3-4



 コンコンと短い硬質なノック音が響き、車内のドアが開けられた。エーリナはデスクに向かったまま振り向くことなく、ただ来訪者の言葉を待った。

「一通りの解析結果が出たよ」

 視界の端に浮遊する仮想ウィンドウがポップアップする。そこには何人かの人名とそれにまつわる実験記録のようなものがまとめてあった。

「あ、順番が遅くなったけど先日の奪取作戦の成功、おめでとう。こっちにかかり切りだったものでね」

「いいや。ドクターこそお疲れ様。幸いなことにまだ祝杯は挙げていない。報告を聞いた後でジェイスンの私物でも一本開けるとしよう」

「いいね、ありがたくご相伴に預かるよ。作戦が終わるごとに乾杯の音頭が薄くなっていくのを除けば、最高の時間だ」

「今回は、随分と削られたからな」

「バックが一人を残して壊滅したんだっけ? 次に響きそうだね」

「それを考えるのは私の仕事だ。ドクターはそんな犠牲に見合った話をしてくれるのだろう?」

「そのつもりだよ。これを見てくれ……、というのも酷な話だけどね。ナイテの搭載カメラの映像だ」

リシルネの言葉で、ウィンドウがもう一枚増え、動画が再生された。暗転していた画面が瞼を開けたようにに天井に切り替わり、ゆっくりと上体が動き視界が下へ向かう。そこでは一人の男が装置の前で何やら操作を行っていた。だから、背後から忍び寄った金属フレームの触手に気付かなかった。鉄パイプほどの太さのそれは、先端に生やした細い針を彼の首筋に打ち込んだ。一拍の間を置いて男の身体ががくがくと痙攣し始めるが、今度は見慣れたサブアームユニットがその身体を掴んで手前に引きずり寄せた。ちょうど腹部の辺りへ向かってアームが向かい、視野の下方へ入って見えなくなった。

「――そういう訳でね。アルファ1の遺体がナイテのコクピット内で見つかったよ。意識的な意味での死因は脳を八分割したDISの過剰使用、肉体的な意味での死因はモスキートと感覚爆弾だ」

「……」

「気にすることは無いよ。君は正しい判断をした。あの状況ではね」

「……分かっていたのか」

「まあね。ジェイスンも早い段階で気づいていたようだけど」

だからか、と今更のようにエーリナは思い出した。彼が『もう一つの虎の子』を出すかもしれないとほのめかしたのは、感覚爆弾の方を使わないで済むようにするためだったのだ。

「AIはDISを使えない。あれは一つの完全な脳というプラットフォームに対応した仕切りだ。片方だけの水槽に仕切りを入れても機能しないのさ。いくらナイテがエッジテクの塊でも、こればかりは原理的に無理なんだよ」

つまり、地上で明らかにAIの生み出したハフフィック群が現れた時点で、ナイテの内部に生きた人間がいることは確定していたことになる。その上で敢えてモスキートと感覚爆弾の使用をリシルネは推奨したのだ。

「この事は私と助手二人とジェイスンと、そして君しか知らない。皆には黙っておくことをお勧めするよ」

まだ歩みを止めるわけにはいかないだろう。そう言って彼女はいつものように涼しげな声音で指摘した。全く以てその通りだった。

「彼を取り込んだのは、ナイテ自身の意思なのか」

「さぁ……どうかな。DIS自体に自己保存プログラムが入っていたのか、飲みこまれた他の被験者のAIがそうさせたのか。その辺りは調べても分からなかった。機体が消えてしまった今となってはね」

 あの戦闘の後、二日と経たないうちにナイテはコアとなる物理システムを残して消失してしまった。貯蔵していた画力が尽きたのだ。そもそも『画力を蓄えておく』という行為自体が初耳だったが、AIごとに保持しておける画力があり、その合算を機体維持に費やしていたらしい。

「さて、それはそうとして、本題はここからだ。DIS運用実験によって多数の被験者がAI化され、機体制御を司る抽象法側の意識主体がナイテに閉じ込められていったわけだけど。おかしなことに被験者の数と登録されたAIの数が合わないんだ。具体的に言えば被験者34人に対して登録AIは20人分しかない」

「実験に失敗した、訳ではなさそうだな」

「あの実験室に保存されていた大量の遺体、あれは20人分の物理主体だった。AIの維持のために生かされていたんだろう。じゃあ残りの14人はどこに行ったんだ?」

 そもそもIPRIの真の目的は独立思考する完全なAIの完成にあった。だとするならば、培養した素体にDISを用いて乖離させた言わば画術機関を植えつけたに違いない。では、脳を分割された被験者たちはどうなったのだろうか、という話だが。

(いや、本当にそうか?)

