月の白妙(四)

 藤世は駆けだした。

「四詩!!」

 白銀の布が、ゆっくりと滑り落ちる。

「四詩、――四詩!!」

 その下から現れたのは、はしばみ色の瞳、白銀の髪――……一糸纏わぬ裸身の少女。

 彼女は口をひらき、

「藤世……!!」

 なつかしい声音で、伴侶の名を呼んだ。

 藤世は四詩に向けて跳躍すると、彼女に抱きつく。ふたりは足をもつれさせ、雪のなかに倒れ込んだ。



 藤世は四詩の手を引き、慌てて私室の炉の火を起こした。四詩に自分の服を着せ、ランプに移したともしびで彼女を照らす。

 間違いない。紛れもなく、藤世の一番いとしく思う少女が、ここにいる。

「藤世、ごめんなさい。手紙を隠したりして。あなたのそばにいられなくなるのが、どうしても厭だったんだ」

 藤世は、自分の視界が涙に歪むのを、手で拭って抑えながら、ぶんぶんと首を横に振った。

「いいのよ、もう、そのことはいいの」

「……藤世、泣かないで」

「悲しくて泣いてるんじゃないわ、わたし、わたし」

 藤世は四詩を抱き締めた。

「あなたに逢えて嬉しい……!! すごくすごく、嬉しいわ……!!」

「……わたしも、嬉しい。あなたに直接、ことばを伝えられて」

「こうやって抱き締められるし、口づけもできるわ」

 藤世は向き直り、四詩の両頬を手でつつむ。

「藤世、――口づけして」

 四詩はつよくねだった。

 藤世は笑みをひろげた。涙をこぼしながら、ふたりは吸い寄せられるように顔を近づけると、唇を重ねた。

 四詩は、いままでになくよく喋った。寝台に行こうと誘い、藤世の服を脱がせてもいいかと訊いた。寝台にランプを持ち込むと、からだをよく見せてほしいと言った。

 藤世は頬を染めた。

「……四詩……わたし、恥ずかしい」

「雪獅子でいるあいだは、色がよくわからないんだ。明暗はわかるけど、藤世がどんなすがたなのか、ずっと見たいと思っていた」

 四詩は瞳をきらきらと輝かせる。それは学究肌の四詩らしくて、藤世は思わず笑ってしまった。

 四詩の言うまま、服を脱ぐ。初めて肌を重ねたとき、恥ずかしがっていたのは四詩のほうだった、と思いながら、藤世は四詩の口づけを受け入れた。

 ふたりは、二年前にしたように、丹念に互いを高みに導いた。

 藤世が、もうだめ、と声を嗄らしても、四詩は愛撫をやめなかった。藤世が気をやるように力尽きて、眠りに就いたのは明け方近くになってからだ。

 目を覚ますと、傍らに四詩のすがたはなく、寝台を出ると、散らばった衣類のなかに、雪獅子のすがたに戻った四詩が眠っていた。

 彼女も目を開け、しどけないすがたの藤世のからだを舐める。

 呆然とそれを受け入れながらも、藤世には、ある期待が胸に生まれるのを感じていた。



 雪獅子は、満月が空にある時間にのみ、ひとのすがたに戻る。

 それが確実であるとわかった数ヶ月後には、藤世は叡雨君に、珊瑚を送らなくてもよいと文を織った。

 文を読んだ王は、珊瑚を嶺に送らせた。

 ――もう臨泉都には必要のないものだ。

 そう付言された赤い宝石は、神殿に保管されていた白銀の短剣の、こぼたれた柄頭に、もとどおりはめ直された。

 そののち、藤世と四詩の目に、いくつもの季節が通り過ぎ、ふたたび矢継ぎの錦が織られることになる。

 高潔な一矢の業績を称えるその布には、雪獅子の代替わりの詳細が記された。

 幼子が両親から引き離され、一矢としてふたたび神殿にやってくる。彼が紋様を読み解ける歳になると、傍らに歳を取らない不思議な女性がふたり座り、矢継ぎの錦と、白銀の短剣、そして、蝉の翅のように薄い肩掛けの来歴を語る夜が来る。

 窓の外には満月が上り、白妙を敷き詰めたような雪が積もっている。

 やがて朝が来る。一矢は、自分が物心つく前から変わらぬ、規則正しい機音で目ざめる。

 少年は胸をときめかせる。彼女が織るものすべてがうつくしい。今度織り上がる布は、どんな新しい世界を、彼に示すだろうか――……


【了】

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しろたえの島、いつくしの嶺 鹿紙 路 @michishikagami

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