な場所で話題に上った。それを裏付けるように犯行現場は、夥しい傷跡が残っているらしい。らしいというのは、犯行現場に警察が厳重な警戒をしいて誰も入れないからだという。しかし、そういったことも第一通報した目撃者によってその様子が克明に世間に流布していた。そして、警察が厳重に現場を保全するほど世間は包丁男の話を取りただし、より話題は活性化していく。すでに、ネットの一部では包丁男のマスコットを売り出すような会社まで現れていた。
ネット曰く、包丁男は殺人事件の被害者に虐められた者達の怨念、あるいは呪いとまで言われ都内某所で複数の目撃情報がある。実際に、殺人事件の被害者達は、周囲からも『殺されてもしかたない不良』と呼ばれる者達。レイプや薬、恐喝にまで手を染める犯罪者として各テレビ局のコメンテーターは酷評している。
包丁男とはそんな不良を成敗する正義の呪い。ネットで話題となるには十分な条件がそろっていた。
「あー、現場見られないんじゃ調査も何もできないよねぇ…どうしよっか。一番早いのは私達が犯人を捕まえて、腕を確認することだけどさ」
「んなことは無理だろ」
「分かっているわよ、それぐらい!」
紀子の呟きに答えた仁志は怒られていた。
英雄はレジュメのようなコピー用紙を見ながら、
「でもさ、なんで男って決めつけるんだろ?」
英雄の呟きに二人は顔を見合わせる。
「英雄先生、どういうことだ? 俺にわかるように説明してくれ」
「あ、いや、ちょっと思ったんだけど。目撃情報って暗くてあまり見えなかったって書いてあるのに、なんで男って決めつけてるんだろうとおもってね。だって、目撃情報には小柄な男性のような人物。つまり、すこし背の高い女性でもいいんじゃないかって思ってさ」
「…確かに。事件の推定犯行時刻は、午前二時から三時。それも裏路地のような暗い場所よね」
「ああ、確かにそうだな。確かにそうだけど男か女かっていま問題じゃないけどな。だって俺らは腕が包丁になった人間を記事にするんだろ?」
「…まあそうだね」
仁志の意見に英雄は少し声を落として頷いた。
だが、仁志の横にいた紀子は、仁志を腕で小突く。
「何言ってんのよ。こういったことは疑うことから始まるんでしょ。警察も被害者の交友関係や恨みを持つ人を調べてるのに何にも結果が出てないのよ?」
仁志は腕を組んだ。
「紀子、確認するが俺達は犯人を追うのか? そうじゃねぇだろ。むしろ、包丁男とこの事件は無関係で、包丁男の話が根も葉もない噂だって証明するために記事にすると思ってたんだがな、俺は」
「アンタはたまに鋭いこと言うから調子狂うなぁ」
紀子は憎々しげに仁志を睨む。
「いや、ぼくも仁志の話に賛成。もしかしたら今回のバラバラ殺人事件と包丁男の話は全く別物かもしれないしね。やっぱり事件の目撃情報よりも先に、包丁男の目撃情報を追った方がいいかも」
「あー待って。ちょっと分からなくなった…。えっと、つまり私達の記事は、包丁男の目撃情報が都市伝説で、この事件とは関係ないって言えればいいってこと?」
紀子が唸って絞り出した言葉に英雄は首を振る。
「決めつけるのは良くない。関連性を問う、ってカタチにぼんやりさせた方がいいと思うよ。こういった記事って断定するのは怖いからさ」
「あー、英雄の言うとおりだ。紀子、その路線で行こう。俺達は社会面で包丁男の信憑性を調べて、今回の事件と関連性があるかどうかを考察した記事でいんじゃねぇか?」
「なるほどね。わかった。でもさ…調べるのにも限界があるよ。包丁男の目撃情報なんて池袋からお台場の辺りまであるんでしょ? 広すぎ」
紀子は頭を抱えるようにため息を吐いた。
「それはどうしようもねぇな。なるべく犯行現場の近くを調べて、その後で範囲を伸ばせば…ってどう考えても俺達が調べたところで包丁男が実在するかどうかなんてわからねぇよな」
「そうよねぇ…」
紀子と仁志は二人でぼんやりとうなずき合う。
「よく考えたんだけどさ」
そこに英雄が声を上げる。
「もし自分の腕が包丁のような刃物になったらどうする?」
その質問に何を馬鹿なと仁志は答えた。
「どうするもこうするも病院に行って治してもらう」
「仁志にさんせー」
「うん、そうだよね。でも包丁男が実在しているんなら病院に行かない方がおかしい。おかしいって事は包丁男は、自分の腕が包丁になったことを喜んでいるかもしれない」
「…まぁそうだわな」
