3-3
最奥のバルブが開いた先はそのまま円柱形の広い空間が待ち受けていた。特に何がある訳でもなかったが、壁面の一部が隔壁になっており、そこから更に下方へ向かう巨大なリフト――ちょうどハフフィックが二機並んで載れる――が設置してあった。セキュリティはサポート陣が押さえてくれていると信じ、二人は機体のまま乗り込んでリフトを起動させる。かなりの急傾斜で地下へと潜り、1、2分が経つ頃になって無骨なリフトの駆動音が不意に止んだ。開けた先は真っ暗闇だったが、投げ入れた付着型センサーに反応したのか、青白い人口光が各所から点灯していった。
先程の殺風景な広間とは打って変わり、一目で専門的と分かる機器が10メートル四方ほどの部屋の中央付近に並んでいる。取り囲むそれらを手向けの花のようにして、仰向けに付した巨体があった。静かな空間だった。起動しているはずの機器類もその電子音を潜めているようだった。
『こいつか』
描出させたAPSライフルを片手に周囲を警戒しながらのぞき込むと、それはまるで人間が眠っているかのように安置されていた。カメラアイの眼光は消え、全身には安全装置のロックが掛けられている。全様は自分達の駆るFタイプに似て簡素な人型フレームだったが、カラーリングがグレーベースだったり、頭部の形状や妙に節くれだった関節部など異なる点があった。
『アルファ2、そのまま警戒態勢を保て。私は周辺機器からデータの吸出しを試みる』
隣で佇んでいた機影が失せ、アルファ1を務める男がスタイリッシュな防護スーツに身を包んだ姿で今なお動作を続けるマシンの一部へ走り寄る。ISDのインプラント化手術を受けている彼にとって虚空からハッキングツールを取り出すのは造作も無いことだった。
『割り込んで済まない。アルファ1、リシルネだ。機体の起動ログと、登録されている人名を洗い出してくれ』
『了解……。そんなに量はなさそうだ。抜き出した分から並行してアルファ2の機体回線で転送する。……しかし冷えるな。結構地下深くまで来たとはいえ、ここまで気温が落ちるものか?』
『何か機体の維持の為に画術を使ってるんじゃないですかね。コクピットにいる俺ですら寒くてしょうがないんだ』
『お前は地上にいる時からそうだっただろう……。よし、今ので最終更新分まで抜き出したはずだ。ドクター、確認してくれ』
上官がデータ交信を行っている間、アルファ2は入り口から見て件の機体の奥にある長方形の物体に近づいた。どうやら元は壁内に格納されているものが飛び出しているようだ。側面を見るとブロック分けがされており、それぞれに小さく電子板が付いていて数字を書き込んでいた。唐突に彼はあるものを思い出した。それとよく似たものを、昔どこかで見た気がする。そう、あれは確か、兄が事故を起こした時――。
『……』
背面のサブアームを伸ばし、電子板に付いているロックをこじ開けると、引出上になっていたそれが白い気体を溢れさせながらゆっくりと手前にスライドした。
人だった。
恐ろしく蒼白な顔面は引き攣り、両手は腕をかき抱くようにして横たわっている。まるで真冬の吹雪の中に放り出されたかのように、その寒さに凍え果てたかのように、死んでいた。その顔が一瞬、自分のそれに見えた気がして、ぞわりと寒さとは違う悪寒が背筋を駆け抜けた。
『おい中尉、なんかやべぇ雰囲気だ。早いとこ引き上げた方が――』
引出しの前に屈みこんでいた機体のまま背後の上官を振り向いた、その時。正直なところあまりホラーは得意ではない、と自覚のあった彼は、一瞬でも心臓が止まらなかったことを褒めてやりたかった。
目だ。赤く血走った大きなモノアイ。
つい数十秒前まで床に就いていたはずの灰色の巨体が上半身を起こし、首を捻ってこちらを見つめていた。そう、その目は確かにこちらを見ていた。何の気配も、音もしなかった。
『こいつ、動いて……っ!?』
そこで自分が思っている以上に冷静さを欠いていたことを今更のように思い出す。あの機体が動き始めたのなら、その足元にいたアルファ1が先に気づかない訳が無い。なのになぜ、さっきから全く音沙汰が無いのか?
