Ⅰ-5 砦

 この島の謎を突き止めてやる。ここが父と母の出会った島なのかどうかをはっきりさせて、時計の謎も解いてから島を出よう。


 謎の男に「出ていけ」と言われたことで、フアンは躍起になった。ダメと言われたらやりたくなる性分なのだ。


 砦の門をくぐると手荒い歓迎を受けた。庭の木に繋がれた犬がけたたましく吠えたのだ。首輪についた紐を引き千切らんばかりに引っ張っては飛び跳ねている。


 フアンのいるところまでは距離があるが、歯を剥き出して吠えるものだから慌てた。紐が切れて襲ってきたらどうしよう。

「しーっ」と身振りでなだめようとしたが効果はない。フアンは助けを求めて辺りを見まわした。


 玄関を挟んで犬の反対側に馬小屋があった。そこから出てきた人物を見て、フアンはホッと胸をなで下ろした。すがる気持ちでにこやかに声をかける。


「昨夜はどうもお世話になりました」


 馬小屋から出てきたのは、アナカオナと一緒にフアンの世話をしてくれた男だった。カシケ、という名前だっただろうかとフアンは記憶を辿る。


 頭に挿した鳥の羽根飾りがとても目立った。顔だけでなく全身に赤や黒や白で模様を描いている。昨夜は鼻輪をしていたはずだが、今はしていなかった。


 カシケはにこりと笑い、砦の二階あたりを指さした。その伸ばした腕の皮膚がひきつれていることにフアンは気がついた。火傷の痕だろうか。


「しれいかん、いる」

「あ、はい。行ってきます」


 フアンはそそくさと扉に手をかけた。カシケは馬小屋に戻っていく。きっと馬番なのだろう。


 ひたすら吠え続ける犬が気になって振り向いた。犬のさらに奥、庭の木々に隠れて白い家が見える。あれが司令官の寝起きしている家なのかもしれない。


 フアンは犬に噛みつく仕種をしてから扉を開けた。


「誰だ」


 横から声が飛んできた。開け放ってある小部屋から男が歩いてくる。その姿を見てフアンは笑い出しそうになった。


 長袖の上衣は詰襟で、くつろげた胸元から下着が見えている。下着の襟元には刺繍が施されているから、それを見せたいのかもしれない。

 そこまでは、まあいい。個人の好みだと思って、見て見ぬふりをしておしまいにもできる。

 だが、下半身の格好はそうもいかなかった。


 フアンの目の前にいる男は、腰からふっくらと膨らんだ腿丈の半ズボンを穿いていた。ズボンの下にはぴったりとした長い靴下を着用しているようで、ズボンの裾と長靴とのあいだの脚線美がよくわかる。カボチャのように膨らんだズボンとの対比がなんともいい味を出している、のだが。


 なんだこの格好、いつの時代だよ。


 フアンはおかしくてたまらなかった。

 丈が膝上のズボンというのは別に変ではない。上流階級ではむしろ普通だろう。けれどこれほど膨らんでいるのは時代遅れもいいところだし、丈も短すぎる。

 腰に剣を帯びているところを見ると、どうやら彼は兵士らしい。


 いつだったか、何かの絵画でこんな服装の人物を見たことがある。あれはかなり昔の時代を描いたものだったはずだ。この島の軍服は懐古趣味でできているのだろうか。


「おい、誰かと聞いてる。何の用だ」


 兵士は苛立った様子で睨んだ。

 ここで笑ったら面倒なことになりそうだ、と直感したフアンは、必死にまじめな顔をこしらえた。


「フアン・アレナスです。助けていただいたので、司令官様にご挨拶を、と」

「ああ、お前がそうか」


 値踏みするようにフアンを眺めまわした兵士は、「変な格好だな」とボソッと告げた。「田舎育ちか」と。


「いや、田舎ってほどでは」


 フアンは自分の身なりを確認した。

 くるぶしが見える位置で裾を絞ったズボン、布製のベルト、長袖のシャツ。別に不自然ではない。

 裸足がいけないのか? それとも頭にターバンを巻いているのが見慣れないのだろうか。それにしたってカボチャみたいなズボンよりはマシだと思う、と兵士を見たフアンは、また笑いを噛み殺した。


「ついて来い」


 横柄な態度でカボチャ兵士は歩き出した。

 緩みそうな頬を軽く叩いてフアンはついて行く。二階に上がり、意外なほどあっさりと司令官の前に通された。


 立派な口ひげと長髪を持つ初老の男が書き物机の向こうに座っている。着ているのは詰襟のシャツ、かと思ったが違う。立襟がヒラヒラの縁取りで飾られているこの服をフアンは知っていた。


 子供の頃、大伯父の家で古い衣裳箱から中身を引っ張り出して叱られたことがある。その時に大伯父が一着の服をひろげて見せてくれた。

 大伯父が若いときに着ていた服だそうで、当時はごく一般的な服装だったらしい。それこそがこのヒラヒラの襞襟がついた長袖の服だったのだ。


 今じゃ誰も着ていない服だ。街を歩いたって見かけることはまずない。しかもこの服は中綿を詰めてあったはずだ。この暑い砦の中で着ているなんてよほどのこだわりか、ただの痩せ我慢だろう。


 これが軍服なのだとしたら、懐古趣味の軍服を意地でも着るという生真面目な性格なのかもしれない。それとも中綿はさすがに抜いてあるのだろうか。いずれにしろ、気難しそうな司令官の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


