第6話 あたしの日常・6
ふたたび愁の部屋にやってきた理央は、居心地悪そうに隅で膝を抱えていた。家を出たことに関しては、不思議と後悔の念はない。今までは逃げることしかできなかった“バケモノ”に攻撃できる愁という存在を目の当たりにし、ましてそれが自分にもできるというのだから、もはや信じるしかない。この段階で9割は信じていた。
が、それとは別の問題が生じている。
「なぁー。そない離れんと、そばきぃや」
「イヤ。あんた、何するかわかんないもん」
「しない言うてるやろ」
「信用してないし」
「……困った子やねぇ……」
そう。ここは愁の部屋だ。1DKの。理央と愁は高校2年生で、一応女と男である。能力を上げるためとはいえ、よく考えればずいぶんと大胆な行動ではないだろうか。むしろ、こんなことをしていていいのだろうか。部屋の端と端にいるという約束で、ようやく落ち着いた理央に、愁は少し迷ったような表情で切り出した。たぶん、聞くタイミングを窺っていたのだろう。
「祝詞、どこで覚えたん?」
「小さいころ、お母さんがおまじないだよっておしえてくれた。祝詞だって気づいたのは中学生のころだったと思う」
「じーさんはそのこと知ってはる?」
「うん。でも、あんまり使うなって……。巫女の血はもうずっと前に薄れていて、お母さんも正当な巫女ではなかったって聞いてる。力がない者が使っていいものじゃないって言われてきたから、今でも使ってるなんて言ったら怒られちゃうかも」
「そうか。んじゃ、怪異に向けて使ってたんは、リオの判断やったってこと?」
「正しい方法じゃなかったのはわかってる。でも、あのバケモノが祝詞で少しだけ怯んでくれたから逃げ切れたこともあるし……。やっぱり使っちゃダメだったの?」
不安げに訊ねる理央に、愁は少しだけ笑みを向けるにとどまった。理央の前世はシオンという巫女であることは間違いない。さらに言うと、シオンが命を落としたあと、もう何百年もの間、一度も転生していない。それは愁が一番よく知っている事実だ。愁の前世がトウイだと瞬時に見抜いた武蔵が、そのことを知らないわけがない。巫女の血が薄れているなんてことはあり得ないはずだった。おかしい、と思考に没頭していた愁は、理央の視線に気づいて小さく笑った。聞けば武蔵は理央を過度なまでに溺愛していたということから、孫かわいさゆえ、わざわざ祝詞で怪異を刺激しないよう禁じていた可能性も高い。そう結論付け、不安そうにしている理央にあえて明るく話題を振った。
「リオの周りに、霊の類が視える言う子、おらん?」
「……いる。けど、ホントかどうかはわかんない。なんで?」
「能力者の可能性がある。今朝、怪異と対峙したとき、空間いじれるヤツおらへんか聞いたの覚えとる?」
「あぁ……そういえば」
「ちとややこしい話になるんやけどな?」
言いながら、愁は英語のノートを自分のバッグから取り出し、小さなローテーブルの上に開いた。棒人間のイラストを4体描き、そこに“攻撃系”“保護系”“回復系”“空間系”とそれぞれ名前をつける。
「攻撃系っつーのは、要するに俺みたいな能力者やね。リオが見たんはアカダマな。霊力を手のひらに集めて放出する攻撃能力なんよ」
“攻撃系”の下に、アカ、アオ、シロ、と書き加えられた。どうやらその3種類が使える能力者が、攻撃系と呼ばれるらしい。
「保護系は、攻撃系能力者と同じ術が使える。けど、パワーは落ちる。その分、自分に回復術をかけることができるんよ。それとは別に、今朝、リオも使った術、覚えとる?」
「うん、金色の」
「そ。あれは自分にだけ使える結界術やね。つまり」
“保護系”の下に、理央、と記される。どうやら理央は保護系能力者と呼ばれるモノらしい。なんとなく理央にも能力者のことが見えてきた。続けて、“回復系”の下には回復術→人・動物・能力者への回復ができる、と書いた。愁は口で説明するのが面倒なのか、黙々とノートに書きつづっていく。“空間系”は、怪異との戦闘中、時間を止めることができるそうだ。攻撃系、保護系能力者以外は、どことなく便利な術師、という印象を受けた。だが、それと霊が視える人を探すことがどうにも直結しない。
