第4節 Des Marionnettes (後編)

1.

 加速に専念していたサハルスカが前触れもなく空中で水平に跳ねる。機体をロールさせつつ全身の推進器を同方向へ向けて吹かせ、横へ滑ったのだ。最後に回った背部の可変翼の一部を、一条の青い閃光が焦がしていった。狙撃だ。広域レーダーレンジ内にハフフィックとそれに準じるIC反応は無い。まともな機体が今のような精密射撃を行うには無理がある、超長距離からの攻撃ということになる。ロングレンジに特化したカスタム機か。だとしても、試射の弾道補正も無しに初撃からあの精度は中々出せるものではない。考えられるのは、

(Fタイプ、か)

だとするならかなり厄介なことになる。競技用の風景画と違ってこの風景内にはリミッターが働いていない。武器の出力は上げ放題だし、ICの過積載も可能だ。自分も、相手も。アタッチメント周りが同条件ならあとは機体性能と腕で決まるが、Fタイプは一般のT.D.とは違い完全な戦闘仕様だ。敵機を殲滅することを目的に造られた純粋な兵器と、種々の用途の為に特化した一般機。そこには決定的な性能差の開きがある。そもそも現行量産機がS.D.――第二世代をベースにダウングレードして製造されているものなのだ。

 そして何より、Fタイプの携行を許可されているのは基本的に軍人だ。警察の対画術特殊部隊にも配属されていると聞いたことはあるが、それにしても実戦を想定した訓練を受けたフィクターであることに変わりはない。無論そうやすやすと墜とされるつもりもなかったが、決定打が無いまま戦闘にもつれ込めばじり貧になるのはこちらの方なのは、火を見るよりも明らかだった。

 

 APSSを一瞬だけ高濃度に圧縮展開して敵のレーダーを誤魔化し、その背後でダミーを生成する。高層マンションらしき廃墟の横腹に迫ると狙い過たず二射目が飛来した。自身は着弾の寸前にシールドを解除して素早くマンションの影に回り込み、距離を離しつつ下降。大口径のエネルギー弾がダミーを吹き飛ばし、マンションの中腹が実際のそれと同等の規模の爆風でごっそり削り飛ばされる。雨あられと降り注ぐ瓦礫に紛れ、機体は一段低い立体交差の下に身を潜めた。

(これで騙しきれるほど甘い相手じゃないだろうけど、時間稼ぎ程度にはなるかな。必要なことも分かったことだし)

狙撃の瞬間、指向性の遠隔レーダーが射線の行き着く先にあるものをぼやけた画像情報として捉えていた。その無個性ながら整ったシルエットは、Fタイプのものだった。

 ディスプレイの端に映る時刻は、真秋と別れてから10分弱が経過していた。あまり悠長なことはしていられない。ただでさえ負担が重い組み合わせだというのに、敵は増援の可能性もはらんでいる。なるべく早くこちらの案件を済ませて合流したいところだった。ISDにプールされたICのストックを確認する。あと一戦、小出しにやりくりすればあと二戦といったところか。敵の総数は分からないが、スナイパーがワンマンでいるとは考えにくい。ツーマンセル、スリーマンセルぐらいは予想して然るべきだろう。

(鎮圧に来た政府軍なら、一ヵ所に留まるような真似はしないよね。これだけ全域で戦闘が行われてるんだし、ここで何かあったとしても片付いたら次へ移動するはず)

基本的に狙撃というのは通りすがりにするようなものではない。予め射程圏の安全を確保し、万全の体勢を整えた上で『待機する』戦術だ。なら、あそこに留まる理由があるはずだ、と直感した。

(なんにしても戦闘は避けられない、か)

 目的のISD――怜人の反応は、Fタイプが陣取る場所に近い。それが偶然なのかは分からなかったが、やるべきことは変わらなかった。ダイブモードへ移行することの危険性を踏まえても。

 おもむろに灰色の巨躯が消失し、トレーナージャケット姿に戻った少女はがたついた道路の上に着地した。ハフフィックのインストールされたブレスリング型ISDを停止させると、髪を通して首からするりと抜く。そして上着のポケットに忍ばせておいたもう一つのブレスリングを取り出した。シンプルなデザインの古めかしいそれを持つのは久しぶりだった。もう二度と使わないだろうとお守り程度に持ち歩いていたそれは、十年近い時を経て未だ父の存在を感じさせる。父と共に戦場を駆け、血と硝煙に塗れながらも帰還した一機を、自分は今再び本当の姿で呼び起こそうとしている。


