3.
『悪いようにはしない』と人は言う。格調高く意訳すれば、貴方の不利益にはさせませんよ、ということだ。つまり、デメリットの不在を保障しているだけで、メリットがあるとは言っていない。現実的に多く想定されるパターンはローリスク・ノーリターン。骨折りにはならないがくたびれ儲けも無い。
何が言いたいのかと言えば、早合点と安請け合いは禁物だということだ。
「な、なぁ深山。俺、そろそろ出ないと塾に間に合わないんだけど」
「それは電車とバスで帰ったときの時間でしょ? 部長ならクラウドベルトを飛ばして半分以下の時間で着くから。ギリギリまで付き合って」
「いや、間に合えば良いって問題じゃなくてな、ほら予習とか他の授業の復習とか、色々あるんだが」
「……やっぱり多少装甲を犠牲にしてでも機動性を高めた方がいいかしら。中距離のアドバンテージをどこまで維持できるかがポイントよね。となると固定武装の見直しもしないと駄目、か。ねぇ部長、どう思う?」
「聞いちゃいねぇ!」
今全力で拘束している相手が大学入試を控えた受験生だということを忘れてはいないだろうか、この後輩は。いや忘れている。『すぐ終わるから』という言葉を律儀に信用した10分前の自分が憎い。
「よしいいか一つ言っといてやる。次の試合のための部内選抜戦、俺は基本的に最小限のアドバイスに止めてコンバットスタイルの指導はしないと初めに宣言した。お前のそれは最小限か胸に手を当ててよく考えてみろ」
こうして部活後に実技館で引き留められ、指南を乞われるのは今回が初めてではない。良く言えば向上心の強い、悪く言えば自分勝手な一つ下の後輩、深山来夏は、大げさに手を広げ”やれやれ”というポーズを作った。
「今更何言ってるのよ。最小限だから、さっきから聞いてるんじゃない」
「……胸が薄いと思考も薄くなるのか?」
高校2年生にしては大変慎ましやかな胸部装甲をこっそり指差すと、彼女の表情からハイライトが消えた……ように見えた。
「蜂の巣にして差し上げましょうか、跡木部長」
重々しい関節の駆動音が頭上で聞こえたかと思えば、背後に10メートルは下らない鋼鉄の巨人が立ち上がった。そしてその右腕下部に装備された回転式多銃身機関砲――いわゆるバルカン砲だ――が、側頭部の間近に向けられていた。目の前に立つ茶色のサイドテールを垂らした少女は、極めて好意に欠ける笑みを浮かべていた。
ここで二つほどいただけないことがあった。まず、年頃の女子がそのような顔をするものじゃない。そしてもう一つ。
「だから、なぁ」
脳内で素早くISDの起動認証を済ませると、目当てのプリセットの一覧から目当てのICを選択し、描出させる。この3年間で途方もない回数を繰り返したプロセスは、僅か2秒足らずで終了した。
”アエス・フォレス”。
フィクターとしての人生を共に歩んできた愛機が、自身と来夏のハフフィック”オラージュ・ダスィール”との間に悠然と顕現する。
「接近戦からのリカバリーに重点を置けと言っただろうが、始めに!」
黒と赤のツートンカラーに彩られた鋭角的なシルエットが俊敏に動作を開始する。身の丈に迫るほどの刀身を持つ両手剣が斬り上げられ、束ねられた銃身を砕き割った。剣を手放すとそれは回転しつつ上方へ向かう。構わず下半身に重心を整えると、上体の揺らいだ相手に裏拳を放つ。胴体の真芯を捉えた打撃は機体を後方へと吹き飛ばした。轟音に続いて仰向けに倒れた巨体を余所に、軽く直上へ跳躍。落下してくる剣を空中で掴むと、上半身のしなりと手のスナップを加えたオーバーハンドで投擲した。仮想の硬質な地面に突き刺さった鉄塊が、頭部のすぐ横で鈍く刃を輝かせる。
「なっ……」
一連の攻勢を目の当たりにした彼女は、驚きよりくやしさの勝る表情になっていた。虚を突かれたとはいえ、反撃の隙が与えられなかったことに自身の甘さを感じているのだろう。そうだと思いたい。
接地の寸前に自身の機体と大剣を消去すると、改めて愚直な後輩に向き直る。
「最初から言ってるだろうが。お前は近距離に詰め寄られてからもう一度中距離に持ち直すまでが遅い。遠・中距離のリーチの支配力が持ち味なら、『いかに近づかせないか』だけじゃなく『いかに遠ざけるか』にも気を払え。機動性は固定武装込みで見ればかなり高い方なんだ、その辺りをサブで補うんだな」
話しながらしまったなと舌を打つ。何だかんだと言っておきながら、結局過ぎた指導をしてしまっている。実質的な目標を亜矢に設定しているなら、このくらいのアドバイスをした方がある意味公平性が保たれる気がしないでもないが。
「でも、こっちから積極的に流れを作らないとすぐ亜矢のペースに飲まれちゃうのよ。そのためには中距離メインに火力を上げて押し切らないと」
