シノク
ここは、一人暮らしをしている彼女の部屋。八畳一間の安アパートの一室で今、俺の彼女は新たな生命を生み出そうとしていた。
彼女は歯を食いしばりながら「ぐううぅぅぅ!」という、今まで聞いた事の無い声を上げる。思い切り布団を握りしめ、真っ赤に染まっている顔に球体の汗を浮かべ、充血させた目を見開きながらどこか一点を見つめている彼女の表情を見て、俺は獣を連想させていた。
彼女の声と表情による迫力は一時俺をとても慌てさせたが、数十分経過した今は正直、何の感情も湧いてこない。むしろ早く終わってくれないか……とすら、思ってしまっている。
「けいごぉっ! けいご痛いっ! 痛いよぉっ!」
彼女は血走らせた眼を思い切り開き、俺の顔を見つめた。その際に彼女は首を少し動かしたのだが、その振動で大量の汗が彼女の顔から流れ落ち、少し引く。先程彼女の顔の汗を拭いたばかりだと言うのに、もうこんなにも汗をかいているのか……なんて事を、瞬時に思ってしまった。
なんだろうな、この感情。心というものが心臓にあるのか脳にあるのか俺には分からないが、俺の中にある心が、何も感じなくするために、バリアを張っているかのよう。
必死な彼女の表情も、声も、俺に感動を与える事は無い。あぁ、なんか言ってるな……程度の事しか、思わない。
「大丈夫だよ。もうちょい」
俺の声は自分で聞いても驚くほどに、渇いたものが発せられていた。
妊娠させたのは、間違いなく俺。授業中や自宅に居る時を除き、俺と彼女はほとんど一緒に居た。浮気なんてする暇は、無かっただろうと思う。
去年の春、うちの高校に新入生として入学してきた、地方出身で親元から離れ一人暮らしをしている彼女は、ゴールデンウィークに差し掛かる直前に、ひとつ学年が上の俺へと告白してきた。
全然知らない娘で、顔も特にタイプという訳でも無かったのだが、俺は産まれて初めて受けた告白という事で舞い上がってしまい、好きな人が居たにも関わらず、彼女と付き合う事にした。
付き合ってみると、彼女は昼食に弁当を作ってきてくれたり、放課後に自室へと俺を招き入れ自身の処女を自ら捧げてきたり、親から送られてきた仕送りを使いペアリングをサプライズでプレゼントしてくれたりと、いじましいほどに俺へと尽くしてくれた。
俺の趣味を把握し、俺が好む漫画。テレビ番組。ゲーム等も一緒に楽しんでくれた。この部屋にある漫画の本やゲームなんかは、全て俺が持ち込んだもの。
しかしそれでも俺は、彼女の事を本心では、好きになりきれていなかったように思える。
何度も何度も「好きだ」「愛してる」と伝えては来たのだが、その時も俺の心は、バリアを張っていた。本当に好きな、同級生の顔ばかりが、俺の脳裏には浮かんでいた。
「けいごぉっ! うううぅぅっ! いやあああっ!」
彼女はこの世の終わりを見つめるような顔で絶叫し、その言葉と同時に、赤い液体と共に糞尿を漏らす。
ネットで調べて知ってはいたが、本当に出すのか……と、俺はシラけた気分でその光景を見つめる。
「いやああっ! けいごぉ見ないでぇえっ!」
「大丈夫だって。気にするなよ」
俺はネットで得た知識に習い、彼女の口に、タオルを噛ませた。彼女の「うーっ! うーっ!」という声に、俺はまた獣を連想させる。
まるで調教されてる猿みたいだな……なんて思い、笑いをこらえるために「うぅんっ」と喉を鳴らす。
学生の身分で金が無く、親に相談する事も出来ず、子供を堕ろす事も出来ずに、ついに出産の時が来てしまったのだが、俺にとってはその現実が重すぎて、今の今まであまり考えないようにしていた。そして「あまり考えない」という行為が癖になってしまい、今に至る。今というのは、俺が赤ん坊の死体をバスタオルに包みながら手に抱いている状況の事を言う。
「けいご……けいごぉ……」
彼女は泣いている。
何故かパンパンに膨れ上がった顔を俺へと向け、股を開いた情けない姿のままで、涙を流している。
それでも俺の心は、動かない。
「まぁ、仕方ないよ。お前が生きてただけでも」
「けいごっ……どうしようっ……あかちゃんっ……赤ちゃん、死んじゃったよぉっ……」
俺の言葉を遮る彼女に、俺の感情は動く。
これは、苛つきという感情だ。
「死んじゃったぁっ……私とけいごの赤ちゃんっ……! 赤ちゃんがぁあっ!」
俺は内心苛つきながら、名前がスッと出てこない彼女の顔を見つめ、今後の事を少しだけ考えた。
この糞まみれの汚い死体、どうやって処分しようか、と。
シノ時 ナガス @nagasu18
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