7.

 ベッドの上で起き上がった亜矢の足の上に浮くウィンドウには、二機のハフフィックが戦場を飛び回る様が克明に映し出されていた。しかし彼女が注視するのはその派手な攻防ではなく、画面の両端に並んだ数値とグラフだった。そこにはICの使用に伴う術式容量の変動と、対応する画力の概算値が示されている。

(あのときの砲撃)

 戦闘の終幕部。彼女の巨大な杭打ち機が来夏のO.D.に直撃し、その機体が爆散する。そして数秒ののち不意に襲った砲撃。亜矢はその部分におけるICの使用残量を再分析していた。

(システムメッセージは確かに敵機の『完全消滅』を認識していた。ちゃんとログにも残ってる。でも、まだ生きてるICがあった)

背部ユニットが自立で動けたというのも驚きだが、機能的に持たせられなくはない。それよりも問題なのは、なぜまだアクティブなICの反応、つまり画術反応がシステムによって見過ごされたのか、ということだ。


 彼女は戦闘時、独自に相手の使用したICデータを分析するプログラムを走らせている。これによって大体5%前後の誤差で相手のデータ残量を予測することが可能だった。先の試合のログに残されたデータ推移のグラフは、撃墜時には3割を切っていた。つまり、ほぼIC残量を使い切っていたということだ。逆に言えば2割強まだ使えるICがあり、それを使用したという仮説も立てられる。

 が、亜矢はその可能性をすぐに捨てた。O.D.が最後に使用したと思しき背部ユニットは、多くの内蔵兵器と内装を備えたヴァリアブル・ウェポンだ。当然使用するデータ容量も大きい。同型の量産機が使用しているものでも、試合制限値の3分の一は消費する。そして、来夏のカスタムでは明らかにそれ以上のデータサイズだ。極め付けに攻撃には大型キャノンまで使用している。

 いったんパージしたパーツは、自立兵器などの遠隔操作機能が搭載されているものを除いて『廃棄』扱いとなり、ICとしての機能を失う。もちろん放り捨ててなおイメージを維持していれば話は別だが、ISDのマルチローディングの限界を考えれば現実的ではない。

 許容量を超えるICの使用。不自然なシステムの認知。そこから導き出される答えは、受け入れがたくも論理的な結論だった。


「――不正でしたね」


「っ!?」

 知らない声が近くで聞こえ、亜矢はびくりと肩を震わせた。医務室の隅に置かれたテーブルの横に接岸するように、浮遊する移動式チェアーが何の前触れも無く現れていた。画力の気配は一切しなかった。

「あなたもお気づきになったのでしょう?」

その場でチェアーが90度回転し、声の主が露わになる。和装に身を包んだ美しい少女がこちらに穏和な表情を向けていた。

「あの、あなたは……」

予期せぬ来訪者に面喰らいながら、亜矢はどこかその少女のいでたちに既視感を覚えていた。そんな心中を知ってか知らずか、浮遊椅子の少女はたおやかに手を太ももに載せ腰を折って礼を作る。ただ、袴に隠れたその足は膝から下を失っていた。

「わたくしは国立画術高専の三年、伊瀬燈香と申します。ご養生のところ、突然お邪魔してしまって申し訳ございません。先の試合を観、あなたとお話してみたくなりまして、こちらに来てしまいました」

落ち着き払ったその口調は聞く者に安心感を与えたが、亜矢の頭にはその名前だけがある過去の出来事を想起させていた。


 三年前。ある一人の無名フィクターが世を騒がせた。弱冠15歳にして非ライセンス所持者のみで行われるアマチュアの全国規模の大会に出場し、優勝したのだ。主に大学生や高校生が中心ではあったが、それなりに経験を積んだ大人も混じる、本格的なオープンマッチだった。しかも公式大会には出場経験がなく、実質的な初陣だったという。

 画術師の才覚は9割が先天的な才能である、というのは有名な話だ。天才は生まれもって天才であり、常人には及びもつかない術式をやすやすと使いこなしてみせる。が、ことペイントリウム競技においては、使用するICの修練によってその差を詰めることができる。長くそのフィールドに身を置いた者ほど天性の才能を凌駕する可能性を得られる。そういった事例も少なからずあった。天才にとって、この競技はそう甘くないものなのだ。だからこそ万人に活躍のチャンスがあり、競技として広く普及したとも言える。

 しかしそのフィクターをして周囲が天才の称号を与えざるを得なかったのは、『異常』な試合内容にあった。初戦から決勝戦に至るまで、全マッチでの平均被弾率が一割以下。使用したIC武装はたった一つ。そして決着までに掛かった時間が全て2分以下。敗退した選手の多くが残した『試合にならなかった』というコメントが、全てを物語っていた。

 端的にその強さは別次元だった。何もかもが圧倒的であり、人間離れした操縦センスは研ぎ澄まされた美しさすら感じさせた。プロのライセンス持ちからも注目され、将来的には日本のエース候補筆頭と言わしめた。まだ中学三年生ということもあり、最も今後を嘱望されたフィクターといっても過言ではなかった。一躍時の人となったのだ。

 しかし、それは期待のままで終わりを迎えた。神技を振るったフィクターは大会から半年後に交通事故に遭い、両足を切断する大怪我を負った。その知らせは地方紙に取り上げられ、業界の人間に伝播していった。遂に本人の声明が上がることは無かったが、あのフィクターが現れることはもう無いと誰もが悟った。事実、その後の大会に当人が姿を現すことは無かった。そのドラマティックな顛末に、一時だけ輝いた新星としてメディアがある名を与えた。それが、


