4.
『来夏!? 返事して‼』
『どうかした?』
『此田くん、来夏のコントロールを奪って強制除装して! 今すぐ!』
『な、何事、』
尋常ではない亜矢の声に、藤樹はフェイスウィンドウをオラージュ・ダスィールの立っている右へスライドする。
そこには、手にしたショットバズーカの砲口をこちらへ向けて照準を合わせる、無機質な鋼鉄に身を包んだ幼馴染がいた。
尾を引く噴出煙が溢れ、今まさに炸裂せんとする弾頭が迫るまで、藤樹は動けなかった。初めは来夏がふざけているのかと思ったのだ。彼女にしては珍しいことだったが、それでもこれだけの大試合を前にすれば緊張の一つでもするのかもしれない。そう考え軽く通話を入れて受け流そうとした。恐らくはそれで済む話だった。
『避けてばか!!』
停滞していた思考を引き上げたのは、いざなの叫びだった。対画性特殊盾を両者の間に差し込むように突き立てながら、アルアレスタがアーベライトを当て身で弾き飛ばす。
至近距離でばら撒かれた小型爆裂弾頭が特殊盾をたやすく侵食し、崩壊させる。ごく小さな相補色反応を起こして装甲を破壊するそれらは、次の標的である空色の機体の全身に喰らいつき、蹂躙した。
『いざな先輩!!』
『あやちゃんだめ! 反応爆発が――』
助け出そうと砂地を踏み込んだサハルスカの足が止まる。直後、アルアレスタのジェネレーターに弾頭が接触し、機体が轟音を上げて白い光の渦に呑まれた。
『そ、反屋先輩……、僕を、庇って……』
『どうした、今の爆発は――』
戦闘開始を告げるシステム音が鳴らされているにもかかわらず、まだ地上に残っている三機に異変を感じ取って戻ってきたアエス・フォレスの頭部を、赤いロックオンマーカーが射抜く。
『部長! 来夏がっ!』
放たれたAPSキャノンの一撃を、真秋はマウントしていたケルベルスをシールドモードで展開することで弾道を反らす。
『くそっ、あぶねぇ……! お前自分が何してるのか分かってんのか!?』
来夏からの応答は途絶えたままだった。開きっぱなしのチャンネルからは、何の音も聞こえてこない。
『……僕の所為で、反屋先輩が、』
『此田くん、ぼんやりしないで! 来夏を止めないと!』
『おい待て! 一体何がどうなってる!?』
『ウィルスか外部からのハッキングです! 機体のコントロールが奪われてる!』
『何だと……?』
『詳しい話はあとで! とにかく今はあの子を何とかしないと……!』
スラスターを吹かして舞い上がり、なお複数の銃口をこちらへ固定したままのオラージュ・ダスィールを追い、サハルスカとアエス・フォレスが急接近する。
それは、敵機に向けるはずだった武装を握りしめ、セーフティを解除したときに起こった。機体の制御システムとほぼ全てのセンサーが一瞬ダウンし、がくんと大きく体勢を崩す。クリアだった『空間』にノイズが走った。
天地創造の瞬間がそこにはあった。広がっていた砂海が、夜の星空が、全ての色を持つものが溶けて混じりあう。濁った色水へと融解した景色は、刹那の時を経て彩色されていった。再び世界が実像を結んだとき、それは都市部の廃墟の形をしていた。あらゆるものが風化し、錆びつき、荒廃した文明の成れの果て。赤橙色の太陽がくすんだ雲の空を赤く染め上げ、汚れきった水が細々と河川の面影を残している。
『試合開始後にフィールド変更とか有り得るのか?』
『データベースで見たことないですよ、こんなの……』
『ちょ、ちょっと、二人とも、アレ……って』
アレ、と藤樹が指したのは、およそ自分の視覚を疑うものだった。
世紀末という言葉が相応しい風景は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。逃げ惑う人々は会場にいた観客達。上空から死の鉄塊を撒き散ら鈍色の死神が、その命を無意味な肉塊へと変える。やがて狂乱へと至る哀れな姿は、恐怖という名の戒律をもって瞬く間に伝染していった。
しかし悲劇はまだ序幕を迎えたばかりであった。血の匂いに惹かれた鉄の蝙蝠が、次々とビルの上に降り立ったのだ。それは各々の得物を構え、狙いもいいところにいたずらに破壊の連鎖を広げていく。
『正気かあいつら……!? おい! 聞こえるか! 一体何の目的でこんなことをやってんだ!』
オープンチャンネルで叫ぶ真秋には何の言葉も返されなかった。しかし、そこに黙々と行動を続ける無言の意思を感じ、薄ら寒いものを覚える。それを打ち切るように、耳慣れた武装の展開音がした。
