Ⅲ-2 小舟作り開始

 丸木舟は一本の丸太をくりぬいて作った小舟だ。浜辺には四艘の丸木舟があった。リカルドはそのうちの一艘を海に浮かべてみた。


「思ってたより細いな」


 リカルドが知っているのは板を継ぎ合わせた舟だ。それに比べると幅が狭く、ひとりしか乗れない。おまけに結構沈む。


「波に弱いんじゃないか? これでイスパニョーラまでいけるのかな」


 ぶつぶつと独り言をつぶやきながら櫂を動かした。澄んだみどりの水をかき分けて舟が進む。ひとまず座れるだけの深さはあるし、漕いでみると意外に安定した。丸太が重いおかげで転覆しにくいのかもしれない。


 海は凪いでいた。深い青色の水平線が、色合いの異なる青空とくっついている。親しんだ潮の香りはリカルドを上機嫌にした。


 顔だけ振り向いて、試し乗りを見守るスサナとフェルナンドに笑いかけた。フェルナンドは無愛想だが、スサナがにこやかな笑顔を返してくれる。リカルドはますます気分がよくなった。


 この島で過ごしてまだ三日ほどだが、気づいたことがいくつかある。そのひとつが住人たちの服装の田舎っぽさだ。ボタンが使われていないシャツは下着みたいに見えるし、形もゆったりしていて、ほかでは見かけない。

 司令官や兵士たちなんて田舎っぽさを通り越して古くさかった。まるで一昔前の騎士のような格好なのだ。最初に見たときは目を疑った。


 船乗りであるリカルドでさえ知らなかったような島だから、きっとここで暮らす入植者たちはマドリードでの流行はもちろん、セビリアでの流行ですら知りようがないのだろうし、知っていても新しい服などなかなか手に入れられないのかもしれない。


 スサナだってそうだ。袖やスカートの膨らみをわざと大きくする流行のドレスではなく、腰から下が自然な膨らみのワンピースをいつも着ている。スサナは労働階級の娘ではないのだから、本当ならもっとフリルやレースで飾った服を着ているのが普通なのだ。ところがそうしたヒラヒラはついていなかった。


 とはいえ、そういう流行を無視した服装もスサナの魅力のひとつだとリカルドは思った。色の違う生地を重ねているからけっして地味ではないし、なによりもこの島の明るい景色によく似合っている。


 そんなことを考えながら漕いでいたリカルドは、沖の手前で異変に気がついた。

 臭いのだ。

 何だろうと視線を下に向けて、さっきまでとまるで違う舟のありさまに腰を浮かせた。


「腐ってる?」


 舟の底もへりも触るとぶよぶよしている。長いこと水分を含みすぎてもはや乾かなくなった感じだ。海に浮かべた段階ではこんな状態ではなかった。これほど悪い状態の舟なら乗る前に一発で気がついたはずだ。


「っかしいなー、なんで気づかなかったんだろ」


 首をかしげながらリカルドは体の向きを変えた。船首も船尾も同じように尖っていてどちらがどちらかわからないため、舟の向きはそのままにして、漕ぐ方向だけを変える。浜辺に戻らなければ。


