8.

 ところで、と怜人は問うた。

「ミラさんは再来週の全国大会、観戦しに行くんですか?」

「観戦はしない。君が行く以上、護衛として同行はするが。私自身、あまりハフフィックには興味が無いしね。本音を言えばUCICの圏域内にも立ち入って欲しくもない。何か起きたときに私が動くと面倒なことになるからな」

「あれ、でも確か大会の日って仕事があるとか言ってませんでしたっけ?」

 マンション一室、リビングの夕べ。陽馬家から帰宅した怜人とミラは、何をするでもなく、据えられたテーブルの前に腰掛けて無目的な時間を潰していた。

「ああ、あるよ。片手間で進められるから同行には問題ない。気兼ねなく私を連れ回すといい」

回されたさりげない皮肉に物的手段による緩和を試みる。冷蔵庫からラムネでも与えておこうと観音開きのドアを開けると、およそそれらしきものは見当たらなかった。

「あれ、もうない」

「ふん。私ほどの愛飲家ともなると一日3本は軽い」

「飲み過ぎですよ! 買う方の手間も考えてください」

「分かった、すまん。で、大会に行くと言っても足はどうするんだ。KAWASAKI領周辺のクラウドベルトはぼったくりだぞ」

「うーん、たぶん名神ベルトで岐阜の手前ぐらいまで行って、そこからはフロートラインで兵庫入りになりそうです。他にいい経路ああったりします?」

ふむ、とミラは端末を起こし、交通経路の検索画面を立ち上げた。

 

 ISDの導入と普及が爆発的に進んだ日本国内では、並行してクラウドベルトの整備も急ピッチで行われた。

 そもクラウドベルトとは、一定間隔で敷設されたISDから空路用の誘導レーンや情報表示、運行サポートなどのICを、付近の利用者の画力を消費して構成される。利用者一人一人がノードとなって個々の利用情報を共有することでネットワークを形成し、高効率で安全な交通システムを成立させている。それぞれの利用者の行き先を照合し、最も混雑が無くかつ最短の経路を弾き出すのがクラウドベルトの真骨頂だ。

 その仕様上、利用者の数が重要になってくる。利用者が十人の場合と百人の場合を比べたとき、単純に一人当たりの画力負担は十倍。

これがベルトICの読み込み・形成に大きな差を生じさせる。利用者が多ければ多いほど円滑な移動が可能になるわけだが、反面人が少ないと維持が困難になる。最低単位区間内で利用者が13人以上という技術的ボーダーが設けられており、それを下回るとそもそも利用できないというデメリットを抱えている。

 かといって多ければいいという訳でもない。空間上の二点間を移動するとき、最短はそれらを結ぶ直線航路だ。多くの利用者がその経路を利用しようとするために混雑が生じる。それを避けるために自動的に経路の割り振りが埋設ISDによって行われることになる。陸路と違い、経路はXY軸方向だけでなくZ軸方向にも広がる。直線航路から少し外れたルート、もう少し外れたルート、その外側を通るルート、というように、少しずつ最短経路から離れていく。つまり、同じ方向の行先に向かう利用者が多いとそれだけ所要時間が伸びていくのだ。

 これらを踏まえて、クラウドベルトの料金体系は基本料金プラス単位区間辺りの画力濃度、言い換えれば混雑度によって決定されている。実際には複雑な計算式を挟むが、大ざっぱに混んでいれば料金が高く、空いていれば安くなる。


 そこで世界に名だたるUCICの五大企業が一角KAWASAKI領である。IC輸送の天下であるこの圏域からは国内に限らず国外へ向けても盛んな物流が展開され、年間を通して周辺地域のクラウドベルトは混雑の極みにある。必然的に利用料金は跳ね上がり、全国平均のおよそ6倍に届くのもざらという始末だ。とてもではないが、一般の通行者が気軽に利用できた金額ではない。

 それならば各企業もコスト削減に他の輸送経路を検討しそうなものだが、そうはならない事情がある。UCIC圏域同士を結ぶ産業目的の移動に伴うクラウドベルトの利用には、多く所属企業からの助成金が出る。そのため一向に交通量が減らず、圏域周辺はほぼ産業要路と化している。基本的には速い安い安全の三拍子が揃ったクラウドベルトも、場所によっては使えないというのが実情だった。


「そうだな。ざっと調べたが、高校生の懐事情ならそれぐらいがベストだろうな。ただフロートラインを使うなら前日の夜ぐらいから出ないと間に合わない。当日は間違いなく混み合うからな。その辺りは時刻表を確認しておくといい」

「やっぱり前日から出ないと駄目ですか。面倒だな……。企業道と公共道を分けるなりすればいいのに」

「そんなことをしたら世界中の空路が企業道で埋まる。元々彼らが開発したシステムを民間が間借りしているようなものだ、まだ公共分が残っているだけマシだと思いたまえよ」

「そんなものですかね……」

「そんなものだ、残念ながらな」


 怜人は学校の課題があったことを思い起こし、ミラにならって端末を起動させた。それなりに時間の掛かる内容だったはずだ、起源はまだだが早めに着手しておこうと思ったのだ。この思考回路が開くあたりだいぶ亜矢に毒されたな、とありがたく思った。

「それにしてもここ数日は特に混んでますよね、KAWASAKI。大会があるにしても去年のデータだとここまでじゃなかったのに」

「……年々、ハフフィック競技も熱が入ってきてるからな。観客の入りも多くなってきてるんじゃないか」

興味が無さそうに答えた同席者は、突っ伏して居眠りを始めていた。大の大人がここまでのんびりとした生活を送れるものかと、常々疑問に思っているが、どう考えてもこの人の職業は世間一般のものではない。比較対象にもならないと、気の滅入る課題文に目を通し始める。

「なぁ怜人君。…本当に行くのかい」

その様子は本当に面倒臭そうだった。多少の罪悪感を覚えないでも無かったが、当然口にはしなかった。

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