第3節 Neites

3-1




 荒涼とした草原が続いていた。曇天のもたらした肌を刺すような冷え込みが、とりとめもない空想に水を差し続ける。腰下ほどであろう草丈の合間から時折茶色い小動物が顔を見せてはまた消える。短い動画を繰り返して再生しているかのような錯覚が襲った。私は前へ進んだような気になって、また振り出しに返っているのかもしれない。ただ、それを確かめる術は無かった。

「フィグネリア」

誰かが誰かの名前を呼んでいる。最早眠気覚ましにもならなくなった冷気ではなく、ぼんやりとしていた意識を引き戻したのはがくんと全身を揺さぶる衝撃だった。

「ツェレンスカヤ准尉。うたた寝とは剛毅だな」

「失礼……しました」

作業帽を目深にかぶり直して目線を上げた先、小柄で長髪の上官が視界の中で揺れた。地面すれすれを低空航行している貨物運搬用ICが段階的にスピードを落としているのだ。着古された作業着のファスナーを少し開けると、首元から湿った寒風が忍び込んだ。悪寒に思わず小さく身震いしたが、やはり目覚まし役としては今一つだった。

「いいじゃないの。土壇場でブルッて使えなくなる新人よりよっぽどマシだぜ」

薄く無精ひげを伸ばした男がポンと背中を叩く。その軽口をあげつらうように、隣のコンテナとの間にもたれかかっていた茶色いショートヘアの女性が口を開いた。

「とりあえずあんたは既にブルッてるみたいだし、新兵以下なのはよく分かったわ」

冷え性なんだよ、と男は厚いジャンバーの裾を両手で引っ張った。三度ICの車体が揺れる。進行方向の彼方には気候にお似合いな寒々とした雰囲気の白い質素なコンクリートの建造物群があった。ここ一帯のクラウドベルトを維持する埋設ISDとその管理施設や関連施設が、中規模の基地として寄り集まっていた。

「しかし中尉、今回のタレこみ、本当に信じていいんですかね。VIP回線の傍受とは言えタイミングが良すぎますよ」

「それを決めるのは私ではなくブランクライト大尉だ。個人的にも納得できる点は多い。交通量がほぼ皆無のこの地域にわざわざクラウドベルトを敷設しているのも、その埋設ISDが未登録であることもな」

「未登録の埋設ISDって言えば、この間どこかの富豪が道楽で一本立てて使ってたのがバレて、しょっ引かれてましたねぇ」

「仮にあれが個人の所有物だったとして、警備まで張り付かせたらむしろ目立って逆効果だ。極めつけにこうして補給物資まで定期的に運び込んでいる。相当のマヌケか、度胸が据わっているのか」

「ま、いずれにしても当たってることを願いますね。国際法で禁止されてる兵器まで持ち込んで公共機関をぶっ壊したけど勘違いだった? ハハ、そこらのテロリストの方がマシな言い訳しますよ」

「本国の軍事施設襲って最新型のハフフィックをかっぱらった時点で私達も立派なテロリストだから、自信持っていいんじゃない」

「違いない。……さて、そろそろお喋りも終わりだ。目標ラインを突破する」

『フロント4名、ボーダーの通過を確認しました。フェイズ2に移行します』

軍用の画性通信、ウィスパーを通してオペレーターから短い打診が各人に送られる。上官が手を打ち、乾いた音が鳴った。

「対爆防御だ。光が降るぞ」




 地上と宇宙では当然宇宙の方が寒い。約−270℃は最早寒いとかいう次元を通り越している。だからと言って、宇宙飛行士の船外活動服に冷却器が付いているのはマゾだからという理由では勿論無い。感覚的な意味では宇宙は熱いのだ。恒温動物ゆえに常に発している熱が、大気の無い宇宙空間では体外に逃げずどんどん蓄積されていく。厳密に言えば熱くなっているのは宇宙ではなく人間という訳だ。