「IPRIの当時の技術では真の意識主体をメタ層に配置出来なかった、とドクターは言ったな」

「そうだね。今回の分析でも実証されたよ。それを収める入れ物がない」

「ではその意識は消えて無くなるのか?」

「入れ物が無ければ、実質的にはそういう事になるね」

「なら、入れ物があればどうなる」

 仮に。一人の人間の意識主体をDISによって二分割し、それらを俯瞰する上位主体が立ち現れた時、その部分だけを独立して保存することができたら、それは果たして何と呼べる存在だろうか?

「〝フラクタル・ポートレート〟。あれの本当の目的は、DISによって出力される『上位意識』の抽出にあるんじゃないか?」

「――ああ。概ね、私達と同じ結論だ。彼らの組んだDISが被験者を拘束し続けるのは、恐らく別枠でメタ意識部分を捕まえるための実験をするため。そして14人はその実験で成功し、AIと物理主体を保存しておく必要が無くなった」

最初に提示されたウィンドウに並びたてられた文字列は、ナイテの非DIS状態の単独運用実験の結果だった。14人分の項目があり、そのうち何人かは操縦に成功したことを示す文章が書き込まれている。

「彼らはDIS無しで、抽象法と写実法の両方を同時に操れる。正確には抽象法にも写実法にも当てはまらない画術をね。我々はそれに付ける名前を持っていないけど、もし実用化されているのなら世紀の大発見だよ。それこそ今の画術の常識が根底からひっくり返る。『根本法則』も、『発展法則』も、全て書き直しだ」

「元来IPRIとはそういう組織のはずだがな。各国から選り抜きの頭脳だけを集めた、世界最先端の画術研究機関。経緯さえ違えば手放しで賞賛すべきなのだろうが……」

「なぜ公表しないのか、だね。一体どこに最終目標を設定していたのかは知らないけど、もう十分すぎるぐらいの実験結果は残しているんだ。部外秘とは言え、国連の公式プロジェクトとして始動した以上は何らかの報告発表があって然るべきなんだよ。しかしプロジェクトの消息はぱったり途絶えてしまっている」

「何か公表できない事情があったのか、それとも全く別の要因か。いずれにせよ、もう少し探ってみる必要がありそうだな」

「とは言ってもねぇ。IPRIは極端な秘密主義で有名だし、正直ここまで情報が掘り起こせたのだって奇跡みたいなものなんだよ?」

「今度こそ手詰まりか」

「私の方からはね」

そう言ってリシルネは小脇に抱えていた書類の束をデスクの上に放った。A4用紙十数枚にまとめられたその表紙には、ジェイスン・クリーガー名義で『フローリ・D・ミュラーの研究成果と足跡』と銘打たれていた。

「これは?」

「読んで字の如く、彼の調査レポートだよ。あれで元研究者だからね、君からヘルリム君の遺言を受け取って以来、裏でこんなことをやっていたらしい。経過報告として渡してくれと言われたよ」

なぜここでミュラーが出てくる、と半信半疑で書面を追っていると、彼の経歴の詳細を記した項に突き当たった。概要はこうだ。

 ――フローリ・D・ミュラーは言わずと知れた稀代の天才画術理論家であり研究者だった。当時全くの無名だったミュラーは、オーストリアの片田舎から『定量化理論』という、後に世界構造を一変させる主因となった研究論文を学会に叩きつけた。それからというものの彼は一躍時の人となり、一ヵ月も立たない内にIPRIからの招聘を受けてメンバー入り。更に年内には機関内でも特に先進的な研究プロジェクトを主導するコアメンバーに任命されるなど、華々しい出世を飾った。しかし彼はその僅か一年後に実験中のアクシデントから事故死。更なる技術革新が期待されていた『ポートレート理論』も未完成に終わり、プロジェクト自体も中止されてしまった――。