「……“幻の流星”」

「ふふ。その名で呼ばれるのも久方ぶりですね」

「国画高専にいらしたんですね……。あ、先ヶ橋二年の九石亜矢といいます。お会いできて、光栄です」

「昔の話です。いまではこうして、練習試合をのぞく一観客に過ぎません」

 ゆっくりと近づいた燈香は亜矢のベッドの手前まで移動すると、着物に不似合いなバーチャルコンソールを開いた。

「お節介かもしれませんが。先の試合、わたくしの方で消費された画力量の分析をいたしました。こちらを」

 提示されたウィンドウを見て、急に自分がベッドに転がっているのが恥ずかしくなった。シューズを突っかけ、丸イスに座ると端末を操作し、示されたデータを同期させる。

「恐らくは、ISDの読み込みのラグを利用した『圧縮』でしょう。それ自体も問題ですが、少々気になる点が」

白魚のような指がいくつもの数値が書き込まれたグラフに触れる。

「使用しているICに対して、確保している圧縮容量が大きすぎる、ですか」

「ええ。確かに限られた容量内でICを運用する際に圧縮は有利ですが、ここまであからさまな量を確保する必要は感じられません」

何か心当たりはおありですか、と燈香が尋ね、今のところは、と返す。普通、圧縮するとすれば登録したICを全て枠内に収めるためにデータ容量をフィッティングする。しかし、来夏のハフフィックは明らかに不必要な分まで容量を拡張していた。何か意図があってのことなのか、向こうのシステムの不具合なのか。その判断は現状では付きかねた。

 しかし、明らかに違反行為ではある。グレーというにはあまりに大ぴらにやり過ぎた。燈香がここに来た目的も、会場運営の国画高専としての立場から事実確認をしたかったからなのかもしれない。だとすると、来夏にとって、先ヶ橋高校にとってかなりよろしくない状況ではあった。

「来夏とは、対戦相手の深山さんにはもうこのことを?」

「いえ。わたくしから言うつもりもありません」

「……いいん、ですか?」

「あなたのご判断にお任せいたします。これが原因で、あなたの試合が全国大会で観られなくなるのは残念ですから」

そう言い、燈香は年相応に悪戯っぽく片目をつむってみせた。

「実際、咎めたところでまともにとりあって頂けないでしょう」

「企業の実験場になってしまうのはこの競技の悪いところですよね」

「……そう思います。本当に」

重い空気が流れ始めたのを感じ、それとなく話題を変えようと口を開きかけた。そこへ、再度の闖入者がドアを開けて割り入った。またしても画力の気配は一切感じられなかった。


「燈香さま? そろそろお戻りになられないと、」

「そうですね、ごめんなさい。……実は、特別席から抜け出してきてしまっていて。見つかると叱られてしまいます」

「あ、わざわざありがとうございました……。 お忙しいのに」

「いえ。次にお会いするときは楽しい話題にしましょうね。わたくしはあなたのお話も聞きた――、」

「あれ? うそ、亜矢お姉ちゃん? あ、あああ、ごめんなさい燈香さま! お話し中だったのに」

「え、歩凪ちゃん……だよね」

戸口で口を抑えて驚く人影は懐かしいと呼べるものだった。小柄ながら均整の取れた体つき、相変わらずの童顔。少しおどおどした雰囲気。記憶の中にある三影歩凪その人をそのまま成長させたようだった。

「歩凪さんとお知り合いですか?」

「同じ小学校だったんです。全然連絡とってなかったけど、やっぱり歩凪ちゃんはここに入学してたんだ」

「うん。燈香さまが通われるから、歩凪も。あ、わたしも」

「お二人は、その、どのような関係なんですか?」

聞いていいのかと思いつつ口を突いて出た疑問に、困ったような視線を燈香から向けられた歩凪が代弁し始めた。

「わ、わたしが説明します。伊瀬家は古くから画術研究の大家として権威を保っているすごいお家なんです。三影家は、代々その伊瀬家にお仕えしている伝統があって、中学校からはわたしがその当代になったんです」

「そうだったんだ……。だから燈香『さま』なんだね」

「普通に呼んでくださいといつもお願いしているのですが、この子は一向に聞き入れてくれなくて。わたくしが何を成したわけでもないのに、様、などと言われるのはどうにも得心がいきません……」

「ダメですよ、燈香さまはすごいお人なんです。謙遜する前に、そのことを自覚してください」

「確かにあの大会を知っている人なら、様付けで呼んでもおかしくないかもしれませんね」

冗談ではなく本心からそう思った。それぐらいに値する戦績だ。

「亜矢さんまで……。と、おしゃべりをし過ぎました。歩凪さん、本部に戻らないと」

「そ、そうでした! ごめんね亜矢お姉ちゃん、全国大会応援しに行くね!」

燈香のフロートの制御を委任されたのだろう、歩凪は背部にあるグリップを引き出すとそれを握り、医務室の出口へと導いた。

「では、また。よい機会があることを祈っております」

「はい。お会いできて、とても嬉しかったです」

立ち上がってお辞儀をし、頭を上げたときには、主従は現れたときと同じく溶けるように立ち去っていた。

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