『くっ……こんな……ッ!』
『九石!? 無茶は――!!』
静止も耳に入らずサハルスカの灰色が飛翔する。脇目も降らず銃弾を放つオラージュ・ダスィールに、実体剣で斬りかかった。それを阻むように、集まってきていた機体群が一斉にライフルを撃ち、APSレーザーの青い弾光が四方八方を通過する。持ち前の反射神経で空中ステップと旋回を繰り返して回避し、それでも強引に前進していこうとする。それを後方から追いついたアエス・フォレスが右腕を掴んで引き留めた。
『馬鹿野郎、お前が早まってどうする!』
『だって、私が来夏を止めないと……! 私の所為だから!』
『ったく揃いも揃って新兵か! いいから一旦退くぞ、体勢を立て直さないと墜とされるのはこっちだ! それも分からないのか!?』
『……ッ、ごめんなさい……』
地形のスキャニングを行っていた藤樹の誘導で、凶弾を避けるべく半壊した堤防を防壁代わりに身を隠す。それでも近寄ってくる機体に牽制射撃を続け、三人は仮想のコクピット内で荒い息をついた。
『これはあれか、KAWASAKIの用意した悪趣味な新ステージか? エキシヴィジョンに付き合ってくれとでも言う気かよ』
壁越しにロケット砲を撃ち込みながら真秋は吐き捨てた。ビルの外壁から飛び出した一機に命中し、黒煙を上げながら地面に叩きつけられる。
『センサーも死んだまま、画力探知はイカレてる。ここがどこなのかも分かりゃしない。その上あの暴走娘を止めろと来てる。上等だぜ全く』
サハルスカの迫撃レーザーが弧を描いて上空で分裂し、その数本が破壊活動を続ける数機の手足や胴体を穿った。
『でも、このままここで防衛戦ってわけにもいかないですよ』
『そりゃそうだが、打って出るにしちゃ敵の数が多すぎる。しかもどれもこれも国画高専の機体に見えるのは気のせいか?』
『気の所為じゃない……。解析結果出ました、悪い方と最悪な方、どっちからいきます?』
単身高層ビルの屋上に観測機を設置して、自立探索機を飛ばしレーダー解析を続けていた藤樹は、未だに悪夢の中にいるかのような感覚を味わっていた。
この奇妙な空間に迷い込んでから、三機は画力探知を中心として探知機能が大きく低下している。そのため遠隔に視界が効かず動くに動けない状況に陥っていた。藤樹のアーベライトは元々偵察仕様で、観測装置を始めとして他の二機に比べればまだ探知機能が生きていたため、僅かに読み取れる反応を頼りに状況の把握に努めていた。
『悪い方から頼む。免疫付けていかないと死にたくなりそうだ』
『じゃあまず、あそこで暴れてる機体ですが。機体の登録IDが国画高専のものと一致しました。もっと言えば、来夏のオラージュ・ダスィールからも、先ヶ橋のIDに重ねてその固有IDが書き加えられてます』
『ハッキング、か。そもそもアイツは何でああなった?』
『たぶん、来夏が使っていたICコンプレッサーにウィルスが仕込んであったんです。時限式だったのか、外部起動式だったのかは分かりませんが……』
必要以上にデータの圧縮を行っていたのは、予めICに隠されていたプログラムを常駐させるためのものだった。だから、発動時にもシステムの目を掻い潜ったのだろう。
『私が、ちゃんと止めていれば。こんなことにはならなかったかもしれないのに……』
『そうかもしれないけど、今となってはもうどうしようもない。別の解決法を探さないと』
『……で、最悪な方は』
『このフィールドに変わってから画力探知が死んでますよね? ここ一帯の探査結果を高彩度分析に掛けたら、通常のレンジを振り切ってました。ここはICを使った写実法の画術じゃない、正真正銘の「風景画術」です。自力でぶち破ろうとしたら、推定値でも再現率170%越えの画術をぶつけないと』
『それか、画術師を直接無力化するか。150%越えってことは間違いなく特級ライセンス持ちな気がするけどね』
『一流のペインター相手に試合用にリミッターの掛かったハフフィックなんて紙切れ同然。まともに対抗なんてできるわけない』
『……つまり、俺たちは自分の意志ではここから出られないってことだな?』
沈黙が肯定を示した。もしICフィールドのエラーであれば、こちらからセーフティシステムを手動で起動すれば自動的に風景画術の範囲外へ任意移行できる。しかし、これが誰か個人の生み出した風景ならば、その個人の許可が無ければ風景から抜け出すことは許されない。そしてその選択は満に一つも考えられなかった。