『ち、中尉! おい、応答を! アルファ1!』
どこにもいない。
馬鹿な、と彼は否定した。ものの数十秒だ、リフト口以外に出入り口の見当たらないここで一体どこに隠れられるというのか。連続した不測の事態に混乱を止めることが出来ず、思考が停滞する。かわりに鋭敏になっていた感覚が、開きっぱなしになっていたウィスパーの回線に何かノイズ以外の音が混じっているのを聞き取った。
(なんだ……人の声、か? よく聞き取れねぇ)
向こうでは、封じられていたはずの機体が緩慢な所作で立ち上がり、遂には寝床の上から一歩を踏み出した。こちらへ向かって。
その異様な迫力に思わず後ずさりながら、アルファ2はなぜか自分に注がれる視線から目をそらすことが出来ないでいた。やがてその単眼の中央にスリットが入り、眼球が真っ二つに割れる。そして左右に位置をずらし、縦に切れ長の双眸が無表情に赤光を灯した。
『ッ……!?』
絶望的な状況では刷り込んだ反射だけが頼りとなる。磨き上げられた白磁の床を脚力とサブブースターの推力で蹴り飛ばしてその場を離れる。足先僅か数センチのところを青い画力光が掠めていった。完全に起動を果たした機体――ナイテが右手に描出したAPSライフルを撃ち放ったのだ。左腕には盾を伴った実体剣を悠然と構えている。古典的な装備ながら、明確な殺意を宿していることは最早否定のしようも無かった。
『こちらアルファ2、アルファ1がロストした! おまけに奴さんと交戦状態だ……!』
『ドクター』
『分かってる。もうすぐ解析が終わるから、それまで回避に徹しろと伝えてくれ。いいかい、絶対にこちらから手を出させるな』
「アルファ1のISDシグナルはどうだ」
「駄目です、全く反応ありません。完全にロストしていています」
インプラント処置をしたISDはウェアラブルタイプとは異なり、脳髄とほぼ一体化している。つまりデバイス自体をオフにしていてもバックグラウンドでは常時起動しているので、固有のシグナルが途絶えることも無い。
(動くだろうという予想はあった。何せ不完全とはいえAIが積まれている。しかしこうも明確に敵意を向けてくるものか)
『ジェイスン、聞こえているな』
『おう。動いたらしいな。まったく嫌な予感しかしねェ』
『……どうやらその通りになりそうだ。さっきからウィスパーに混じる妙なノイズ、音声処理をして特定周波だけ抜き出してみた』
別室にいるリシルネの声が遠のき、代わりにトンネルの反対側から響いてくるような重なりのある声が指令室の二人とジェイスンに届いた。それは事実、一人の声ではなかった。何人もが同じような言葉をささやいていたのだ。
寒い。
寒い。
寒い。
寒い、
――殺してくれ。
共有回線の向こう側で、エーリナは何かを強く叩きつける鈍音を二回聞いた。それが拳を振り下ろしたことだと気づくのにそう時間はかからなかった。
『おいドクター……久々に生きてることを後悔したぜ、俺ぁ』
『奇遇だねジェイスン、私もだ』
いつも飄々としたリシルネにしては珍しく、語調が震えていた。それが怒りによるものなのか悲しみによるものなのか、別の感情によるものなのか。恐らくどれでもないのだろう、と彼女は察した。
『エーリナ、アルファ2に伝達を。頭部と胸部以外は破壊して構わない。その代わり何があってもナイテに接触するな。間接的にでもダメだ。飛び道具だけで何とか片を付けろ、と』
『分かった。今、回している』
『……ふぅ。まさかここまでとはね。IPRIには恐れ入ったよ』
『この声は何だ』
それはどちらに当てたという訳ではなかったが、答えたのはジェイスンの方だった。
『ナイテのISDに閉じ込められた思考の片割れだろう。DISは過剰使用すると副作用として意識主体が薄れていく。しまいにゃあらゆる感覚が遠のいていき、皆同じことを言うようになる。「寒い」ってな』
彼の声は裏腹に、全ての感情を捨て去ったようだった。自責も後悔も忘れ去ったと言わんばかりに。
『何も感じない、何も与えられない――。受容することを止めた空っぽの意識は、寒いんだそうだ。とてもな』
『あの声の主は全てシステムに喰われた被験者……か』
『アルファ1から送られてきたリストを洗っているところだけど、ざっと30人というところかな。よくもまぁここまで大規模な人体実験が出来たものだよ。我々にその批判が出来ないのが残念でならないけどね』