 使わないで済むなら一番いいけどね、と病床に倒れる前の父はかつて言った。

 でも使うことでしか切り開けない道があって、それが求められるならためらわずに使いなさい。

 その選択肢を与えられたのは、私の娘のお前だけの特権だ。

 そう言って自慢げに笑っていたのを、今でもよく覚えている。

「また借りるね」

 彼女の白く艶めかしいうなじを灰色のリングが彩る。フルフェイス・スクリーンが頭部を覆い隠し、眼前には情報処理を施された視界が広がった。ICのアクティベートが自動で行われ、全身の感覚が一瞬途絶えるような浮遊感が訪れる。次の瞬間、亜矢の肢体は巨大な痩躯へと変貌していた。灰色の画性金属に覆われ藍のペイントが施された外観は、ディテールを除いて以前のそれとさほど変わらないように見える。ただ一つだけ、頭部のデザインが大きく変更されていた。T字型の細いカメラアイが、中世の甲冑を思わせるスリットタイプに変わっている。

(ハフフィックは操り人形じゃない)

自然と口を突いて出た言葉は、図らずもいつの日か父親が告げたものだった。

(人が人と戦うための、心の殻)

システムチェックが完了し、ISDとのリンクが完全に果たされたことを報告するメッセージがスクリーン上に書き込まれ、ピリオドが打たれると同時にかき消えた。

 横に裂けた冷厳な装甲の奥で琥珀色の眼光が妖しく揺らめく。それは、十数年来の主人との邂逅を歓喜しているかのように見えた。


「さぁ――いくよ、サハルスカ」




立ち並ぶ錆色の都会の風景にあって、旧世代のドームスタジアムのような建築物は珍しいと言えた。もちろんそれも本来のような美観は損なわれ、破れた雨傘のような痛々しい様相をさらしている。その構造はこの風景のキャンバスとなっているペイントリウムとよく似ていた。

閉じた円錐型の屋根の上、外延部に散らばる影が3つ、少し離れたビルの屋上に一つ。いずれも人を超えた巨体を持つ、機械の集団だった。

『ターゲット、ロストしました。が、ダミーを掴まされた可能性も否定できず。加えて、僅かながら指向性レーダーの反応を探知。捕捉された模様』

『了解。シエラ3はポイントBに移動後、狙撃体勢を維持したまま広域索敵を継続。シエラ2、シエラ4両機は散開して外周を警戒、攻撃に備える。APSジャミングの確認を怠るな』

ナンバーが割り振られた男たちがそれぞれ了解、と返す。指示を送ったシエラリーダーの名を冠する男は、濃緑のカラーリングに染められた機体のアームが保持する、APSアサルトライフルのエネルギー残量を確認していた。

『何かあったのですか』

不意に、別回線から若いおっとりした女性の声が耳に届く。こちらからは何の連絡も行っていないが、彼女が自身で画術の行使を感じ取ったのだろう。発射時の画力放出を抑えるハイドスナイプ機構を使用した銃撃を聞きつけるとは、尋常でない画術師であることは確かなようだ、と彼は思った。

『学生のものと思われるハフフィックが一機、こちらの索敵圏内に侵入。シエラ3が砲撃にて対処しましたが撃墜できたとは断言できない状況にあり、付近の警戒を行っています』

『こちらのことは見抜かれたのでしょうか?』

『シエラ3の位置情報は掴まれましたが、残りの機体はまだ未補足でしょう。当然、あなたも』


 女声の主、すなわち、このドームの内部に待機している一人の学生は、彼らが今回の任務で請け負った護衛対象だった。多発している国内のテロにおいても、今回のような大規模なものは珍しい。少数精鋭で小回りの利くシエラ小隊は、その性質上哨戒・偵察任務などに就くことが多く、だからこそ掃討戦のような作戦にはお呼びがかからないものと思っていた。

 ところが、作戦立案早々に出撃要請がリーダーの元へと達されていた。しかもKAWASAKI政府の防衛長官直々に、だ。内容は、一人の学生の保護と、事態鎮静化までの安全確保。そしてそれを脅かすものの排除。平たく言って護衛だった。何か裏を感じずにはいられなかったが、任務と割り切るしかないのも現実だった。