『ここで撃墜されたら、どうなるんだろう』
『あくまで予想だけど、普通のICフィールドと違って実体ごと取り込まれてる可能性は高い。かなり遠方から、来夏のISDの反応が拾えた。その周りにもいくつか反応があったから、それが僕たちの実体なのかもしれない。だから、ここで死んだら画術が終了するまで死んだままだよ。現実に戻ったときのフィードバックがどうなるかは分からないけど、皆ライディングモードで操縦してるからそっちは大したことないはず』
『じゃあいざな先輩は、大丈夫なのかな……』
『タイミング的に微妙だったが、あの時はまだ砂漠だった。その後でまた取り込まれたかもしれんが、アイツならそう簡単にやられはしないさ。他の部員のISD反応も無いんだろ?』
『今のところは。でも、このレーダー解析もどこまで信用できたものか……とにかく座標も距離も滅茶苦茶に歪んでいるので、実際にその場所に行ってみないと』
『動かないことには事態も進展しないか。まぁ、これだけの規模なら現実の方でも大騒ぎになってる。KAWASAKI政府が黙ってないだろうし、すぐにでも軍のハフフィックで乗り込んでくるはずだ。それまで逃げ隠れするって選択肢もあるが……』
真秋は手にしていたロケットランチャーを投げ捨てると、地面に突き刺していた両手剣・ケルベルスの柄を握って引き抜いた。
『少なくとも深山は黙らせておく必要があるな。現行犯逮捕だけは避けないと、ICUCの自治法で裁かれたらどうなるか想像もつかん』
『同感です。じゃあ、来夏は私が――』
『いいや。俺がやる。狙撃してあの中から来夏だけ引き剥がしてくれ』
『でも、』
『九石。お前は国画高専の指揮官機を探せ。そう遠くにはいないはずだ、探し出して除装させて、事情を吐かせろ。手荒にやっても構わん。この中じゃサハルスカが一番足が速いんだ、適任だろう?』
『……真秋先輩』
『心配すんな。機体の相性はイマイチだが、タイマンであいつに負けるほど落ちぶれちゃいないさ』
『それ、フラグですよ……?』
『安心しろ、自分で言ってて思ったよ。此田、お前は深山のISD反応を追え。そっちから直接逆ハッキングを仕掛けて暴走を止められるんじゃないか?』
『やってみる価値はありますね。違法ツール使いますけど、非常時だから大目に見てもらえると信じますよ』
『はは……心強いな全く。あと、出来れば実体の回収も頼む。国画高専の奴らが何を考えてるのか掴めない以上、そっちに危険がいく恐れもある』
『了解です』
『よし。いいか、二人とも。くれぐれも伏兵に注意しろ。この有様だ、鬼が出ても蛇が出ても文句は言えん』
真秋は後輩たちの機体を一瞥して、再び戦火のただ中に鋼鉄の双眸を向けた。
『それじゃあ始めよう。九石、やってくれ。ポイントは任せる』
『……了解。ご武運を』
亜矢の砲撃で釣り出されたオラージュ・ダスィールとアエス・フォレスが、朽ち果てた広い自然公園の広場で交戦を開始した。彼女はプライベートチャンネルでぽつりとこぼす。
『……バレちゃってたかな』
『多分ね。これだけセンサーの感度が悪いと、傍受されてても気づけない』
『ごめんね、此田くん。巻き込んじゃって』
『いいよ。彼、幼馴染だっけ? まぁ僕も、ちょっと同じような気分だったし』
『……ありがと』
藤樹が広域探知を行う前。亜矢は真秋に隠して、あるISDの反応を探してほしい、と彼に頼んでいた。その意図を察して、藤樹はそれとなく場の流れを作っていた。
『さっきも言ったけど、渡した座標データ、信頼性は低いからね。大まかには合ってると思うけど、付近一帯を捜索する覚悟でよろしく』
『十分だよ』
固められた川底を蹴ったサハルスカが追加外装を呼び出す。各ウイングとブースター、固定武装が展開され、巡航形態への移行が完了した。
『行ってくる。此田くんも気をつけて』
『こいつは純戦闘向けじゃないからね、せいぜいコソコソやるよ』
独特の加速音とともに異界の空を駆けるサハルスカの機影が瞬く間に消失するのを見送る。藤樹はステルスシステムを作動させ、周囲の索敵警戒に集中した。
(幼馴染、か。いい加減卒業したいもんだよね)
ルート分析が済み、最もリスクの少ない航路が急ごしらえの簡易マップに表示される。ハンガーの武装をチェックしつつ、アーベライトは設定された目標地点へ低空飛行を開始した。
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