「ポートレート理論、だと……?」

「知っている人は知っているんだけどね。『画術理論体系』、ちゃんと読んだことはあるかい? あれの前版まではミュラーのページの隅っこにちょこっと記述があった。非常に理路整然としていた定量化理論とは打って変わって、あまりに抽象的かつ荒唐無稽だったから単なる思考実験の類として扱われていたんだ。今も学会はそういう見解だし、だから最新版では名前が載らなくなった」

 レポートにはポートレート理論についての簡単な説明が付記されていた。曰く、『人体創造を実現する画術』。

 人体に限らず、完全な生命体を画術で創り出すというテーマは、古来から続けられてきた試みだ。有名どころではゴーレムやゾンビ、ホムンクルス等々あるが、そのどれもが失敗に終わっている。前世紀も終わりの時期になると、『根本法則』として知られている画術の大原則が実証・確立され、再現率の理論が整えられた。すなわち『再現率100%の構築体は存在し得ない』。これによって画術生命体の描出は完全に道を断たれたのだ。

「ジェイスンはそこに目を付けたらしい。つまり、ポートレート理論については出回っている情報がほとんど無いんだ。それはもう、誰かが隠蔽工作をしたんじゃないかと思うほどにね」

「それがIPRIの仕業だと?」

ページをめくっていく。そこには、ミュラーが行っていたとされる実験プロジェクトに参加していたメンバーの一部が記されていた。どれも見覚えの無いものばかりだったが、それもそのはずで、彼彼女らはプロジェクトの断念と共に次々に研究所を去っていた。その後の消息についても足取りが終えているのは数人で、ほとんどが姿を眩ましてしまったらしい。ところが、こういった情報の出所は全てUCICの研究機関から得られたものだと書面は物語っていた。

 別の項へ飛ぶと、IPRIへ被験者の斡旋や資金の融資を申し出ていた協賛企業や個人名が羅列されていた。その字面にはエーリナにとって異様なほど見覚えがあるものだった。

(旧五大企業の重鎮ども……こいつらは)

「つまりこういうことか。先行試作機開発プロジェクトへのIPRIの相乗りは、各々の上層部では了解が取れていた。その後進であるフラクタル・ポートレート関連の実験についてもUCIC側から支援が続いていた。見返りとして第4世代型を供与されて」

 DISの思考分割ロジックを実装した第4世代型ハフフィック。資料によれば、本来その基礎理論になっているフラクタル・ポートレートは新古典画術派の研究機関との共同開発だ。IPRIは実験毎にパトロンを乗り換えながら、得られた結果を双方に流して関係性を維持していた。

「先日我々が北米協商の研究施設から奪取したのも第4世代型。となれば、北米協商も何らかの形で計画に一枚噛んでいるのは疑いようも無いな」

「ややこしいことになってるよ。一体いつから北米協商はIPRIと組んでいたのか……。それによっては世界中が一杯食わされているかもしれないね」

 その発言が先の国家間紛争の事を指しているのは明白だった。現状では画術推進派と科学保守派の対立として語られる構図。それは時代の流れが呼び起こしたものなのか、それとも誰かの思惑によって意図的に引き起こされたものなのか。

「ただ――少なくとも私は、UCICに乗り込む大義名分を得た訳だ」

レポートの後半に束ねられた、旧五大企業の工作部隊による作戦行動。IPRIとの取引の『後始末』をしていたその目標リストに、ヘルリム・ブランクライトの名前があった。

「恐れ入るよ。両親の敵とは言え、天下の武装国家に喧嘩を吹っ掛けるなんてさ」

「今どき敵討ちなんて流行らない、とでも言うつもりか?」

「まさか。だって君は別に敵を討ちたいわけじゃないだろう」

エーリナは薄明りに黄褐色を照らす車内のライトを見上げた。リシルネの言は半分合っていて半分間違っている。結局のところ、自分がしてきたこととこれからしようとしていることは、敵討ちであることに変わりはないのだから。ただ、そこには極めて個人的な動機が絡んでいる。

「私自身がやりたいからさ。復讐に捧げた人生というものを」

「君らしくていいと思うよ。では我々は今回もコバンザメにならさせて貰おうかな。ここまで来たら連中の悪事を片端から暴くとするよ」

片手を振って部屋を辞したリシルネの薄汚れた白衣を見送って、エーリナは明日以降のタスクリストを白紙に戻した。作戦を立てなければならない。この歪み過ぎた人生の幕引きに相応しい、悪趣味な作戦を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る