「理屈は分からんでもないが、それで今まで勝てたか?」
「それは、……無いけど」
「お前は高機動高火力のガンナータイプ、亜矢はオールラウンダー。相手の対応力ではカバーしきれないアウトレンジから弾幕を張って、寄せ付けずに勝つ。戦略としては間違ってねぇよ。ただ、亜矢のサハルスカはとんでもなく優秀なマルチレンジ機だ。基本、相手がどこにいようとも優位に立てる機体設計をしている。よくいる器用貧乏なアタッカーとは訳が違うんだよ」
嫌ってほど実感してるだろうがな、と付け加える。部員の過去の練習試合・公式戦の記録は映像として保存されている。その中に来夏と亜矢のマッチもあるが、試合運びはどれも似通っている。序盤から中盤までは来夏が押しているが、徐々に間合いを詰められ、振り切れなくなったところで撃墜されている。完全にパターンを読まれてしまっているのだ。
自分自身、亜矢と戦うのは今でも苦手と言わざるを得ない。どうにも『やりにくい』のだ。
彼女の戦い方にはある傾向がある。それはまず相手のペースをあえて作らせること。そしてその経過から大よその戦力を把握した上で、長所を潰しにかかってくる。アウトレンジならクロスレンジへ、クロスならアウトへ攻めてくる。自分のコンバットスタイルを読まれた時点で、そこからは完全に流れを支配されてしまう。相手がどのような戦法をとるにしろ、確実に合わせられる。それは機体の性能だけでは成し得ない。やはり本人の技量が十二分に真価を引き出していることが大きいのだ。
「それなら、お前もある程度は対応力を上げるしかねぇだろ。テクニック的に追いつくのは無理でも、回避と離脱に専念するだけなら通用するはずだ。お前にはそれだけの技量はあるし、オラージュ・ダスィールもまだスペックを出し切っちゃあいない」
「なんか、始めから負ける前提で話が進んでるみたいで癪ね」
「んなことねぇよ。実力差がかなりあるのを前提にしてるだけだ。ま、そういうのをひっくり返してこそ勝負は面白い。だろ?」
「他人事だと思って気軽に言ってくれるわよね、まったく……。でも、私としても簡単に負ける気はないけどね、今度は」
「ほー。えらく気合入ってるな。一応期待はしといてやる」
「なんかムカつくわね」
そもそも、なぜこのようなやり取りが交わされるに至ったのか。話は一週間前……、いやペイントリウム・マリオネイト部が夏大会の全国大会出場が決まったことから始まる。
強豪校で知られる県立先ヶ橋高校マリオネイト部は、全国大会出場それ自体は珍しくはない。今回も個人では自分と副部長の反屋いざな、そして2年の九石亜矢の3人が残った。こちらは各人で調整していくため、特に部全体としての課題は無い。問題は同様に勝ち進んだ団体だ。
5人一組のセルを組んで挑む団体戦は、そのメンバーの選定が非常に大きなウエイトを占める。相手チームの出場選手を予測し、機体・試合運びともに相性の良い編成をぶつけていくことになる。出場選手の決定は試合開始25分前までであり、入れ替えの効く登録メンバー15人までの中からチェンジが出来る。ところが全国レベルの強豪校の場合、大体予選から各校からの偵察を受けている。下手に出場させて研究されては困るため、主力となるメンバーはここぞという時までは迂闊に出せない。新しい戦術パターンやフォーメーションを取り入れたとき、隠し玉があるときは特にそうだ。
セル組みをするとき、基本形となるのは2:1:1:1――すなわち、前線を押し上げ攻撃の要となるフロントアタッカーが2人、フロントの背中を守り中・遠距離から直援に回るバックアタッカーが一人、偵察・工作・戦況把握など支援役のサポートが一人、戦局に応じて柔軟に動くアシストが一人だ。しかし今回はある隠し玉のおかげで、全国大会からのセル組みが例年と全く異なる、変則的なものになっている。その構成は4:1。フロント4人というまさかの増枠が起こった。決めたのは自分だが。
セル構成としてはベストではあると確信してはいるものの、急に増えたフロントの枠を誰が埋めるか、という懸案が発生した。そこで部内のフロント希望全員で総当たりを行い、上位4名を最終的なセルメンバーとする。そう裁定を下したのが先週の話だ。無論対戦相手との相性も見て判断するが、部内でもコンバットスタイルにバラつきのあるフロント陣を制することが出来れば、対応力もそれなりのものだろうという結論だ。すると他のポジションの部員たちも良い機会だと騒ぎ始め、結局全ポジションでの選考試合を行うことになった。