『……。感傷に浸るのは後回しにしよう。今は奴の回収を最優先だ』
尤もだね、と言うリシルネの幻像が首をすくめた。
「ブラボー2がUCIC所属機、およそ二個小隊を確認。続いてブラボー3の索敵範囲にも感あり。近郊基地からの増援多数」
「トラップでどこまで食い止められるか分からんが……ブラボー各員を最終後退ラインまで足止めをしつつ下がらせろ。到達予想時刻をフロントに通達、ダウンクロックだ」
頷くオペレーターの指示で各員が動きを変える中、遠方から一つ、友軍の光点がマップ上で漸近しつつあった。オヴォステアだ。
『「スロー・アーク」を転送してくれ。もうISDの検出範囲には入ってるだろ?』
彼の機体は超長距離での補足に長けている。それを存分に活用するための宇宙空間用オプションが「コールド・レイ」なら、地上用が「スロー・アーク」だった。地上、とは言ってもジェット気流を抜けた辺りの高高度から重力加速を利用して目標を破砕する砲弾を飛ばす代物だ。しかし、この武装はその性質上目標物との位置関係が非常に重要になる。コールド・レイのように半球上ならどこからでも弾をばらまけるような気軽さは無い。
『ですが、まだ有効射程には程遠いですよ。その位置からでは味方を巻き込む恐れも――』
『なぁに、ちょいとフロントにおっかぶせた失態のツケを返すだけさ』
「と、申されていますが」
「基地施設ごと吹き飛ばして手の空いたフロントを回収に回させる気か」
エーリナは一見有用な提案を、しかし快諾はしなかった。
『リスクが高いな、地下施設が崩落する可能性だってある。何をそんなに焦る? 確かにこちらは数でも質でも不利だが、予測の範囲内だろう』
『「今」じゃねェさ。アイツを出すような事態にしたくないだけだ』
何を当たり前なことを、と彼女は黙り込んだ。アイツ、とジェイスンが濁したものについては全く同意見だったが、どちらにせよそこまで追い詰められてはいないのだ。わざわざ危険を冒して近道をする必要がどこにあるというのか。
『フロントは順調に敵を捌いている。鹵獲が困難になるようであれば、その時は頼む』
『……転送準備だけはしておいてくれ。悪ィことは言わねェ』
それだって十分にこちらのサーバーを圧迫するぞ、とは言わなかった。スロー・アークが収められたICを共有回線にアップロードし、ISDへの送信準備が始まった。
『なにかおかしい』
通達にしてはかなりぼんやりとした言葉が司令室の二人の元に届いたのは、ちょうどその頃だった。
『アルファ3、どうかしましたか』
『さっきから同じ画性反応の機体が何回も出てくる。撃墜したはずなのに』
『それは……確認します』
見間違いではと正すことなく、オペレーターは味方機の自動収集したデータから基地周辺の画力を分析し直した。元より何が起こってもおかしくない戦場に自分たちはいるのだ。そしてこれもまた例に漏れず、常識を外れた返答をシステムは提示した。
「……確かに、同じISDから発現したと思われる機体がこの数分間で複数回描出されています。パターンは8。どういうことでしょう……?」
『どこかに分身を作ってる大本がいるってこと?』
アルファ4の指摘に、傍で聞いていたエーリナは情報を整理した。一つのISDから同時にハフフィックが8機描き出され、そしてそれらは撃破されてもゾンビの如く復活している。
『恐らくそうだ。――AIを使っているフィクターがいる。アルファ3、探し出して叩け。さもないと延々と湧き続けるぞ』
『了解』
およそ一刻前まで平平凡凡な通信施設だった場所は、一変して砲火と破壊音、そして暴風が吹き荒れる戦場と化していた。アルファ3――フィグネリアはフライトユニットの武装をICプールから補給しつつ、地下への穴の上を旋回、降りようとする敵機を迎撃していた。アルファ4はそのアシストをしつつ、自身に接近しようとする機体を撃ち抜く。遮蔽物が皆無な平原であることと総数が少ないことが幸いし、どうにか持ちこたえていた。しかし、いつまでたっても尽きることのないハフフィックの正体がAIであると分かると、いくらか活路が開けていた。
『アルファ3、親玉を見つけられる?』