(地上の連中が寒いとか抜かしてやがるのはおかしな話だがなァ)

 極限環境に対応した特殊仕様パイロットスーツ越しにコツコツとディスプレイを叩く。そこにはちょうど自身の直下約1000㎞にある地点の風景が映し出されていた。いつの間にか古いインディーズのリズムに変わろうとしたとき、左腕の上あたりに浮いている仮想ウィンドウに、短い伝令文がミミズのように這い始める。どうやら仕事の時間のようだった。

 現在、衛星軌道上には10を超える軍事衛星が飛び交っている。その大半がSATS――Satellite Arms Transfer System――の中継衛星として機能している。その中に一つ、ほぼ同型ながら全く性質を異にするものが人知れず漂っていた。それが転送するのはICではなく、そもそも衛星ですらなかった。

大規模国家間紛争以前、旧NASA系宇宙開発事業団が国の軍事部門と結託して極秘裏に進めていた、とある画術兵器の開発プロジェクトがあった。どういう経緯か、ある時を境にそれは別のプロジェクトに吸収され、少々異なった形で日の目を見ることになった。それこそが、この“衛星型ISD”の生い立ちである。

『ジェイスン、状況報告はどうした』

『ああ? ……おお、問題ねェぞ』

『……作戦中に飲まないことはそんなに難しいか?』

『大目に見てくれ。今日はこいつの引退試合なんだ、少しぐらい感傷に浸らせろや』

『役割は果たせ。それだけだ』

始まりと同様に唐突に切れた軍用画性通信「ウィスパー」の通信ログを前に、買いためていた安物のスコッチの最後の一本を置いた。

『感謝しますよ、大尉殿』

 早いもんだ、と彼は年相応にしみじみと思った。かつての仕事場で時折友人が連れていた小さな子供が、今では自分の上官だ。要はそれだけ自分が歳を取ったということである。生粋の軍属ではないにも関わらず定年間近まで軍服を着ているのもおかしな話だったが、それだけの業を負った自覚もある。その最たるものの一つが今自分が描き出している機体であった。

 画術師がISDを使用してICを使用するとき、その描出距離には「当人の知覚範囲」という限界がある。これは望遠鏡や集音器を使って伸ばせるものではない。その地点の感覚情報を十全に掴んでいることが求められるからだ。裏を返せば、発動に必要な情報量さえ確保できるならどれだけ離れた地点にも理論上は描出が可能ということになる。しかし問題はそれだけでは無かった。

 仮に情報が得られたとして、遠隔地に構築体、例えばハフフィックを描き出すことに成功したとする。ではそのハフフィックを自在に操縦することが出来るか、ということである。これがISDに頼らない画術師であれば何の障害にもならないが、ことISDを使っている以上、そこには機械としてのスペック上限がある。基本的にISDは一般的な人間の空間知覚能力に準拠した描出に最適化されている。そこから極端に外れた環境で画術を行使することは想定されていないし、対応もされていない。電池の切れかかったリモコンで操るかのように、ハフフィックの動作は緩慢になり反応も悪くなるだろう。

 ならば衛星大のISDを打ち上げて通信状態を確保してしまえ、という奇抜な発想は必ずしもこれらの課題の解決のためだけに発案されたものではなかったが、結果としてそれはSATSなどの技術の基礎を作り上げることになった。現行の技術と異なるのは、術者が身に付けるISDと軌道上の衛星型ISDは二つで一つであり、相互に情報を共有してどちらからでもICを使用できるという点である。例えば、地上にいる状態で衛星の上にハフフィックを描き出せたり、そのハフフィックを操縦モジュールとした対地射撃衛星砲を展開できたり、ということである。

