5.

「いつつ」

 目を開けて天井を見るまでもなく、亜矢は自分のおかれた場所がその独特の匂いで分かった。選手用の医務室だ。

「お。お目覚めか」

「部長……。もしかして、あれから三日たったぞ、とか言ったり?」

「しない。30分も経ってない。具合はどうだ」

「大丈夫そうです。ちょっと左腕がしびれて全身がだるいぐらい」

 普通は30分近く意識を失うことなんてことにはならないんだが、と真秋は心中で付け足す。運び込む前は合同練習中なら盛況かと思われたその部屋は、その実、閑散としていた。センサーで抑えられた照明がその静けさを助長していた。

「私、負けちゃいましたよね」

「……ああ」

どう答えたものか悩んだ挙句、真秋は簡潔に事実の肯定だけを伝えた。基本的に負け知らずでここまで来ている、そんな彼女が経験した敗北の重みが、彼をして判断を迷わせていた。

「真秋先輩、なんでそんなに深刻な顔を……。まさか賭けたりとかしてませんよね? ここに来て全国出場停止とか嫌ですよ」

「してねぇよ……でもって単なる取り越し苦労だったよ」

良かった、といたずらっぽく笑う後輩の姿は、意気消沈とは程遠かった。これで演技なら大したものだ。


 薄緑のベッドに横たわる彼女のシルエットが、薄い毛布越しに浮かび上がる。試合が終わり、いち早くダイブルームに突入した櫻は、試合用のリクライニングチェアから床に落ちて転がったままの亜矢を発見した。すぐさま担架で医務室へ運び込んでみれば、見事に昏倒状態にあった。これは下手をすると大事に至るかも、との判断で、しばらくしても意識が戻らないようなら病院へ移すと医務スタッフは告げていた。

 一方来夏の方はと言えば、それこそ意識を失うようなことは無かったものの、酷い頭痛がするといってしばらく横のベッドで寝込んでいた。が、5分ほどで無事復調して部員と共に会場へと戻った。

 残った亜矢の周りには、当然の如く櫻を中心とした一行があれやこれやと手を尽くしていた。一時的に席をはずしていたスタッフが通りかかって病室で騒ぐなと一喝してまとめて追い出した時、正しい対応だと一人彼に感謝した。ただ、病人に対する気遣いなどあまり経験がないため、何の話題を振ろうかと思案して、結局試合の内容に持っていくことにした。

「しかし最後のあれ、お前気づけたか?」

「全然。完全に不意打ちでした」

「だろうな。傍目で見ててもそう思った。まさか、自爆したときにパージした背部ユニットのアームが、予め落としておいた大型キャノンを掴んで砲撃するなんてな。あの爆発の中で、自機だけじゃなくてパージしたパーツまでAPSSで守ってたとは、俺も見抜けなかった」

「つまり、私が残骸の山に隠れてたときに撃とうと思えば撃てたんですよね。でも、より確実な状況を作り出されるのを待った」

「お前もうかうかしてられんな。次の個人戦は荒れそうだ」

「うーん、頑張らないとなあ……。っていうか今回、大分先輩が来夏に肩入れしてませんでした? 私のコンバットパターンとか兵装分析とか。いいんですか、部長がそんなことして」

「いや、だってお前はもう深山の分析済んでそうだったし、なにより戦力を拮抗させた方が面白いだろ」

「面白いって……、そういう問題なのかなぁ」

「なんだ、構って欲しかったか?」

お返しだとばかりに釈然としない顔の彼女をからかうと、

「いえ。要りませんけど」

「何なんだよ!」

にべもなく一蹴される。くすくすと笑顔を浮かべる様子からして、どうやら復調したようだ。


 ただ、話の本題はそこには無かった。わざわざ一人病室に残ったのも、この話をするためだった。

「それで、あー……、その、なんだ。こんな状態のお前に言うのも気が引けるんだが、今を逃すと機会がなさそうだからな」

 てっきり告白ですか、などと茶化されるかと思いきや、亜矢はいつもの冷静な顔つきに戻り上体を起こした。女子部員が上着のジャージウェアを脱がせたせいか、その身体は少し小さく見えた。

「あのパイルバンカーのせいか、意識が飛んだのは。でもって、その影響は喰らった深山にも現れている。……精神汚染を引き起こす類の兵装は使用禁止だ、分かってるだろうが」

 ISDにリミッターが掛けられ、再現率の上限値が定められたフィールドで行われるハフフィックの戦闘は、それが如何に苛烈なものであろうともフィクターの安全は保障されている。それは直接的なフィードバックを受けるダイブモード使用時にも変わらない。そこでこれだけのダメージを実体が受けるというのは、はっきり言って異常事態だった。運営にフィールドの不備を疑って怒鳴り込むところだ。だが他の試合では問題なくセーフティシステムは稼働していた。この二人だけが、妙な後遺症を引きずって戦場から出てきたのだ。