どこぞのゲームのように、一度倒した相手のリスポン位置が固定されていれば話が楽だったが、そう上手くはいかない。画力反応から大本のISDの位置、すなわちフィクターの所在を割り出すのは、ハフフィックやらICやらが発する画力で混然とした状況では至難の業だ。一時的にでも画力の発生源を最小限に抑える必要がある。攻撃し続ける敵機の前で武装ICを停止するのは問題外。加えて穴へ群がる機体を弾き続ける義務もある。
『――やってみる。合図で指定した目標へ制圧砲撃を』
『オーケー……、こっちも我が身があるから、手短に頼むわよ』
現時点で分かっているパターンは8、残機影も同数。正体不明のフィクターが操るハフフィック以外は全て撃墜したようだ。まだ伏兵がいる可能性も捨て去れないが、慎重になりすぎては動くに動けない。
施設の合間を縫って飛行するこちらの機体へ、的確にポジションを変えながら射線が伸びてくる。ここ十数分の戦闘で、その軌道から大よそのコンバットパターンは推測できていた。8機とも行動はバラバラだが、根底にある戦術思想、マニュアルは恐らく共有している。であればやり様はあった。
オプションの翼部を翻し機体を急降下させると、そのまま立ち並ぶ廃墟の谷底に滑り込み、ブースターの推進力で強引に制動を掛ける。建物の物陰に身を置くこと数秒、前後から挟み込むように二機が火器を携えて迫りくる。フレンドリーファイヤを避けて高度をズラしていたのは評価に値したが、教本通りでは読まれて然るべきだ。挟撃の射線軸が重なるように機体を浮かせると、射撃体勢にあった両機の銃声が一時静止する。そのタイミングを見計らい、壁面の両角に引っ掛けておいた両手の対物用アンカーランチャ―を高速で巻き取った。背後から大質量の衝撃を受けて敵機がこちらに向けて吹っ飛んでくるのを確認してアンカーを切り離し、自機は上方へ。二機は激突しながら眼下で崩壊した壁の瓦礫に埋もれていくが、そこへ更に三機目が飛来する。背面下方、完全に死角からの接近。付近にあった別の建物に潜んでいたのか、ほぼ完璧な奇襲だ。フィグネリアはそれを敢えて受けた。回避行動より優先すべき目標が数秒もしないうちに姿を現すからである。
(来た)
態勢を崩さない程度に抑えた並行移動では躱しきれず、案の定右脚部がエネルギー光に捕まって半壊する。オートバランサーがギリギリのところで姿勢制御を止める最中、地上の四方向に向かって両手とサブアーム2本のハンドライフルが放たれる。直後、内三箇所から狙撃銃を構えてひょっこりと半身を覗かせた敵機が高速爆裂弾頭の出迎えを喰らった。この決して広いとは言えない戦場では必然、狙撃ポイントも数が限られている。
先手を打ち終えた瞬間にブースターをいったん落として機体をふわりと下向きにする。眼前には肉薄する三機目が対APSSブレードを抜き放っていた。今度は片手間に相手をする必要も無く、こちらも同種のブレードを出して降下しながら鍔迫り合う。背部ユニットと全身のブースターを限界まで吹かし、捉えた相手をそのまま地面に叩きつけた。その位置、ちょうど序盤の二機を巻き込んだ瓦礫の直線上。
『アルファ4』
返答は大口径の青いエネルギーの奔流で返された。片足で何とか飛び退いた軸線上の有象無象を対艦用の照射砲が焼き払っていく。もちろん巻き込まれた三機も例外ではない。
残り二機。予測した狙撃ポイントにいなかったということは、別のポジションについていたか、それとも単純に察知されて逃げられたか――。いずれにせよ他の6機が再描出されるまでの数秒間に仕留めなければならない。ぐらつく機体で飛び上がろうとした刹那、頭上からコンクリート塊が飛び散ってきた。収束しつつあった照射が薙ぎ払った一閃で、背後に立っていた三階立ての最上層一帯が抉られたのだ。その破片にはハフフィックのものと見られる機器類も混じっていた。
『これで8機ね』
『もう一機は?』
『さっきあんたが外した建物から出てきて壁沿いにチョロチョロしてたヤツなら、撃っといたわよ』
『良いサポートです』
優秀なバックに控えめな賛辞を送ると、中断していた上昇を再開。自機のICを可能な限りペイントアウトさせ、画力センサーに注力させる。恐らく最初に撃破したハフフィックが戻ってくるまでもう10秒も無いはずだ。その間に発信源を掴まなければならない。ISD内で次に描出する大口径ライフルのICを読み込ませ、その瞬間を待った。そして、仮想ディスプレイのレーダーマップ上に短い電子音と共に一つの光点が浮かんだ。
