第8話 あたしの日常・8

 朝食を終え、学校にきたふたりは、ホームルームが始まる前の時間を利用して、霊が視えるという女子生徒に会いに行った。彼女は怪談が好きなようで、よく心霊スポットと呼ばれる場所へ行ったり、そこで撮ってきた写真を見せたりして、校内では霊感少女としてわりと有名な子だ。霊体験を人に吹聴して歩くことで目立っていた彼女との接触は、できるだけ気配を消して生きてきた理央にとっては苦痛に似たものがある。


「えぇー? 神楽さんってこういう話、好きなんだ? 意外ー」


 彼女は、まだ何も訊ねていないというのに、学校周辺での怪奇現象について勝手に話し始めた。学校帰りに川の水面を走る子どもを視たとか、欄干から何度も飛び降りる男を視たとか、校舎の裏にある物置に女性の霊がいたとか、本当にたくさんの話を一気にまくし立てている。


「川にいたんは子どもやないで。じーさんや。釣りしとって流されたんやな」

「あの欄干から飛び降りるんはおかしいで? 下は川なんやから、水死体。運悪く浮かんでこれんかったにしても、普通は川ん中で悪さする程度。何度も飛び降りるならふつーに建物から地面に落下するパターンが王道やね」

「校舎の裏の物置なー。あそこは霊が悪さするんやのうて、ヒトやで。エロイことしてはりますやん」


 彼女が一生懸命話している内容にいちいち持論を展開させる愁を睨みながらも、彼女のテンションに疲れてきた理央は早々に礼を言い、愁の腕を掴んでその場から離れた。人気のない廊下まで引っ張っていき、思いっきり愁の後頭部を平手打ちする。


「シュウが話を聞きたいって言うからあの子に声をかけたんでしょう!? どうして話の腰を折るようなことをするの!?」

「ああ。あの子、ホントに視えてたとしても薄っすらやね。俺の声、聞こえとらんかったし」

「声? あんたがぶつぶつしゃべってたこと言ってんの? そんなの無視したに決まってるでしょ? だいたいねぇ、話を聞きたがっている人間が、相手の話も聞かずにブツブツブツブツ横やり入れる!?」

「せやろ? 俺、心ん中でしゃべっとったもん」

「はぁ?」

『簡単に言うと、テレパシーやね』


 突然頭の中に聞こえてきた愁の声に驚く。軽く眩暈がした。たしかに彼女は、愁の言葉に反論することなく、怒ることもなく、ずっと自分が体験した話を続けていた。テレパシーと言われたら納得してしまう自分が嫌だ。


「なぁーほかにもおらへんの? 霊が視える子」

「……いたとしても、そういう子はきっと誰にも言わないよ。あたしだって誰にも言わない」

「そうか……。んじゃちぃとめんどいけど身近なとこから燻り出してくしかないな」


 そう言って愁は自分の教室に入った。理央も慌てて追いかける。17年間生きてきて、頭の中で声がしたことなど今のが初めてだ。しかも、言われなかったらテレパシーだなんて気づかないくらい鮮明に聞こえた。


『誰か俺の声、聞こえてはりますかー?』


 突然大声で呼びかけた愁に理央はギョッとしたが、誰ひとりとしてシュウの声に反応する様子が見られないことから、またしてもテレパシーとやらなのかとちょっとホッとして教室を見回した。そう簡単にコレが聞こえる人が身近で見つかるとは思えないが、一応反応するかどうかだけは確認しておいたほうがいいだろうという適当な気持ちだった。

 ふと教室の隅の席が視界に入った。その人物だけ、不自然に体が動いたのだ。理央はツンと愁のシャツを引っ張った。いや、まさかと思いながらも、理央はその人物から目が離せない。


「なん?」

「今……微かにだけど反応した人がいた」

「まじで? どの人?」

「あの席の……たしか、瀬戸春人くん……」

「まじで!?」


 愁は驚いた顔をして彼のほうをじっと見つめる。すでに彼は手元の教科書を捲り、ただ授業前に予習をしている生徒となっている。


『瀬戸くーん? せと、はるひとくーん? 聞こえてはりますかー?』


 一見すると無反応だが、彼は明らかに嫌そうな表情を浮かべた。見間違いではなさそうだ。


「ビンゴやね。リオ、お手柄やん」


 愁はわしわしと理央の頭を撫で、そのまま腕を掴んで彼の席に向かう。来るな、嫌だ、という感情が流れてくるのは、いわゆるテレパシーの影響なのだろうか。理央は、なんとなく彼がそう思っていてもおかしくないと思っていた。霊が視えることなんて、なんの自慢にもならない。もし彼が理央のように、怪異に怯えて暮らしていたのだとしたら、こんな得体の知れない者たちが唯一の自分の領域に踏み込んでくるのを拒絶しても不思議ではない。この方法じゃだめだと愁を止めようとしたそのとき。愁はコツンと机を拳でノックした。


『瀬戸くん? ちぃとお話、よろしいですかー?』

「……何?」


 意外にも瀬戸春人は、返事をした。決して友好的な態度ではなかったが、机に手をついてニコニコしている愁を見上げる。その目は確実に警戒しているにもかかわらず、相変わらず愁は笑みを絶やさない。