『……その機体、どのようなものかお分かりになられましたか?』

『いえ。ただ、通常の量産機でないことは確かです。どこかの企業の試作機かカスタム機かは、まだ判然としません』

『そうですか。……お仕事中に、お邪魔をいたしました』

それきり、通信は途絶えた。意識を戦場に専念させ、彼は各機の状況報告を待った。彼もその同僚も、学生相手に重火器を向けて引き金を引くのは初めてでは無かった。しかし、どこまで行っても慣れることが無いのも同様だった。この躊躇いが失われたとき、きっとそれは人として最低限の尊厳を失ったときだろう。彼はそう確信していた。

 シエラ3の位置情報を示すビーコンが既に二つ目の狙撃ポイントに到着しているのを受け、リーダーは通信を送る。

『シエラリーダーよりシエラ3。レーダー範囲内の解析情報を共有データリンクへ』

応答の変わりに聞こえたのは、滅多なことでは生じない大音量のノイズだった。

『シエラ3、状況報告を。問題発生か』

声量を上げて続けた彼の言葉が終わる頃には、ノイズは嘘のように鳴り止みクリアな音声が届いた。それは透き通るような冷たさの女の声だった。


『シエラリーダー、こちらに交戦の意思はありません。ただ、少しだけお時間をください』


彼の反応は早かった。チャンネルを部隊専用のプライベートから軍用の暗号化通信に切り替え、全ての火器管制をアクティブにシフトした。接続状態にあったSATS――軍用衛星を用いたIC転送システム――との通信を行い、予想される使用ICのダウンロードを開始する。

『シエラ1、シエラ2。未確認機による攻撃だ、既にシエラ3が無力化された可能性が高い。ポイントBに急行、即時臨戦態勢を取れ』

『シエラ2、ポイントBに敵機とシエラ3を目視で確認。見たことのないフレームだ、新型か?』

『シエラ1、同じく敵機を有効射程内に捉えた。いつでも交戦可能だ』

『両機ともSATS登録武装レベル3までの使用を許可する。威嚇照射を行いつつ待機』

リーダーは再度チャンネルを切り替えると、シエラ3のものだった回線へと繋げた。

『こちらは作戦行動中だ。それを明確に妨害する行為を行った場合、法律上、現場指揮官の判断により発砲が許可されている。そして当然ながらそちらの要求には答えかねる。よって即時武装解除を行い、投降せよ。30秒以内に返答が得られない場合、そちらを撃墜する』

『……私は、この大会に参加していた高校の生徒です。あなた方がいる場所に、私の知り合いがいるかもしれないんです』

『20秒』

『10分、いえ、5分で構いません。付近を捜索させてはもらえないでしょうか? そちらのお仕事の邪魔にならない範囲で構いません。どうかお願いします』

『10秒』

 彼は無感情にカウントを続けた。彼女の言っていることは本当かも知れなかった。しかし、今ここで不確定要素を持ち込むわけにはいかなかった。何せ、あっさりとシエラ3を戦闘不能状態に追い込み、回線のジャックまでやられている。普通の学生には到底叶わぬ手腕だった。オープンチャンネルを開き、その場に居合わせたすべての機体に告げる。それがメンバーへの合図となった。

『30秒が経過した。該当法に則り、機体をげき――』


『罠だ、リーダー!』


 割り込んだのは乗っ取られていたシエラ3のフィクターの声だった。その意味を掴み切れず、リーダーは一瞬困惑した。しかし、その間にも状況は動いていた。

『シエラ2、ポイントBの敵機がロスト! 画力反応ごと消失した!』

(まさか――)

そこで彼は一つの可能性を思いつき、それをありえないと否定しつつも行動に出た。

『各機、即座にSATSとの接続を遮断! 逆探知だ!』

SATSからの逆探知。それはメインデータベースへのアクセスが可能であるということを示す。そのアクセス権は軍内部でも左官以上にのみ与えられた権限であり、実際に作戦行動を取るフィクターにそこまでのアクセスレベルは無かった。ましてや、Fタイプでもない一般機には。

 衛星通信による戦況サポートが絶たれ、ICの供給がストップする。それは大きな損失だったが、結果的には正しい判断だった。彼の機体の直上から一つの影が凶刃を携えて飛来する。

 

 サハルスカだ。



亜矢の取った行動は完全な騙し討ちだった。

 まず行ったのはSATSへの回線接続と、シエラリーダーが予想したメインデータベースへのアクセスだった。アクセス履歴の検索と逆探知を行い、それによってオンライン状態にあった四機の正確な位置情報を掴んだ。そのうちの狙撃機が移動していることを察知すると先回りして潜伏し、強力なジャミングフィールドを展開して一時的に無力化。自機のダミーを設置すると通信回線を乗っ取り、他の三機の注意をダミーに引き付けた。意味のない交渉を続けている間、本体はリーダー機への接近を果たし、撃墜に至る直前まで漕ぎつけたのだ。