 ところがいくらもいかないうちに舟が浸水して傾き、みるみる沈んでしまった。櫂を放り出したリカルドはせっせと泳いで浜に戻った。


「腐ってた! というか、突然腐った、ような……」


 スサナが笑って出迎えた。


「試し乗りして正解ね。舟が腐るなんてびっくりだわ」

「でも変なんだよな。気づかないわけないんだけど」


 釈然としない顔でリカルドは残りの舟を調べる。

 その様子をぼんやりと眺めるのはフェルナンドだ。しばらく物思いにふける目をしていたが、霧が晴れるようにリカルドをはっきりと見据え、声をかけた。


「たぶん、ここにある舟はすべてだめだ」

「だめって? とりあえずこれは腐ってないみたいだけど」

「沖に出ることはできない」


 リカルドは髪をかき上げて唸った。それでは困るのだ。


「まあ確かに、たとえ沖に出られたとしても波が高ければひっくり返りそうだ。ほかに舟はないのかな?」

「ない」

「じゃあ、連絡船とか定期船とか、いつ来る?」

「来ないな。……少なくとも今年は」

「困った。俺はどうすればいいんだ」

「新しい舟を作れ。それも、自分で作れ」

「え、俺が作るの? 乗ることはあっても作ったことは一度もないんですが!」

「おまえの舟をおまえが作るんだ。それでもうまくいくかはわからないが……」


 フェルナンドの最後の言葉は独り言のようだった。「おまえに小舟を作る能力はないかも」という意味に受け取ったリカルドは、不敵に笑った。


「よし、作る! 俺の舟を俺が作る! 船大工もできちゃう船乗りになる!」

「私も手伝うわ。何かできることがあったら言ってね」


 新しいことを始める高揚感からか、スサナは目を輝かせてリカルドを見つめた。


「ありがとう、それじゃまず雨を降らせてくれ」

「雨ですって?」

「泳いだからね、洗い流したい」


 いたずらっぽく笑うリカルドに、フェルナンドが横から口を挟む。


「雨なら今すぐ降る」

「へえ?」


 リカルドは半信半疑で空を見上げた。ちっとも降りそうになかった。


「フェルナンドさん、雨が降るかどうかなんてわかるの?」


 スサナも不思議そうに問いかけながら空を見上げた。

 ちっとも降りそうにない晴天だったが、急に雲行きが怪しくなった。空が暗くなって、たちまち激しい雨が降ってきた。


「本当に降った! すげえ!」

「フェルナンドさんって、天気も読めるの!」


 リカルドとスサナがフェルナンドを見て驚きを口にする。

 予告通りの雨をリカルドは全身で受け止めようと両腕をひろげた。スサナが楽しそうにそれを眺める。フェルナンドだけがすっきりしない顔でリカルドを見つめていた。


 突然の雨は、止むときも突然だ。スサナが歓声をあげた。海上から雲間に向かって太い虹が立っていた。


「なんか全部うまくいきそう」


 リカルドは目を細めて微笑んだ。




 丸木舟との相性は悪いと判断したリカルドは、見慣れている板張りの小舟を作ることにした。するとフェルナンドが不安そうに「作り方はわかるか」と尋ねてきた。


「船大工がいればいいんだが、いないんだ」


 それを聞いてリカルドはニヤリと笑った。


「実はね、親父の友達が船大工やっててさ、作り方の説明してもらったことあるから何となく知ってるんだ」


 船造りの現場をはじめて見たとき、リカルドは感動した。ガレオン船も小型艇も人の手で生み出されている真っ最中だった。これがやがて大海原に飛び出していくのかと想像したら居ても立ってもいられなくなった。


 その時にリカルドは船乗りになることを決めたのだ。この船が疾走するところを見たい、船を生む場所ではなく、船と生きる場所にいきたい、そう強く思ったのだ。


 板張りの小舟を作るのに必要なものをリカルドは考えた。

 骨組み用の木材、板、釘、かんな、ハンマー……あと何があったっけ。

 う~んと頭をひねりながら、フェルナンドに助けを求めた。


「まず大きさを決めてから木を伐らないと」


 フェルナンドは組み立て中の懐中時計や部品を机の脇によけた。時計の設計図を裏返して羽根ペンを手にする。


 リカルドは居間から椅子を引っ張ってきて座った。フェルナンドの細かい質問に眉根を寄せたり首をかしげたりしながら答えていく。


「おお、すげえ。設計図だ」

「骨組みや板は島の木で用意できる。道具が問題だな。島にあるもので代用して……どうしてもなければ作るしかないが……」

「いや、ほんと助かります」

「それと、雨も問題だ」

「すぐ止むから平気でしょ?」

「もう雨期なんだ。一日に降ったり止んだりを繰り返す。小舟を作るのに板が濡れていたら……どうなんだ?」

「どうなんだろ? 結局海に浮かべるから問題ないんじゃ……ああでも、板を曲げるときはだめだな。火を使って曲げていくから」

「火か。鉄工所で……いや、狭いな」

「鉄も作ってんの? 畑だけかと思ってた!」


 すげえな、とリカルドは快活に笑った。

 フェルナンドは考えにふけっている。その目は熱を宿して生き生きしていた。時計作りとはまた違うが、作るということそのものがフェルナンドを熱中させるらしかった。


「リカルド、先に作業所を作ろう。屋根さえあればいけるんじゃないか」

「さっすがフェル! 頭いいね!」


 リカルドは勝手に愛称でフェルナンドを呼んだ。たぶん歳が近いし、親しくなりたかったからだ。


 瞬間、フェルナンドの目が嬉しそうに輝いた。けれどすぐに陰りを見せる。


 その変化に気がついたリカルドは、内心で首をかしげた。

 たとえば、フェルはスペインに帰りたくても帰れない事情があるんじゃないだろうか、と想像してみた。それは天才的な時計職人であることと関係しているのかもしれないな、と。


「リカルド、……クリストバル・コロンを知っているか」

「もちろん知ってるよ、俺たち船乗りにとっては大先輩だ」

「クリストバル・コロンは、どれくらい前に死んだ?」

「んんと、ごめん、わからない。かなり前」

「今は何年だ?」

「ええ? 何年かってあんまり気にしてないからなあ……90年をちょっと過ぎたあたり?」

「90年? それは、そうだな、1490年のことか?」


 ぶはっ、とリカルドは吹き出した。


「フェルでもそんな冗談言うんだ! 1690年だよ」

「……そうか」

 

 フェルナンドは視線を落とした。


「なんで? これってなんの質問?」

「なんでもない。今日はもう帰ってくれ。道具はなんとかするから、おまえは作業手順を頭に入れておけ」

「わかった。じゃあまた明日」


 フェルナンドの変化が気になったが、深追いせずにリカルドは外に出た。

 地面が濡れていた。そういえばここを訪ねた直後に降ったなと思い返す。すでに空は晴れて、明るい光が降り注いでいた。

 時計工房にいたときから暑かったが、外に出ても変わらない。風も吹いていなかった。


「どれくらいかかるかなあ」


 椰子の葉を見上げながら、手をかざして日差しを遮った。今後について考えを巡らせる。


 筏ならもっと簡単に作れるのだろうが、馴染みがないし、それでイスパニョーラまで行けるのかという不安がある。なにより舟を作れと言われてその気になってしまった以上はやっぱり小舟を作ってみたい。


 しかし、サクッと作れそうな気がする一方で、うろ覚えの知識と素人の技術では何度も失敗しそうな気もする。

 とはいえ、帰り道はわかっているのだ。イスパニョーラまで行ければ、あとはどうにかできる。どうせ積み荷の取り引きはできなくなったし、急ぐこともない。


 まあ、なるようになるさとリカルドは気楽に考えた。

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