(見つけた――)
半秒に満たない時間の中で、両手で保持された大型ライフルが描出され、引き金に金属の指が掛けられた。
大よその予想通り、その何秒か後にどこからともなく馴染みのFタイプ機が再び出現し、こちらへの攻撃を再開し始めた。襲い来る砲火を避けながら、フィグネリアは手にしたライフルを捨ててサブマシンガンに持ち替え、斜めに倒壊した建築物を蹴って上空へ身を躍らせた。
『アルファ3、ミスったならそう言いなさいよ。今ならシガレット半ダースで一緒に謝ってあげるから』
無言で戦闘に戻った相方にかけた軽口は、予想外の言葉で返された。
『……目標座標は当機から前方11メートル、下方約440m付近。ISDの固有アサインは「ナイテ」のものと一致』
『は、はぁ……!?』
アルファ3は接近してきた数機に対応すべく武装をショットバズーカに換装したが、事の展開に気を取られつつあった自分に少し苛立ちを覚えた。フィグネリアの解析結果が本当だとすれば、DISによって創られた疑似主観であるAIが、DISを使用して更にAIを生み出していたことになるからだ。正直、学の足りない頭では苛立たせる要因でしかなかった。
『こいつが地上のハフフィックを描出してるだと¡?』
『たぶん。そういう訳でそちらの援護には迎えそうにない』
『おいおいマジかよ、いい加減このオカルト空間からおさらばしたいところだってのに……っ』
牽制に次ぐ牽制を繰り返しながら、アルファ2は得体の知れない先行試作機との交戦を続けていた。撃破が出来ない以上は武装を封じにいく他なく、つまるところそれは決定打にかける状況に陥らざるを得なかった。しかも増援は望めないと来ている。アルファ3と二機がかりならばすぐに終わると保ってきたモチベーションが、音を立てて崩れ去った。
それでもどうにか戦い続けていられるのは、思っていたよりもナイテの挙動が「理解しやすかった」からだ。
(初めは気圧されたもんだが……コイツ、意外と平坦な動きをしやがる。訓練用のシミュレーションがちょっと人間臭くなったぐらいのもんだ)
それだけなら楽勝だったのだが、リシルネからのお達しで直接間接を問わず接触が禁じられている。こちらの機体がDISの影響を受けるからだそうだが、その所為でコンバットパターンに制約が生まれ、窮屈な立ち回りを強いられていた。
(――いや、待てよ。仮にこいつがDISを使ってるってことは、機体制御に抽象法を使ってるってことにならねーか)
だとするならば亡霊退治に持って来いの十字架がある。ブランクライト一派が北米協商から離反した時のゴタゴタに紛れ、持ち出した兵器が。
『大尉殿、モスキート弾頭の使用許可を頂けませんかね。それで少なくとも地上の敵は止まるはずだ』
モスキートとは言ってもそれは単に愛称に過ぎない。実際にそれがバラ撒く音は筆舌に尽くし難い、奇妙かつ最悪な騒音となって抽象法を使用する画術師の精神をあざ笑い、手に持った筆を自らへし折ることになる。例えハフフィックに乗っていても、感覚同調状態にあるダイブモードで操縦しているのならそのデスマーチに強制参加だ。そしてナイテはまさにその条件下にあった。
『ブランクライト大尉、あたしからもお願いするよ。もうこっちのICプールの残量が限界だ。ここいらでフロントは撤退しないと帰りは騎士の真似事をする羽目になる』
共有回線から地上で粘っているであろうアルファ4からも援護が届く。確かに増援もぞろぞろと増えてきているなか、白兵だけで挑むのは蛮勇を通り越して無謀という他ない。二人の説得の甲斐あってか、少々渋さを含む声と共に大容量のICデータがISDに転送されてくる。本来は艦載用の兵器を無理矢理ローカライズさせた規格外品のため、機体負荷も段違いだ。早めに撃って容量を軽くしたいところだった。
背部のジョイントを丸ごと覆うように巨大なオプションパーツが描出される。その野太い専用のサブアームが保持するミサイルランチャーは機体全長よりも大きい。ナイテの剣戟をすれ違うようにして躱すと、背を向けたままルーム内を飛ばして距離を稼ぐ。ランチャーが左肩部上に固定され装填が完了した時点で、前転をするように空中で回転し、上下逆の状態で標的に向き直った。