では早速試合を始めよう、とすんなり事が運ばないのがペイントリウム競技全般の難点だ。ハフフィックは、ライセンス持ち以外はペイントリウム外での使用が強制的に禁止されている。そのため公式戦は全て一定以上の設備を備えた会場で行われる。この学校の実技館は界隈でもかなり高性能な方だが、精密な判定などを含むフォーマルな結果を残すにはやはり一般のペイントリウムに出向くしかない。しかし一校の部活動だけで施設を貸し切るとなると部費が馬鹿にならない。そこで複数校合同での練習試合や交流戦を開催するのが定番となっている。
そんな時、全国大会優勝の常連校である国立画術高等専門学校――通称国画高専の所有する大規模ペイントリウムでの練習試合へのお誘いがかかったのは、まさに渡りに船だった。設備環境としては国内でも最高峰であり、これ以上ないコンディションで練習に臨むことが出来る。しかも、毎年全国大会で苦汁を飲まされている国画高専も参加するとなれば、それなりに敵情視察も可能だ。お互いさまではあるが、こちらも簡単に手の内を晒すつもりはない。あくまでポジションの選考だけに集中する。
「しかし、別に水を差すわけじゃないが、そこまでして亜矢に勝つ必要があるのか? 今回は事情が事情だが、あいつ普段はアシストだぞ。バックのお前が張り合ってどうするよ」
「そうだけど。……色々あるのよ」
そう言った来夏の横顔は、どこか焦りを帯びているようにも見えた。
何がそこまで彼女を突き動かすのか、皆目見当はつかない。ただ、一部長としては意欲のある後輩の存在は喜ばしいものだった。依怙贔屓と言われない程度には手伝えればとは思う。
「ま、そうだな。シミュレーションでもやって記録をISDに送っとけ。暇なときに見て採点ぐらいはするぞ」
「回りくどいわね。模擬戦をしてくれれば済む話じゃない」
「お前俺の話聞いてた?」
僅か二言でこの数分の努力が徒労であったことを思い知らされた。やっぱりしばらく放置した方が本人のためになるんじゃなかろうか。
通常こう言った案件は顧問が相手になるものだが、生憎ここの顧問は現3年、すなわち自分たちの学年主任。進路指導や受験勉強の指導で火の車だ。部活には時々顔を出すくらいで、生徒にほぼ丸投げしている。以前から何となく陣頭指揮を執っていた経歴もあって、大まかな指導は一任してしまった。別に嫌という訳ではないが、日々勉学に励めと諭す立場の人間が受験生に負担を掛けるのはいかがなものか。
腕時計を確認すると、針は逆v字を形作っていた。これは本格的にマズい。来夏の言った通りの展開になりそうだ。
再びハフフィックを描き出す。胸部の仕様を搭乗用に換装すると、ハッチが上下にスライドし球状のコクピット内に据えられたシート、装甲の縁を掴んで内部に滑り込むと、眼下では後輩が両の腕を胸の前で組み、何か言いたげにこちらを見上げていた。
「貴重な時間を割いてやったんだ、フロントの席、勝ち取って見せろよ」
ハッチが閉じると同時に、操縦をISDに移行させ自動航行に切り替える。赤黒の威容が、上描きによって拡張された実技館の床を踏み込んだ脚で軋ませながら、豪快に飛び上がる。天井の一角にある大きな円形の天窓を射出口よろしく描き換え、勢いのまま館外へと飛び出す。上向きのベクトルが冷めやらぬまま、背部で火を噴いた強襲仕様機独特の武骨な大出力ブースターが更に機体を押し上げた。あとはクラウドベルトの誘導を受け入れて塾校舎上空まで一足飛びだ。
シートに座りながら、複数展開したバーチャルコンソールに解きかけの問題集を広げる。ふと、来夏の焦燥する顔が浮かんだ。
(……まぁ、気持ちも分からんでは無いがな)
確かにあれほど目標として申し分ない相手もそうそういないだろう。簡単に追いつけないぐらいがちょうどいいのだ。だが、高すぎる理想は己の身を潰す。深山来夏という人間にとって、九石亜矢は適切なライバル足り得るのか。それを決めるのは無論当人だ。ただ、挑戦しようという気概は買ってやりたい。そのために多少のテコ入れが必要ならば、と思ったのだが。
(そこら辺は自分で上手く消化するか。あいつもそこまで不器用じゃないしな)
他人の心配よりまずは自分の心配だ。とりあえず次の模試までに一通り国語系の弱点補強を済ませておかなければ。あと英語か……などと頭を悩ませ始めると、去来していた後輩達も霧消していった。
そうしてただ一つ残ったのは、これからも放課後の時間が削られそうだという約体も無い、それでいてかなりネックな事実だった。問答無用と勉学を優先して部活を切り捨てられない以上、早計な判断も起こりうるか。どこか楽観的な想定が受験へのささやかな逃避であることは最早明確だった。
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