10.

(くっ……うぅっ……!!)

 鮮烈なイメージの奔流が脳内を蹂躙し、思わず手放しそうになる意識を、亜矢は懸命に手繰り寄せた。


 胴体の中央を目指した一条の破壊力は、シトメギが新たに抜刀した二本の刀によって受け止められ、ずれた軸先は右肩の一部を削り取るにとどまった。以前サハルスカの優位は続いていた。追撃を入れるには十分な時間があった。が、サマーソルトと同時に後方へ飛び退き、数百メートルの距離を離した。

 パイルが射出機に収納されていく中、現状認識を改める。シトメギの背部にマウントされていた鞘が位置を変えていた。縦向きに機体に寄り添うように固定されていたその片側一本が、そこに刀があれば居合が出来るような腰横で細い上端の口を開けている。そして、残るもう一本も同じ位置へとサブアームが導いた。左側の鞘口からは紅焔が、右側の鞘口からは蒼焔が零れ落ちる。その煌きは、ICが描き出すそれとは一線を画した、鮮明な色彩を放っていた。


『あなたたちは……狂ってる』

伊瀬燈香は交通事故で両足を失ったわけでは無かった。あの大会以前に、自らの手でその足を切り落としていた。それで得た力が、あの強力無比な抽象系画術であり、写実系画術であるハフフィックとの並列使用なのだ。


 異なる画法の画術の並列使用。

それは、本来人間の想像思考には許されない行為でありながら、見覚えのある技術でもあった。

 同じ性質の画術でさえ、並列使用にはISDによるマルチローディングの補助が無ければ、イメージ同士が混濁し不整合を起こす。

 抽象系画術は、その発動に写実法以上の強いイメージの構築を必要とする。それは他のイメージの介在を拒否し、主観の完全な統一を意味している。だからこそ強力な画術が成立し得る。もしこの並列使用を実現するとしたら、独立した主観がもう一つなければならない。それこそ、多重人格でもない限り不可能なことだった。現実には二つの人格があっても出力装置たる脳が一つであるため、イメージの構築はできても描出には至らないのだが。

 ならば想像回路自体を二つに分割すればいいじゃないかと、過去のある画術研究者たちは考えた。そして、それを実行に移した。その負の遺産と呼べるのが、サハルスカに試験搭載されたDIS――Dividing Imagination Systemだった。だが、未完成ゆえにこのシステムはフィクターに強いる負荷が高すぎた。安定した使用のためには任意の強い感情を呼び起こす記憶のイメージを形成させなければならず、それが強制的に呼び起こされるために精神への悪影響が観察されたのだ。

 結局このシステムは本採用に至らず、ICのみに使用を限定した、現在のマルチローディングシステムを内蔵したISDが開発された。ISDとは、本来DISをもじったダブルネーミングであることを知る者はほとんどいない。

 不可解な機体の挙動も、考えてみれば同じトリックだった。ICによる制御ではなく、抽象法による移動補助を行っていたのだ。そしてパイルバンカーの一撃を退けたあの刀も同様だった。

 燈香の駆るシトメギにもDISかそれに準ずるシステムが搭載されている。

 それを確信させた何よりの証拠を、その目で見ていた。

 二本の長大な鞘がアームによって操られて動く。腰部を挟んでハの字型に広がったそれらの片方。蒼い炎を纏った灰色の鞘の内側に、赤い文字列が刻まれていた。


EPM12-02/F.D.[Sitomegi]


 父親が参加し、その身を朽ち果てさせる元凶ともなった軍事機密の計画。そこで生み出された“先行試作機”の一機であることを示す刻印が。

『……ぅ、はぁっ。……ふふっ、あなたに狂い者呼ばわりをされるとは。狂気の線引きも、低くなったものです』

耳朶を打つ荒い息交じりの燈香の声は、平生の冷静さが損なわれ、怯えすら感じさせるものだった。

『――アレは何なのです? あなたの抱えるあの記憶は……。とてもではありませんが、人が抱えるものの範疇ではない』

『残念ですが、お答えできません。……私、実は記憶喪失で。昔のことを覚えていないんです。でも、あの出来事だけは私が背負うべき罪なんだって、それだけが私の中に残ってる』

 交差された両腕が何もない鞘口に手を当てると、陽炎の如き刀身と柄が描き出される。最早不可視の速さで抜刀されたそれらは、それぞれの鞘と同じ炎を纏った×字の斬撃を空に刻んだ。技術など何もない本能的な反射で避けたサハルスカが存在していた位置に、斬撃が到達する。

『わたくしが狂っているのなら、あなたは歪んでいます』

 その一撃で空間がことを知った。まるで水彩画の描かれたキャンバスに水を垂らしたように、斬撃が刻まれた位置の風景がにじんでいる。


――自力でぶち破ろうとしたら、推定値でも再現率170%越えの画術をぶつけないと――


 あの画術は、『斬る』という概念を形にした斬撃は、再現率でこの風景画術を上回っている。それはすなわち、あの一刀を受けることが実体を斬られることと同義であることを意味した。文字通り、必殺の一閃となる。

 鞘が回る。シトメギの背後で横向きに左右で交差され、両逆手で抜刀された。演武さながら連続して宙に刻まれる斬撃の軌跡が、そのままの形で空間に残痕の格子を描いていく。

 機体に迫る画力反応だけを頼りに回避に徹していたが、徐々に自分が追い詰められていることを知っていた。そしてそれが、致命的な結末につながることも。

(動きを封じられた、か)