『フェイズ2への移行を確認しました。クリーガー大尉、出番です』

『了解ィ……、さっき擬装プログラムを剥がしたが、地上からの反応はどうだ』

『今のところそれらしい動きはありません。ですが』

『気持ち早めに、な。分かった分かった』

 切り替わった回線から聞こえるオペレーターの声を軽く流しながら、既に起動を終えたハフフィックの操縦系統に目を向けた。10メートル前後の長大な砲身が衛星本体と共にハフフィックを前後から挟み込むように展開されている。衛星に搭載された巨大な画術補助処理装置がもたらすリアルタイムでの位置情報と各種サポートが、大気圏外からの超長距離砲撃を可能としていた。

『「コールド・レイ」、斉射を開始する』

端的な宣言と同時に、砲身の周囲を包むように囲んでいた6枚の長方形の防護板が垂直に離れていき、間隔を広げた状態でリングの形を取る。機体を大きく取り囲むように配置されたそれらは、互いの間をAPSSで覆い、無防備な機体とオプション全体を防御するバリアシールドと化した。ゆっくりと回転する板の一枚、その内側に、赤いペンキで形式番号の横に書き殴られた『Ovostir』の文字を見ると、もう何度目か分からない苦笑いが漏れた。あの頃は若かった。自分も、そして彼らも。

『かく在れと願うものがかく在らん、てな』

砲口からそのサイズには不釣り合いな細い白光が一直線に伸びる。それは愚直なまでに直進を続け、やがて大気の層を破り雲間を突き抜けて、行き先にあった塔状の施設に接触した。地上を映すスクリーンは轟音も、派手な爆発も伝えてはこない。ただ、薄ぼけた白い構造物があった場所にはぽっかりと丸いクレーターだけが残っていた。数秒遅れて地鳴りのような重低音が空気を震わせ、初撃が成功したことを物語る。

そして砲塔に再び光が凝集し、二射目への体勢を整える。

『周辺一帯のクラウドベルト、消失を確認。これで空から増援が降ってくることはねェな。予定じゃお次はIC保管庫と思しき倉庫だが……』

視覚映像とは別に、画力反応を探知するレーダーマップ上にいくつもの赤い点が連続して湧いてくる。何事かと疑う前にすぐさま戦闘態勢に入っている辺り、やはり身に覚えがあるということか。

『セキュリティを殺す前に兵舎を潰した方が無難か?』

『いいや。まだ想定の範囲内だ。保管庫を潰せ』

『フロントの連中は掃除が大変だなァ。ま、せいぜい頑張ってくれや』

静かな照射が円錐形の施設に注がれた。弾けた風船の如く空間が丸く歪み、範囲内の物体を瞬時に無に帰していく。変わらず穏やかな砲撃だったが、今度は賑やかな警告音がコクピットに鳴り響いた。それも仰々しい『WARNING』のテロップ付きである。

『オヴォステア、UCICを含む複数の地上基地施設から捕捉されています。また同基地から多数の画力源を探知』

『こりゃあ、いくら何でも早いな。4射は諦めた方が良さそうだ』

『こちらが衛星砲をここで切ってくることを見越していたな。迎撃自体は想定内ではあったが、ここまでとなると本隊の負担が増える』

『大気圏さえ突破出来りゃ、砲撃支援のお手伝いぐらいは出来ますがね。問題はそこまで画性追尾弾頭共をいなせるかどうかだ』

『なんとか本体だけは持ち帰れ』

『ま、ベストは尽くしましょうや……!』

無音の爆発がリングの外側で炸裂する。早くも到達した画力を探知して追尾するミサイルの第一波がシールドの一枚で相殺されたのだ。推進系が画術で強化された弾道ミサイルは大気圏を易々と突破してくることに恐ろしさがある。

[オヴォステア]という機体の設計思想はほぼ全て衛星砲『コールド・レイ』の運用の為にあり、一般的な戦闘行為には適さない。そして実戦を想定していない先行試作機としての宿命か、操縦系統自体が対ハフフィック戦闘に未対応だ。軍で支給された第二世代、F型のOSを乗せ換えて多少装備回りも整えたものの、やはり設計レベルでコンセプトが違うために限界はある。先日北米協商軍の研究施設から奪取した第4世代型のデータを活かせればかなりマシになっていたはずだが、いかんせん解析に時間が足りなかった。

