5.
サハルスカが着陸したのは、廃墟と化した巨大ドームの内部、その中央付近だった。大穴の空いた天井部から侵入したそこは、外部と同じく腐敗と錆に支配されており、感じるはずのない黴臭さが鼻を突くようだった。
センサーの感度を最大限まで上げ、周囲の画力反応を精査する。藤樹から渡されていた座標はほぼ自分の位置座標と同一になっていた。誤差を考慮しても、この付近に怜人がいると判断して問題なかった。
難航すると思われた探索は、しかし、意外な形で終わりを告げた。円形に取り囲む観客席の奥、建造物の内部から一つの画力反応が近づいてきたからだ。
『なんで、あなたがここに』
暗がりからその姿が徐々に露わになる時、ワイン色の衣装は縋りつく周りの闇と溶けて輪郭を曖昧にした。ゆっくりした前進が観客席を追い越し、ドームの宙に浮かぶまで、十秒強の時間を要した。
『伊瀬さん』
着物の少女は沈黙していた。語るべき言葉を逸してしまったかのようだった。ただ、沈痛な面持ちで灰色の機体を見つめていた。
『私、大切な人を探してるんです』
ほとんど無意識のうちに言葉は紡がれた。
『いきなりこんな、わけのわからない状況になって、危ない目に遭ってるかもしれない。だから私が行って、助けないと。そうしなきゃ、私は……、』
「……亜矢さん。一つだけ、申し上げられることがあります」
燈香の声音は、何かを無理矢理押し殺した灰色に染まっていた。
「あなたの探し人は、もとよりこちらにはお見えになっていません。現実の方におられるのでしょう」
『え? じゃあ、無事なんですか……?』
「……ええ。身の安全は、保障されていることでしょう」
よかった。亜矢は自分の口がそう動くのを他人事のように感じていた。それが単なる意志の反射であることを知っていたからだ。歯車のように己を律する理性が、何一つ納得などしていなかった。
『伊瀬さんは、ここで何を? 外で何が起きているのか、ご存知ですか?』
『重々承知しています。ですが、わたくしも巻き込まれた側の身。とっさの出来事でしたので、お付きの方々を伴い、この建物に避難していたのです。どうやら外の方々はあなたが平らげてしまったようで、少々困ってしまっています』
ほんの僅か咎めるような口ぶりの少女に、サハルスカはその物々しい殺戮の道具を突き付けた。今この瞬間ほど、嘘だと見抜いた自分の察しの良さを呪ったことは無かった。
全身を伝う悪寒が、自らの行動を戒めていた。恐らくこれは正しい読みなのだろう。しかし確実に、自分は踏み込んではならない方向へと足を進めている。意味するところが何であれ、引き返せない泥沼の向こう岸へと手を伸ばしている。
『本当の事を教えてください。あなたが、知っていることを』
「……嘘は、申しておりません。ただ――あなたが来るとは思っていなかった」
彼女の座する白銀の脇息が空中で半回転する。
「ここへ来るのは跡木真秋、彼のはずでした。彼なら、正規の軍人四人を相手に戦端を開くなど考えもしなかったでしょう。ですが、実際に現れたのはあなただった。そして、辿り着いてしまった」
『それは、どういう……』
「わたくしが想像するより、選んだ道は業の深いものだった。そういうことなのでしょう」
言葉を切り、彼女は緩やかに身体を起こし、立ち上がった。下駄を履き白い足袋に包まれた足先は、確かに宙に透明な波紋を残して亜矢に向かって数歩を刻んだ。寂しげな笑みに飾られた燈香は、ぞっとするほどに美しかった。
「わたくしは、あなたを殺さねばなりません」
その時、殺意というものが形象を取る瞬間を垣間見た。人一人が放っているとは思えない画力が一陣の風を成し、身を包んで余りある灰色の劫火が彼女の衣をはためかせる。
ひと時の幻を彩った風が止み、炎が消えた。そこに立っていたのは、灰色を基調に薄紫の装飾が施された鋼鉄の巨躯だった。
武士の軽鎧を思わせる、必要最小限に削ぎ落とされた装甲。腰に据えた一本の太刀を除いて何も装備を持たない簡素なシルエット。そして戦局を見透かす双眸は翡翠色。
かつて並ぶ者無しと謳われた幻の一機が、再びその威容を顕現させていた。
『あの時』
金属の肉体を通して、燈香は静かに語りかけた。
『またお会いしたいと、そう願ったのは本心でした。もちろん、このような形でなく』
『じゃあ、なぜ――!』
『致し方無いのです。それが既に描かれた「先」の景色であるならば、わたくしたちはそれを受け入れるしかない』
抜刀の瞬間、音の代わりにさざ波のような青い光の粒子をこぼれる。相対するサハルスカは右腕と一体化した巨大な実体剣を描き出し、左腕にAPSマシンガンを携行する。全身にも高機動戦闘用オプション群“スワローアーツ”を装着していく。
『私だって、まだあなたのこと何も知らない。だから、話してもらいます。私が知りたい事を、あなたを縛るものを』
その無機質な面がどこか懇願しているように見えたのは気のせいか。
見守る者のない果たし場で、互いの意志と矜持が交錯した。
『――“シトメギ”、参ります』
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