『ミュージック・スタートだ』
発射の反動がサブアームと固定パーツにヒビを入れながら、ハフフィック規格の2倍はあろうかというミサイルが飛翔する。対する灰色の機体もさすがに静観はせず、手にしたライフルでその真っ芯を撃ち抜いた。直後、サイズの割には控えめな爆発と共に、おびただしい数の子爆弾――音響装置が拡散した。正規品では空中に浮遊するフロート型だが、特殊な素材で接触面に固定される付着型に調整が成されている。それらは次々とナイテが張ったAPSSを素通りし、多数の装置が盾や装甲に張り付いていく。念のため連動して逆移相音を放射する物理防壁で遮断しているが、ダイブモードではないため張り付いても特に問題は無い。
『敵ハフフィック、8機全ての消失を確認』
効果は瞬時に現れた。アルファ3の平静な報告がモスキートの威力を物語っている。のみならず、盛大に爆弾を浴びた敵機が大きくバランスを崩し、フラフラとした軌道になっていた。明らかにシステムエラーを起こしている。またとない好機だった。あくまで抽象法部分のみに作用するはずだが、もしかするとナイテ本体の機体制御にも抽象法を用いていたのかもしれない。
アルファ2はランチャーがゆっくりとパージされるのを待ちながら、元々虎の子として想定されていた特殊兵装の描出にかかった。『感覚爆弾』(センス・ボム)と名付けられたそれは、対フィクター用とでも言うべき対人兵器だった。リシルネが前々から設計していたものを実際にICとして組み上げたもので、今回の「ハフフィックの無力化」に最適と目され実戦投入された。その彼女の言によれば、「自分の一番嫌いな臭いと音と味と色と触感が一万倍になって押し付けられる」そうだ。画術師の出力機関である五感に過剰な情報を掛けてオーバーフローに追い込み、強制的に画術の使用を停止させる仕組みである。物理兵器ではあるが本当にそのような臭いや音やらが発されるわけではなく、ISDに干渉してICとして再生させる。とは言っても直撃すれば完全に神経系が焼き切れるため、ほぼ廃人化してしまう。今回はAIが目標のため殺人にならないのが唯一の救いか。
問題は干渉型のプログラムICであるという点で、確実に当てるには相手のシステム中枢部に直接打ち込む必要がある。今の場合、相手がダイブモードを使っているために感覚共有される頭部か、実際に操縦者が搭乗している胸部コクピットの装甲内部だ。一応非貫通式の弾丸として射出可能だが、当たり所が悪ければ勿論すっぽ抜ける。いくら教本通りの動きをする相手とはいえ、そう易々と直撃を許すような腕でもない。数十秒前までは、だったが。
(どうしたものかと思ってたが……気前の良い大尉殿に感謝だな)
随分と描き出すのに時間を喰った割に、掌に収まったのは小型のハンドガンだった。見た目と中身が異なっていることは十分承知だが、リーサルウェポンというには少々拍子抜けする外観だった。二重に掛けられた安全装置を解除しながら、一歩、二歩と歩み寄り、右手のそれを構える。引き金を引く音も似つかわしい、どこかノスタルジックな乾いた銃声だった。
幕切れは呆気無かった。攻性ウィルスを受けたナイテは完全に沈黙し、その場で物言わぬ彫像と化した。同時に辺りに充満していた冷気が引いていくようだった。アルファ2はそこで初めて、両手がかじかむほどに冷え切っていたのを感じだ。押し寄せた莫大な疲労感からハフフィックを除装すると、その場であぐらをかいて座り込み、ひび割れた白い壁を見上げた。控えめとはいえあれだけドンパチやっておいてほぼ室内が原型を留めているのは、元より戦闘行為を想定していたからか。今となっては分からない。そのままぐるりと首を回すと大小様々な機器の散らばる景色が流れゆく。
(……結局、どこに行っちまったんですか。中尉)
少し離れた距離で爆発音が聞こえ、ハフフィックの駆動音が徐々に近づいてくる。回収に来た地上組だろう。彼は腕を頭の後ろで組み、ごろりと仰向けに寝転がった。コーティングされた床は思いの外冷たかった。
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