『自分の能力に気付いてはりますよね?』


 彼の肩がぴくんと反応する。愁にとっては思っていたとおりの反応だったらしいが、理央にとっては予想外で目を見開く。


『ダンマリは肯定と取りますけどよろし?』

『……なんで……』


 彼は諦めた顔で目を伏せ、次に視線を上げたときには攻撃的な目を向ける。


「お昼休み、一緒にメシ食おうか、ハルヒトくん」

「……わかった」


 本当に嫌々頷いた彼に対し、愁はご機嫌だ。よほど空気が読めないのか、ただの馬鹿なのか。呆れた顔をしつつも理央は注意深く瀬戸春人(せと はるひと)を見つめる。どう見ても普通の人だが、たった一つだけ、理央との共通点がある。彼もまた、このクラスに馴染んでいない。むしろわざと退けているようにも見える。それは中学時代からの自分の姿と重なって見えた気がした。



 昼休みになり、愁はいそいそと屋上に春人を連れて行く。ベンチに腰を下ろし、ご満悦な表情の愁とは対照的に、春人は冷たい瞳を向けていた。


「何が目的? 僕、別に悪いことをしているつもりはないんだけど」

「あーちゃうよ。ただの興味本位と思うてくれてええんやけど、ハルヒトくんは何ができはります?」

「何って……。……時間、止めるくらいで……」

「ほんま!? いやぁー! ハルヒトくん! いきなりビンゴで俺めっちゃ嬉しいわー!」


 愁は満面の笑みで春人の手を握り、ブンブン振る。馴れ馴れしいその態度に春人は心底嫌そうな表情で振り払ったが、愁はさほど気にする様子もなく続ける。


『俺な? 攻撃系なんよ。んで、リオは保護系やね』

『……そう、みたいだね』

『いやーん。めっちゃ話わかるやーん! リオなんて異物とか宇宙人とか言うんやで?』

「シュウ。聞こえてるんですけど」


 ビクッと体を震わせ、恐る恐る振り向く愁の視界の先には、鬼の形相で睨む理央がいる。


「あはは。そうやったね。リオも聞こえるんやもんね」

「マジで一回殺そうか?」

「リオちゃんかわいい顔してめっちゃシュールな冗談吐くんやねー?」

「本気だけどわからせて欲しい?」


 もっとも味方に欲しかった空間系能力者に出会えてうれしいのはわかるが、だからといって理央を馬鹿にしていい理由にはならない。理央はグッと拳を握った。

 ふたりのやり取りを黙って聞いていた春人が突然噴出した。無表情か機嫌の悪そうな表情しか見たことがなかったが、今の彼は同一人物とは思えないほど穏やかな表情をしている。


「なんかヤバイことに巻き込まれそうな気がして警戒したけど、思ってたより楽しそうだね?」

「いや、全然楽しないし! ほら、リオさんめっちゃ怒ってますやん!!」

「昨日、ものすごい力が放出されたの気づいたけど、やっぱりあれ、木戸だったんだ?」

「あー……やっぱバレてた? 空間いじれないから困ってたんよー。おかげで浮遊霊たちがざわついてしゃーない」


 たしかに、戦闘態勢に入ると浮遊霊たちが騒ぎ始めていたが、そのせいだったのかと理央は思う。時間を止めて怪異と戦うことには、そういった意味合いがあるのかもしれない。


「なるほどね……で、木戸は……トウイ?」

「あら! ハルヒトくん、覚醒者?」

「そうなのかな。僕、シュンリって名前の能力者だったみたいなんだ」

「マジー!? あの伝説のっ!!」

「もっとも、今までの前世で力をちゃんと使えていたのはシュンリだけで、そのあとは歴代サッパリだったみたいだけどね」


 ふたりはわけのわからない話で盛り上がっている。どうも瀬戸春人は、愁と同じく自分の前世を覚えていて、かつ、相手の前世もわかるらしい。そのような力を持っている能力者のことを、覚醒者と呼ぶそうだ。理央にとっては意味不明な前世話が繰り広げられるのを適当に聞き流していた理央が、ハッと顔を上げた。耳鳴りがする。ざわざわと身体の中を侵食していくような気配に思わず身震いした。


「シュウ! 来た!!」

「神楽さん、探知能力があるんだね?」

「そうなんよ。今まで戦いもせず生きていたなんて信じられへんよ。ところでハルヒトくん、空間系ってことは、位置も読めるん?」

「……南西に3キロ。……子ども? 珍しいな」

「ターゲットまで視えるんか! しかし厄介やね……子どもか」

「10分止める。悪いけど今の僕にはそれが限界なんだ」

「十分やで。リオ、どないする?」

「……行く」

「おっけー。んじゃどうぞ?」


 愁は背中を向けた。昨日は二人きりだったから照れも何もなかったが、クラスメートの目の前でおんぶされるというのはなかなか恥ずかしい。


「なにしとるん? 早うしないとハルヒトくんの体力が持たないんやで?」

「わ、わかったわよっ!」


 理央は半分やけくそで愁の背中に飛び乗った。南西に3キロ地点といえば、駅とは反対方向だ。それにしても、子どもの怪異とはどういうことだろう。理央が知っている怪異=バケモノは、獣の形をしている。人の形をしたモノとは魂魄以外で出会ったことがない。


「ほな行くで」


 まるで空中に透明な板でもあるかのようにぴょんぴょん飛び跳ねていく様子に、理央は一生慣れることはないだろうと思った。電柱や屋根を飛び移っていたほうがまだ現実味がある。いや、そもそも電柱や屋根を飛んで移動できること自体がもうすでに現実的ではない。理央はいつの間にか感化されていたらしい。

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