縦横無尽に張り巡らされた蜘蛛の糸のような空間の傷が、サハルスカを囲い込んでいた。サブアームは両方とも切り落とされ、補助ウイングも大きく欠けている。

 運命を宣告するように鞘が回った。二つの鞘が横並びに接合され、一つの鞘となる。肩口に据えられたそれを、燈香は両手で虚空を掴む。現れた大太刀は、紅と蒼が溶け合い薄紫を呈する画力の光に包まれ、その惨酷な威力とは裏腹に例えようもない優美さを醸した。

 

 死が、奔った。


 応えたのは、金属の砕ける硬音だった。

 空間に置かれた傷跡の檻を、杭が打ち砕く音だった。刃物を側面から割る破砕音が戦場を埋める。死神の鎌の一振りを脱したサハルスカの両腕は、黒と橙に染め上げられた一対のパイルバンカーに変わっていた。鈍い金色の杭を打ち込んでは引き戻し、それを左右交互に繰り返す。そうしてできた道を辿り、亜矢は燈香の元へと疾駆した。

 燈香は大技を繰り出した反動を抑え込みつつ、鞘を分割して基本となる腰横の位置に再配置。限界の近い画力全てを注ぎ込み、続けざまに二刀の抜き打ちで迎え撃った。


 サハルスカの右腕が突き出され、杭が放たれた。シトメギの一刀目が芯を捉えて真っ二つに両断しつつ、右腕を肩から削ぎ落とした。

 右半身を戻す反動で左腕が突き出され、杭が放たれた。二刀目がその質量を受け止め、刃が鉄塊に食い込む。そして燈香は気づく。杭打ち機が二連装になっていることに。

 左腕、二発目の杭が遂にシトメギの胸部装甲を捉えたとき。二刀目の刃が射出機を突破し、袈裟懸けにサハルスカの胴体に接触した。

 

 時計の針が止まる。

 燈香は死を確信した。双方が致命の一撃を届かせる中、シトメギの刀が風に吹かれた灯となって消えた。供給画力が完全に途絶えたのだ。ハフフィックというよりは“ハフフィック形式の抽象系画術”と言うべき機体は、アンバランスな設計上異常に燃費が悪い。更に莫大量の画力を消費する画術兵器『双閣楼』を惜しみなく展開したのだから、当然の結果と言えた。むしろ今の今までよく持ったものだった。

 もはや亜矢の攻撃を防ぐ手段はない。これが人生の行き着く先だというなら、自分には相応の末路なのかもしれない。そう納得し、来るべき瞬間を待った。しかし、それはいつまで経っても訪れなかった。誰の采配か、亜矢が突き立てんとしていた杭も消えていたのだ。恐らく、あちらも画力の限界を迎えたのだろう。

 両機は重力に抗えず地面に引きずり降ろされる。僅かに跳ねて静止した巨体もすぐに消失し、実体が投げ出された。受け身を取ることもできず、二度目の落下で肺の空気が失われ、激しくせき込んだ。習慣でフロートチェアーを呼び戻そうとISDにイメージを送るが、描出するだけの画力は残されていなかった。当然、画術で形成していた両足を維持することも出来ず、痛む両手での匍匐を余儀なくされる。そうしてやっとのことで方向転換すると、目にした光景に慄然とした。


 片腕を失った亜矢が、その出血もいとわずにふらふらと歩いている。その口は同じ台詞を壊れた機械のように繰り返し、ただどこかを目指してさまよっていた。

「まもらなきゃ……、わたし、が。まもらない、と、」

 燈香には分からなかった。何があの少女をあそこまで駆り立てるのだろうと。新枝怜人という少年を探していることは知っていた。彼女は彼のことを好いていて、だからあそこまで必死になれるのだろうか。もし仮に自分に恋人がいたとしたら、言葉だけでなく本当に命を賭してまでその身を案じることが出来るだろうか。

 それはもはや愛ではなく、狂気と呼べるものではないか?


 軽い砲弾が落着した時の音が聞こえ、瓦礫が天井から落ちてきたことを知った。見上げると、ぱらぱらとアーチを形作る破片が不吉な崩れ方をしていた。戦闘の余波で、天井全体が崩落しかかっている。ここに長くいるのは危険だった。だが、動こうにも動けない。

 亜矢の姿が鉄骨の刺さったコンクリート塊に重なって見えなくなったのは、それから数秒のちの出来事だった。続けていくつもの瓦礫が隕石となって降り注ぎ、辺り一帯を岩山に変えた。地面と灰色の塊の隙間から赤い血の流れが顔を出し、とぐろを巻いていた。


 歩凪からの連絡があってから彼女がドームに現れるまで2分とかからなかった。ドームの中央付近で転がっていた主人を見つけるなり、その眼に涙を浮かべて抱きしめた。その心配性が、燈香は何より暖かく感じた。

「燈香さま……ご無事で、よかったです」

「心配を掛けました。ごめんなさいね」

「いえ、燈香さまがご無事なら、わたしは……。でも、一体何があったんです? ここまで消耗なさるなんて、」

 歩凪が亜矢と知り合いだったことを思い出した彼女は返答に窮した。そして、状況に助けを借りることにした。どこまで自分は卑怯なのだろうと、自虐を押しとどめることは出来そうになかった。

「……後でお話いたします。今はここから脱出いたしましょう。どうやら、嗅ぎつけられたようです」

「そ、そうなんです! 北米協商の部隊が来ていて……! えぇと、風景画術を破壊して外に出ますね!」

「刻印術式……また、警察のご厄介になりそうですね」

「燈香さまのためならへっちゃらです。じゃあ、背負いますね。失礼しますっ」

画術で飛躍的に強化された身体能力で軽々と燈香を担いだ歩凪は、力任せにストレートを打った。拳の先の空間がにじんだあとに砕け散り、現実世界の会場が垣間見える。二人は風景の裂け目に身を投じ、そして人気の失せたドームが本格的に崩壊を始めた。

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