4.

 粉塵が舞った。

 藤樹の駆るアーベライトが倒壊したビル群を縫うように、しかしある一点を目指して進む。機体の遠隔レーダーが捉えるISDの反応は、その先にあった。気掛かりなのはその周囲に幾つかの未確認の反応もあることだ。部員のものかと思っていたそれらは、近づいて情報の精度が上がるにつれ、全くの別物であることが分かっていた。

 国画高専の目的は分からないが、わざわざ来夏を暴走状態にさせたということは、そこに利用価値があるからだ。ならば本人に積極的な危害は加えないはず。分かってはいても、これだけの事を平気で起こしたような人間に常識的な行動原理が当てはまるかどうかは未知数だった。明らかに速度を上げ過ぎているせいか、制御しきれず時折地形にかすってバランスを崩すが、どうしようもなくはやる感情が減速するという選択肢を与えなかった。

 荒廃した摩天楼の谷間に差し掛かり、藤樹は背部の予備センサーを格納し、代わりにサブアームにマシンガンを保持させる。全面にAPSSを高濃度で展開し、ジャミング代わりに敵の探知を警戒しつつ、地表に降り立つ。遮蔽物となる鉄とコンクリートの残骸に身を潜めながら、目的の座標へと近づく。2車線の十字路には周囲と変わらない退廃的な光景が広がっていた。

(反応は、地下)

注意深く観察すると、埋もれかけてはいるものの、地下鉄の入り口のようなものが見えた。部長から渡された設置型の爆弾を使うことも考えたが、内部構造が分からない以上、崩落の恐れがある。生身で乗り込むのは避けたかったが、そうするしかないようだった。

 判断は一瞬だった。彼は入り口前まで近づくとハフフィックを降りて簡単な携行武器を身に着ける。機体は下方への構造解析に注力させ、手元のコンソールと情報をリンクさせる。踏み出した前方で口を開けている下降階段から、埃っぽい腐敗臭が吹き上げた。


 よくプレイするFPSのシチュエーションに酷似していながら、実のところ何もかもが違う。いかにあれがゲームとして整えられた環境であるのか、彼は今まさに身を持って体験していた。物理的なトラップは、人為的な機械仕掛けなら全て地上のアーベライトが探知する。ISDを付けた人間も同様だ。つまり、基本的な安全は保障されていた。にもかかわらず、全身を張り詰めさせる緊張は一向に解ける気配がなかった。ホラーゲームの探索とも違う、場の雰囲気以上に恐れさせるもの。それが状況という名の悪寒だということにまだ気づいていなかった。

 それでもサバイバルゲームで鍛えたフットワークとポジショニングは健在だった。人間、最後に頼れるのは身に染みついた習慣だけなのかもしれない、と藤樹は乾いた喉を唾で濡らした。駅の構内に出たところで、コンソール上の反応が10メートル圏内を示すサークルに収まった。ホームには、窓ガラスが一枚残らず割れて途中で脱線している車両が、思わせぶりに停車していた。まとわりつくようなISDの反応も同じ位置に留まっている。その数、三つ。

(あれだな……、待ってなよ、来夏)

ベルトから取り外した筒状の発煙手榴弾を線路に向かって放り投げる。元々暗視装置が無ければ目視がほとんど聞かない闇の中、色鮮やかな煙が攪乱するのは攻性画術だった。術式の発動地点で明らか色調の変化が起きると、術自体が中断されるか、効果が大きく弱まる。実弾に関しては、ISDのセーフティが備える標準装備、簡易APSSが防いでくれるという算段だった。

 掌にフルオートの拳銃を握りこみ素早く車両に滑り込むと、ついに来夏のISD反応が目と鼻の先に近づく。小さく息を吐き、連結部をまたいで隣の車両へと突入した。

(いた……!)

左右の座席の間、錆びついた床の上に来夏は仰向けに倒れていた。両手両足を黒い帯のようなもので拘束されている。その少し手前、ひしゃげた角の手すりに寄りかかるようにして、一人の女子生徒がこちらに拳銃を向けていた。直後、銃声が二回響いた。

 一発は生徒の手の甲を掠め、もう一発はその拳銃を打ち抜いた。一応狙ってはいたが、自分の実力からすれば完全にまぐれだった。こんな時でもツキはあるんだなと己の幸運に感謝しつつ、彼は銃口をそらさずに車両を中ほどまで進む。足元には、同じ国画高専の制服を着た生徒が二人倒れていた。レーダーが捉えたISDの主のようだ。一見しただけで、けして軽くはない傷を負っていることが分かる。それはもう一人の学生も同様で、恐らく構えただけ銃弾が飛んでこなかったのは、トリガーを引くだけの力が残っていなかったのかもしれない。ここで一戦交えたのは確かだった。問題はその相手が誰かということだが、関心はそこにはなかった。

「来夏!」

思わず上ずった呼びかけに応じたのは別の声だった。

「無駄だよ」

 撃たれた手をかばいながら言い放ったその言葉は、あざ笑うような語調に反して弱弱しかった。藤樹は相手の反撃の可能性も忘れてつかつかと迫ると、首元の襟をネクタイごと掴み、その茶髪に得物を押し当てた。