『3射目、行くぞ』

狙い過たず舞い降りた光柱が突き刺さり、2射目が破壊した施設の隣、画力反応が最も密集していた建物が塵と消える。はずだった。連続して着弾したミサイルの爆風が枚数の減ったシールド内に届き、砲身を僅かに揺らしたのだ。『コールド・レイ』の放射弾は目標に対するピンポイント爆撃を行う。有効攻撃範囲がほぼ固定されており、爆発が内側に向かう特殊な相補色反応で確実に標的だけを破壊する。その仕様が今回に限っては仇となった。

『クソッタレ……!』

光柱は微妙に軌道を逸らし、建物の手前に伸びる道路に刺さる。それでも横っ腹から三分の一を食い破ったが、そこにとどまった。

(――4射目)

 発射シークエンスを促すスクリーン上のボタンの上に手がかざされる。先程の着弾で残りのシールドは3枚。2枚を切るとバリアフィールドの維持が不可能になり、直撃の恐れが出てくる。大気圏を突破し追加ICを地上から受信できる距離まで移動する間、バリア無しでの生存は絶望的だ。かといってこのまま地上施設を放置すれば、フロント4人で前線を支えきれない。この状況下では次発も命中する確証は無かった。それでも撃たなければ0%だ。

『ジェイスン。撤退だ』

かざした手が握りこぶしに変わり、スクリーンに叩きつけようとした瞬間、耳元で至極平坦な声が聞こえた。

『悪りィな、どうにも酒の入りがよくねェ』

もうごめんだ、と思った。何も誰も彼も救おうなんて聖人君子になるつもりはない。ただ自分の敷いたレールの上に立っている人間に列車を突っ込ませるような真似は、もうこりごりだったのだ。振り下ろそうとした拳は再び手のひらに変わり、ゆっくりと節くれだった指を載せた。

『おじさん。父との約束はこんなところで反故ですか』

聞き慣れた声が、湧き上がっていた血流の中に冷たい一筋の一滴となって染み込んだ。それは煮え滾るマグマを一瞬で凍り付かせ、氷塊へと変えるだけの力があった。この感覚を、自分は目にしたことがあった。耳にしたことがあった。

(これを――)

忌まわしくも愛おしい思い出だった。苦渋の末に沼の底に投げ入れたはずのものだった。しかしその沼もまた自分の一部である以上、完全に捨て去ることなどできはしない。そういうことなのだろう。

(忘れるわけにはいかねェか……なぁ、ヘルリムよ)

既にエネルギー供給が始まっている砲塔の制御機構にセーフティを起動させる。が、この時点での中断は逆に危険だと判断したのか、安全装置自ら停止を突っぱねた。

『強制離脱だ。OAユニットを切り離し、大気圏突入態勢に入る』

背部の衛星ユニットをマニュアルで解除し、解放された背面のサブアームに、握らせた小型のAPSブレードで機体前面と砲身の接続部を切断した。瞬間、回転蹴りを繰り出して砲身を前方へ押し飛ばす。APSSを最大濃度で展開し終えるか否かの瞬間、行き場を失った『コールド・レイ』の画力が暴発した。

幸か不幸か、その相補色反応に幾つかのミサイルが巻き込まれる。迂回するように機体を滑らせると、数少ないデフォルトオプションである専用の防護ユニットを装着する。ちょうどクラゲの傘のようなお椀型の外装を機体前面に固定する形だ。

『オヴォステア、降下コースに入りました。現在の軌道だと、前線まで移動するのにおよそ1時間半』

『ピンチに駆けつけるヒーローになり損ねたな』

『……また次の機会があるさ』

視界が吹き荒れる熱と暴風で赤く染まる。大気の壁を経て重力の園へと、一機と一人が帰っていった。

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