6.

 勝った。


 未だにその実感は無かった。得も言われぬ不快感が脳内から抜けきらない所為で、それどころではないというのもあった。外の風に当たりたいと言って一人屋上に足を運んだが、思いの他気分がマシになった。画術が多用されている空間は常に何らかの人の意思が混入している。思考を落ち着けたいならなるべくそうした場所からは離れた方がいいのだろう。


 虚脱感、と言ってしまえばそれまでだった。目標という名の頂を踏破した瞬間、次にすべきことを見失ってしまう。来夏はふわふわとした思考の片隅で、誰かが個室の境界を描き、檻のように認識と現実の両側面を閉じ込めるのを知った。簡易的な風景画術、即席のパーソナルスペースだ。ペイントリウムの屋上、人気のない屋外ステージの一部が切り取られ、ソファの置かれた事務所の談話室のような独立空間が形成される。

「お邪魔するよ、来夏くん」

「イリル……? 来てたんだ」

「ご挨拶だね。そりゃあ観に来るさ、自社製品の初めてのお披露目なんだから」

彼女は小さな格子窓から空を見上げる来夏の肩を小突いた。

「おめでとう。やったじゃないか」

「全然実感沸かないんだけど」

「初めはそんなものだよ。ぼくはと言えば、ICコンプレッサーの実用性がこれ以上ない形で提示された訳だから、さっそく上司にギャラをせびってきたんだ。出来高制だからデータの付加価値が高いと報酬も跳ね上がる。いやぁごちそうさまでした」

「しっかりしてるわね、相変わらず」

「もちろん君の方にも払い込んでおいたよ、結構色を付けてね。あとそのICだけど、外部へ流出させないっていう条件付きで譲渡許可が下りたよ。どうする?」

「貰っとく。とりあえず全国で使えるし。それにしても、セーフティシステムに引っかからないもんなのね」

「その辺りはウチの開発チームが頭を捻らせたからね。仕様自体は不正じゃないとはいえ、システムが対応してなければエラーを叩きつけられかねないから」

「あれって結局、ICの使用量の自動計測を誤魔化したってことなの?」

ソファの上で人差し指を立てたイリルが、得意げに胸をそらせる。

「言い方は悪いけど大体そう言うこと。マルチローディング機能で

分割された画術が再構成される時にラグを混ぜて処理させることで、本来の容量より少なくISDに見積もらせる。すると宙に浮いた容量を他のICに回せるって寸法だね。『圧縮』分がシステムに認識されないから、他を使い切った時点で撃墜判定が出るんだけど……だからさっきみたいな戦い方は止めた方がいいかもね。相手のフィクターがICの使用容量を試合中にカウンティングしてたら不自然だと思うだろうし。でもそんなに意識しなくてもいいと思うよ」

「気づかれたところで指摘はできない、か」

「そういうこと。来夏くんはあんまりこういう裏技を使うことにあんまり抵抗が無いみたいだね?」

「この競技でズルも卑怯も無いわよ。使えるものはなんだって使う。勝てればそれでいい。皆そういう覚悟で臨んでるんだから」

「軍の戦闘訓練が大衆化したスポーツだしね。戦場で相手が何を使ってきても文句は言えないってことかな」

さて、とイリルが指を弾くと、シンプルな装飾の談話室が失せ、元の屋上のコンクリートが広がった。

「ぼくは諸々書類手続きが残ってるから、この辺りで失礼するよ。改めておめでとう、全国でも良い成績を出して我が社のアピールに貢献してくれたまえー」

「ベストは尽くすわよ。こっちこそ、ありがと」

 軽く手の平を見せて振った彼女は、屋上の手すりの先、ICのセーフティーバリアをいとも簡単にすり抜けると、十メートル近い建物の断崖を落ちていった。下をのぞき込んだ時には、既にその褐色のシルエットは跡形も無く消え失せていた。


 風景画術もそうだが、イリルが抽象法系統の画術に長けた”ペインター”と呼ばれる種類の人間であることはなんとなく察していた。にもかかわらず彼らが”ブラッシャー”と揶揄するIC使い、その親玉たるICメーカーに勤めているのはなぜだろうと、考えたこともあった。

(何かしら腹に抱えているものはあるんだろうけど、あたしには関係ない。利害が一致するなら、利用させてもらうだけ)

ビジネスライクな関係というよりはお互いに距離を狭めていたが、それでも仕事となれば切り替えられる。そのぐらいあっさりした間柄を築けることも、イリルの飄々とした人柄の人気なのかもしれない。そうありたいものだと思った。


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