「何をした」

さあねぇ、とかすれた声ではぐらかした彼女のローファーに、小さな鉄片が貫通した。苦悶のうめきは、沸点を超えて冴えた頭には響かない。どうせここは風景画の中だ。これだけ高再現率であれば現実へのフィードバックも甚大だろうが、死にはしない。冷酷な怒りだけが思考を支配していた。

「答えろ。何をしたんだ」

背後の来夏は身じろぎもせず、ただ眠るように天井を見つめていた。ただICが暴走しただけでこうはならない。死んだように、という表現を頭から振り払い、とにかく言葉を吐き出すことを考える。

「来夏のハフフィックを除装させろ、今すぐ。僕は結構気が短いぞ」

のろのろと動かした右手が、背中の後ろに隠していた一枚の小型ディスプレイを引っ張りだし、床に放る。所々が乾いた血で縁取られていた。それは落ちた衝撃か彼女が操作したのか、用途通りに空中に映像を投影した。

「はは、あんたらの部長は強いねぇ。もうあの子、持たないじゃん……」

げほ、と赤い吐息を漏らしながら、女子生徒は不敵に笑みを浮かべた。その意図が分かりかね、藤樹が思わず銃底を振りかざしたときだった。間違えて自分の頭を殴ったのではないかと勘違いするほど、続く彼女の言葉が脳裏に反響した。

 

今、こいつは何と言った?


「だからぁ、あれは本人の意思に依存した自己肯定型の強制フルダイブシステム、なんだってば……。一度感染したら、もう外から解除は、出来ないんだよ。分かる? あは、」

「ふざけるな……」

「『ここ』の風景、リアル過ぎて引くでしょ……? こんな場所でさぁ、フルダイブなんかして撃墜されたら、どうなると思う?」



――死んじゃうよ。


「ふざけるなよぉおおおお!!」

拳銃を投げ捨て、力任せに彼女の頬面を殴りつける。女性の顔面を殴ったのは生まれて初めてだったが、拳の感覚など何も感じなかった。

「くそっ……くそっ、くそぉっ!!」

ここの女子生徒たちが負傷しているのは、きっと鎮圧に来た政府軍と衝突したからに違いない。来夏を陽動として暴れさせるためには、実体を保護しなければならない。そして頃合いが来たら、味方と戦わせてあわよくば同士討ちを狙ったのだ。自分たちは状況を把握していたつもりになって、まんまと踊らされていた。

「……っ、そうだ、来夏は!」

 力尽きて崩れ落ちた女子を無視して、ディスプレイを拾い上げる。そこではアエス・フォレスの黒い斬撃が、動きの鈍ったオラージュ・ダスィールの装甲を切り飛ばしているところが克明に映し出されていた。それは同時に、彼女の命が削り取られていることを意味していた。通常の競技で使用されている描形式風景画術は当然ながらセーフティリミッターが掛けられ、過激な戦闘を行っても現実へのフィードバックはほとんどない。しかし、今展開されている風景は抽象法で編まれた、本物の風景画術だ。そして描き手である画術師は、この風景に現実に限りなく近い感覚条件を組み込んでいる。来夏はこの環境下でダイブモードを強いられているのだ。

(部長に伝えないと)

 ダイブモードではコアとなるICジェネレーターが無くなる上、機体制御を神経系と同調させるために部分が損壊しても本人が耐えられれば稼働し続けられる。だから無力化するには一度完全に解体するしかない。頭部を飛ばし、四肢を切り落とし、コクピットを貫かなければならない。そうと気づけば部長もそれを試みるはず。

(遠隔通信は……、繋がらない)

分かっていたことだった。風景画術の中で、比較にもならないちゃちな画術は色を保てずに塗り潰されてしまう。ハフフィックの維持ですら、ISDにかなりの負担がかかっているぐらいなのだ。

(なんで、こんな……っ!)

 自分の端末を取り出すと、ポーチからスキャニング用のケーブルを伸ばして来夏のISDと接続する。内部システムの現状が確認できると、ゆっくりとケーブルを引き抜いた。ウィルスは機体と一体となった来夏の想像中枢に達している。もうこうなってしまっては素早い排除作業は不可能だった。

 代わりに倒れ伏す来夏の戒めをトラップ解除ツールで解き、ゆっくりと背負いあげる。

「大丈夫だからな。僕が、何とかして見せるから」

 彼女の全身から伝わってくるぬくもりが、唯一残されたか細い希望を奮い立たせた。もう道は残されていなかった。焦るという感覚は当に麻痺し、ただ行かなければならないという一心で、藤樹の身体は動いていた。地上への階段を駆け上がり、ディアクティブモードにあったハフフィックを叩き起こし、来夏をコクピットシートの横に寝かせる。機体コンソールを開いて不必要な武装や観測機器類を全てデータ化し、ISDに収めて機体重量を減らす。伏兵や追撃の心配をしている場合ではなかった。ISDをハフフィックとリンクさせ、脳内空間に浮かび上がるワイヤーフレームに全神経を集中させる。打上げロケットの如くブースターを噴出させて飛び上がった機体は障害物の無い上空まで舞い上がると、二機のハフフィックが交錯する地へとその推力の限りを振り絞って突進した。

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