 が、シエラリーダーの対応速度も並ではなかった。後方上空から迫った機体の一撃を、素早くメインアームに展開したAPSブレードで振り向きざまに受け止める。すんでのところで一生を得た彼は、続く連撃をブレードと遅れて構えた実体盾とで捌いていく。彼の機体の周囲を驚異的な運動性能で飛び回る敵機を補足し続けるのは至難の業だったが、それでも一応の防戦を維持していた。そう思っていた。

 彼は視界を横切る敵機の挙動に再び驚愕を強いられた。こちらへの剣戟を続けながら、その機体は背部と肩部のサブアームで長物を操っていた。見紛うことも無い、シエラ3が使用していたスナイパーライフルだ。それをあの高速機動の中で発射している。狙われているのは自分では無かった。

『シエラ2、敵機からの長距離射撃を受けている! ……狙いが正確で近づけない!』

(馬鹿な……)

 空中を飛び回りながら精密狙撃など聞いたことがない。明らかにオペレーティングシステムの範疇を超えるものでありながら、マニュアルで出来るような芸当でもない。

 そもそもIC武装というものは、他人から手渡されればそれで使えるというわけではない。それはあくまで他人の創造の産物であり、当人の意識支配下を外れた時点で消失してしまう。

(ならあのライフルは一体どこから、)

『シエラ1、側面から挟み込む』

ビル影から現れた僚機が死角を取りながら射線を調整し、マシンキャノンで足を止めに掛かる。シエラリーダーは敵機が斬撃後に距離を取ったタイミングを見計らってジャマーグレネードを3発、移動経路を限定するように爆風域を形成させる。直線軌道を余儀なくされた敵機の側面と前方から十字砲火を叩き込んだ。

 

 爆発は二度起きた。

 そのいずれも、直撃を受けて散らばった装甲片は濃緑のそれだった。回り込んだシエラ1は、射撃を行うと同時に投擲されたレーザーブレードの一撃を。回避行動に専念していたシエラ2は、廃墟マンションを盾に逃げ込んだところを、上と左右から飛来した高誘導ミサイルで。そして硝煙の中、琥珀色の眼光でリーダー機を射竦める敵機は、後方にAPSS、前面に軍用規格の高密度エネルギーシールドを展開した。スナイパーライフルを放り捨てると、背部の逆V字状のユニットを変形させた。二股のパーツが更に分かれ、『>』『<』の形をとる。

 その四つの先端から、細いコードのような縄状の物体が伸びる。その一本が全壊したシエラ1へ、もう三本がリーダー機の元へ生き物のように伸びた。

『気味の悪い……!』

ライフルで撃ち落とし、避けるものはブレードで薙ぎ払い、シエラリーダーはコードの群れを退けて敵機へと急加速した。

 白く淀んだ空気が晴れ、全貌を現した敵機はその右手に大型のマシンキャノンを装備していた。回転する砲塔から斉射された銃弾が周囲の道路や建築物に無数の孔を作り出していく。

 

 追いつかない予測回避に少しずつ損傷を増やしながら、リーダーである彼はある予感に囚われていた。

SATSへの上位アクセス権、複数機を同時に相手取る特異なコンバットパターン。他の機体のICを『模倣』する機能。そのロジックの正体がいかなるものか、彼には具体的な想像を持たなかった。ただ、それらを現実のものにする一応の回答は一つ思い浮かんだ。

 大規模国家間紛争時、ICUCの前身となった5つのIC企業群が極秘裏に開発したとされ、その存在だけが伝えられている幻の6機。

 現行運用されている全てのハフフィックの原型であるFタイプ、それを生み出すためだけに造られた実験機。

『貴様、その機体は――』

絶え間ない銃撃を遂に振り切り、突き出したブレードで突撃したリーダーは、確かにそれを見た。展開されたことで露わになったV字のパーツ、その細長い灰色の金属面に、落書きのようなラフさで記された【EPM12-06/F.D.】という 赤い文字列を。

『“先行試作機”……!!』

 いつの間にか左腕を覆いつくすように装着されていた巨大な杭打ち機が差し向けられる。絶望的な破壊力を持つ一撃は、ブレードごとその腕を、コクピットを抉りとった。

 

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