「あれには相手に害を成すような機能は搭載されてないですよ。使用者に強いられる負担が、外部から見られる形になっているっていうだけで」

「『わたしはまちがってない』か」

「――――、」

そのフレーズを耳にした彼女は下を向いて目を閉じ、小さく唇を噛む。何かを思い出しているようでも、思い出さないようにしているようでもあった。

「深山がうわごとみたいに繰り返していたそうだ。……俺はな、九石。お前が何を背負って生きてるのかなんて事にはあまり興味が無い。あのバンカーを使うも使わないもお前の自由だ。けどな、そこまで無理しても楽しめないんじゃないか? 色々言ってるが、この競技も結局のところスポーツの一種だ。いくら規定にないからって、無茶しても良いことはないだろ」

自分の言葉がいかに薄っぺらいものであるのかを喋りながら痛感していた。相手の事情なんて分かりようもないのだ、使い古された言い回しで諭すことぐらいしかできないのが、なんとも歯痒かった。

「部長は優しいです。いつも」

「一応、部員の指導を仰せつかってるからな」

見透かしたような亜矢の声音をあえてさらりと受け流す。

「でも大丈夫です。あの武器、実はちょっと暴れ馬なだけで、上手く使えば今回のようなことにはならないんですよ? 久々だったので加減を間違えちゃいましたけど、次からはご迷惑を掛けないように気を付けますから」

「まあ、前回の大会の時は何も無かったな……」

「とっておきのつもりなので、そうそう乱発するつもりはない……というかできないんですが、選択肢としては取っておくつもりです。だから、その」

「ああ、分かってるよ。本部に戦闘ログの提出を求められたら適当に誤魔化しておけばいいんだろ」

「ありがとうございます」


 前回の大会、個人戦。亜矢の戦闘ログを見て、止めを刺した武器の異質さを見抜いた真秋は、後日こっそりと亜矢を問いただした。万が一彼女が不正ICを使用していたら、チーム全体が連帯責任を負いかねないからだ。それは誰にとっても不本意だったし、内々で処理しておきたいと思ったのは自然なことだった。当の亜矢の答えは、要約すれば『企業秘密につきごめんなさい』だった。

 よくあることではあった。自分もそうだが、ある程度腕の立つフィクターが企業と契約し、テストパイロットとして試作機や試作武器の実地データ収集に参加するのはこの業界では茶飯事だ。開発中の新兵器です、と言われれば、どんなにグレーゾーンに浸かっていてもそれ以上の追求をしようがない。本人は守秘義務で話せる情報を持ちえないからだ。それが違法か適法か、明らかにルールを逸脱していない限り、その判断をするのは非常に困難である。亜矢もサハルスカは『借り受けたもの』と言っていたし、どこかの企業がスポンサーについているのは間違いないだろう。

「じゃ、話すことも話したし、そろそろ俺も戻る。深山の様子も見てこないとな」

「分かりました。色々と、迷惑をかけてごめんなさい」

「詫びはいいからさっさと復帰してくれ。俺の練習相手がいない」

半ばジョーク半ば本気の言葉を残しつつ丸イスから立ち上がり、じゃあなと一声掛けて医務室を出る。自動ドアが開閉する向こうでは、すぐ戻りますと言いつつバーチャルウィンドウを立ち上げて何かの映像を見る亜矢がいた。恐らく先程の戦闘ログだろう。見習うべき熱心さだな、と感心しながら試合会場へと戻る通路を進む。


 下階への階段のある曲がり角から障害者用のフロートチェアーがゆっくりとこちらへ浮遊してきていた。一目で分かる高級な歩行補助椅子に身を委ねているのは、一人の少女だった。長く艶やかな黒髪にはちりめん風の髪留めが飾り、身を包む色鮮やかな赤紫の着物は鳥のような紋様が施されている。色白の素肌に息をのむほどの美貌を称えた姿は、絵に描いたような大和撫子だった。

 我ながらあっけなく目を惹かれていたが、それは女性的魅力によるものというよりは、彼女の面立ちが原因だった。何か過去の記憶に引っかかるものを感じたのだ。今しがたの試合をVIPルームで観戦していたこと以外に、である。

(あいつ、どこかで……?)

それを手繰り寄せる前に女性は脇を通り過ぎていく。流れるような所作で会釈をすると、背もたれに隠れて見えなくなった。釈然としないままに階段のステップに足を掛けたとき、ふとその後ろ姿を求めて首を曲げた。無音で宙を進む椅子が、自動で開閉するドアの壁面に消えていくのが見えた。


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