 フアンは想像した。

 机に隠れて見えないが、もしかしてさっきの兵士と同じように下半身はカボチャなのだろうか。

 全身像を思い描いたらたまらず吹き出してしまい、慌てて咳払いでごまかした。


「わざわざ挨拶になんて来なくてもよかったんだが」


 司令官はにこりともせずに言った。フアンは気を取り直して微笑む。


「フアン・アレナスです。助けていただいてありがとうございます」

「イラリオ・ガルシアだ。君は入植希望じゃないんだね?」

「俺はただの船乗りです」

「で、これからどうする」

「小舟があるので、それでイスパニョーラ島まで行けば貨物船なりなんなりに乗りこめるのではと考えています」

「ではそうしたまえ」


 話は終わりとばかりに司令官はフアンを追い払う仕種をした。けれどフアンは帰らない。挨拶をするためだけに来たわけではないのだ。


「あの」

「どうした」


 司令官が露骨に面倒そうな顔をした。


「スサナ・ガルシアという女性を捜しています。こちらにいらっしゃいますか」


 司令官の片眉が上がる。


「実はその、二十年前に俺の親父が、その、お世話になったと言ってて。司令官様の娘さんが同じ名前だと聞いたから、そのですね」


 フアンが喋れば喋るほど司令官の眼光が鋭くなった。


 フアンは歯切れが悪くなる。この人が自分の祖父かもしれないということを改めて思い出したのだ。ディマスやマルティンの話でいくと別人ということになるが、まだそうと決まったわけじゃない。


 この人が祖父なら、フアンの推測では、父と母の仲を快く思っていなかった人、だ。だとしたら、孫に対しても好意的とはいかないかもしれない。


 しどろもどろになるフアンを睨みつけたまま、司令官が淡々と告げた。

 

「人違いだな。確かに私の娘はスサナという名だが、二十年前ならこの島にいるわけがない」


 フッ、と冷たい空気に吹かれたようにフアンの胸がふさがれた。


「司令官様がこちらに着任されたのは、いつですか?」

「三年前だ」

「そうですか……では、二十年前にここにいた司令官について、何かわかりますか」


 司令官が溜め息をついた。


「君はゆっくり休んだほうがいいようだ」


 再びフアンを追い払う仕種をする。今度は有無を言わさぬ力強さだった。


「あ、あの、司令官様の娘さんはどちらに?」


 司令官の目が吊り上がった。拳を机に叩きつける。


「知らん!」


 突然の大声にびっくりしてフアンは声をなくした。


「わけのわからんことを言うな! 出てけ!」

「すみません」


 逃げるようにフアンは部屋を飛び出した。廊下を歩きながら乱暴に頭をかく。


「ああくそっ、なんだってんだ」


 やっぱりここは父と母が出会った島とは別の島なのかもしれない。

 ここは七年前に入植が始まったばかりの島で、カンティガという名前こそ同じだけれどまったく別の島。たまたま母と同じ名前の女性がいるらしいけど、それも母とは無関係の他人。もうそれで納得してしまおう。


――では時計は? 住人が持つと動かない時計の謎は?


 浮かんだ疑問を、「知るか」と一蹴した。

 どうせ不良品だ。たまたま動いたり動かなくなったりするだけで、きっとふたつのカンティガ島で時計の開発を密かにやってるんだ。

 

 玄関を出ると再び犬に吠えられた。それを腹立ち紛れに睨みつけて、急ぎ足で門を抜ける。とたんに「お」とフアンの足が止まった。


 子供が立っていた。腰布だけを身につけたインディオの子供だ。まだ十歳にも満たないだろうか。可愛らしい顔立ちで、男の子のようにも女の子のようにも見える。


「こんにちは」


 フアンは笑顔で話しかけた。子供の無垢な瞳を見れば苛立ちなど飛んでいってしまう。たとえどこの国の生まれだろうと子供は可愛い。子供に罪はない。悪ガキは嫌いだが。


 インディオの子供は黙ってフアンを見上げてきた。

 アナカオナやカシケと違って言葉が通じないのだろうか。それでもフアンは話しかけた。


「遊んでるの? ひとり?」


 子供はフアンの顔をじっと見つめている。寂しそうな目だな、とフアンは思った。


「一緒に遊ぶ?」


 子供は口を閉ざしている。けれど何か言いたそうなのだ。

 どうしたもんか、とフアンが途方に暮れていると、横から声をかけられた。


「ああ、いたいた、フアンさん」


 足早に近づいてくるのはマルティンだった。


「砦の前で何してるんです?」

「ああ、いやちょっと」


 どこから説明したらいいのかとフアンは口ごもる。マルティンは首をかしげたが、すぐに話題を変えてきた。


「フアンさん、うちに泊めるって話なんですけどね」


 申し訳なさそうにマルティンは自分の首筋に手を当てた。


「実はですね。あなたをぜひ預かりたいという人がいまして。どうしても、と言うんですよ。今からその人の家に案内しますね」

「はあ。泊めてもらえるならどこでも。どういう人なんですか?」

「悪い人じゃないですよ。フェルナンド・ヒロンさんっていって……」

「フェルナンド?」


 聞き覚えのある名前だ。


「それって、時計を作ってるっていう?」

「あれ、知ってましたか」


 フアンは嬉しくなった。時計師が島にいることを忘れていた。その人物に聞けば時計の謎は解けるじゃないか。


 急に元気を取り戻したフアンは、ふと気がついて辺りを見渡した。どこに行ってしまったのか、インディオの子供がいなくなっていた。

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