仁志は考えながら頷く。
「だからさ、もしかしたら包丁男は嬉しくて色々と試し切りするんじゃないかって思ってるんだ。試し切りが物なら器物破損、動物なら動物虐待で何か情報があるって思わない?」
「英雄冴えてるな!」
「新垣君、それ面白いよ! 部長に話してみて、包丁男の目撃情報があった日にちからそういった事件が増えてないか調べてもらおうよ。もしかしたら、それで包丁男の移動範囲が絞れるかも」
英雄の考えで紀子と仁志は顔に希望の火を灯す。
包丁男の目撃情報や殺人事件の現場の話は、テレビ局や先輩に任せて自分たちは新しい糸口で包丁男を追う。
三人はそれを部長の礼子に質問するかをまとめて始めた。
「面白い」
最終下校時刻が間近に迫った夜の新聞部。
その電話を聞き終えた礼子はそう言って笑った。
「どうした? 礼子」
窓の外を見ていた礼子の呟きを聞いた前川が彼女に尋ねた。
日は落ちて、新聞部には前川副部長と礼子の二人だけが蛍光灯の明かりに照らされている。二人は下校をしようと帰り支度をしていたところだった。
「いや、なに。一年が面白い切り口で調べだしてな」
振り返って前川を見た礼子は答えた。
「あの三人か。君があんな記事を許可するなんて思ってもみなかったよ」
「確かに。私では思いもしない切り口だ。だが、それは私達が想定している読者像に近い。私は想定している読者よりもすこし硬いからな」
そう言って礼子は自嘲的に微笑んだ。
「それが君の持ち味だ。それを否定しては我が校の新聞がただのゴシップ記事になる」
「ゴシップか…ゴシップ記事が真実を伝えることもある。私はそれを否定する気は無い。真実であればゴシップに見えたとしても…」
礼子は顔をしかめながら言葉を濁す。
それを見た前川は、悲しげに表情を崩した。
「礼子、もう止めよう。君が幾ら楯突いたところで、何も変わらない。君のお爺さまもいい顔はしないよ」
「そうだな…それはそうだが、やはり私は真実を掴むまでは止めるつもりはない。お目付役のお前には苦労をかけるが」
「そんなことはいいんだ。私も好きでここにいる。最近は楽しいとすら思っているからな」
「そうか…それならよかった。私の片腕に愛想を尽かされると私も困る」
ふわりと礼子は表情を緩ませて笑う。
毅はそれに視線を逸らして、眼鏡をくぃとあげる。
「で、問題児の一年はどんな切り口で取材するつもりだ?」
「ああ、それか。奴らは包丁男とこの事件を別物だと仮定して、包丁男を愉快犯として追うつもりのようだ」
その言葉に前川は顔を眉をひそめる。
「愉快犯?」
前川の疑問に礼子が頷く。
「そうだ。一旦、包丁男と殺人事件の犯人を切り離し、包丁男に焦点を絞っている。警察や新聞、週刊誌はこの包丁男を犯人の目撃情報として、刃物をもった不審者の線で追っているが、切り離すのは斬新だ。それに事件の犯人の動機を怨恨として断定しているが、そこからも外れる。完全な独自路線として、愉快犯の『包丁男』として取り上げる。なかなか私が欲しいものが分かっているじゃないか」
「具体的な調べ方は?」
前川は肯定も否定もせずに聞く。
「包丁男の目撃情報があった日から不審な事件が起きていないかを調べる必要があるな。動物虐待あるいは器物破損といった小規模の事件だ」
一つのケースとして、重度の動物虐待犯が猟奇殺人といった重大な犯罪犯になる可能性がある。高い衝動性や暴力のような行為障害を一つの指標として犯罪者を特定するといった手法を選んだ英雄達を礼子は評価していた。
しかし、そのやり方を聞いた前川は否定する。
「時間がなさすぎる。完全な独自路線は面白いが、取材も調査もすべて中途半端では意味がない。そんな記事を載せるわけにもいかないだろう」
「だから私の出番だ。バックアップはすると約束したからな」
礼子はそう言って携帯を取り出す。
前川はその礼子に再度顔をしかめた。
しかめてため息を吐く。
「そうか、また君は強請るのか」
「可能な限りの手段を使う。そうでなければ私が編集長をする意味はない」
前川は諦めて、礼子が電話をかける様子をただ黙って見ていた。
「―――もしもし、お久しぶりです、警部。いえいえ、厄介事ではありませんよ。ただ…少しお話を聞かせていただければと思いまして―――」
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