「まずは明日、霊が視える人に会うて話聞かせてもらおか。それからやな」
「……ねぇ、あたし、家を出た意味あんの?」
「当たり前やん。俺のそばにいれば、リオの能力が解放できてなくても護ってやれるし」
「あたし、家の中でバケモノに襲われたことなんか一度もないんだけど……」
それこそが、愁の懸念材料だった。神楽の家にはかなり高等なレベルの結界が張ってあった。それだけにとどまらず、家の外にも結界が施されていた。その結界が武蔵が施したものとは断言できないが、正しい方法で作られた結界ではなかったことが引っかかる。
「やっぱり家に戻ろうかな……。能力の解放ってやつは、別にここにいなくてもできるんでしょう? 私たち、一応高校生だし、こういうのよくないと思う」
「それはあかん。じじいに任せていた結果がコレやん。リオは簡単に考えとるかもしれんけど、“次は”死ぬかもしれないんやで?」
「そんなの、シュウに言われなくてもずっと前から覚悟してる! それよりも、あんたの手癖の悪さが怖いっつーの!」
「あほか。俺かて前世からずっと好きな女そばにおるのに触れられへんのは気ぃ狂いそうやねんで? 何百年待ってたと思うてるん!? 今はリオが俺のこと知らん言うてるんやからしゃーないやん……」
「は? なんびゃくねん??」
「まだわからんの? トウイとシオンは恋人同士やったんよ。結局ふたりともアホやから死んでもーたけど」
「死んだの!?」
「当たり前やろ。人間なんやから死なんと転生できへんやん」
「人間なの!? あんたも!?」
「ひっどー……どっからどう見ても人の子やん! なんやと思ってるん!?」
「……異物? ……宇宙人?」
大真面目な理央の表情と言葉に、愁は腹を抱えて笑い出した。愁が異物で宇宙人ならば、まだ解放できていないとはいえ同じ能力者である理央も、異物で宇宙人になるわけなのだが、理央はまだそのことに気づいていない。不満げに頬を膨らませている。
「あかん……リオ、おもしろすぎ……」
笑い転げて涙を流している愁を睨みつけていたそのとき。ズドンと上から押さえつけられるような揺れを感じた。耳鳴りがする。何度もなんども経験した、殺意を持ったあの“バケモノ”が現れる合図。
「シュウ、たぶんなんか、」
「来はったか。リオはここにおる?」
「まさかここに置いていく気!? 馬鹿じゃないの!? このアパートにも、隣近所も、人が住んでいるのよ!?」
アレは理央を狙っているのだ。アパートなんかがある住宅街で、あんなのを迎え撃つなどあってはならないことだ。ここは理央が囮になって、なるべく民家のないところまで誘導したほうが被害は少ないに決まっている。
「んー……空間系能力者がいないっつーのは痛いな。じゃあな? 俺が叫べ言うたらコレ、唱えること」
そう言って愁は、今朝、理央の腕に書いたものと同じ文言を書いた。浮かび上がった文字は相変わらず汚い字だ。けれど読めないこともない。
「これが、結界?」
「そ。自分で張ったほうが強力なんや。朝のでわかったやろ? 俺が因果を結んでリオの能力を強制的に覚醒させたん。だからあのとき、リオはこの術を唱えて結界が張れたっちゅーわけ。了解?」
理央は腕の文字を見つめ、こくりと頷いた。きっと、中途半端に覚えている祝詞よりもずっと効力があるのだろう。少なくとも、このあたりの住民に被害が及ぶこともなく、愁の戦いの邪魔をするような失態はしないはずだ。
「おし。んじゃ行こか」
理央が考え事をしているうちに、愁は窓から出ようと身を乗り出していた。ここは2階だ。あの人並み外れた身体能力をもってすれば容易なことかもしれないが、理央は慌ててそれを引き止める。
「どないしたん?」
「ここから!?」
「あぁ、せやね。リオはまだ跳べんか……。んじゃ、どうぞ」
しゃがんで理央に背を向けられ、不本意ながらもその背に飛び乗った。理央が背中に乗ったのを確認し、窓から飛び出した愁は、ぴょんぴょんと電柱や屋根の上を飛びながら移動をはじめた。怪異の気配を感じていながらも正確な位置は読めないらしく、愁は理央の指す方向へと進んでいく。今までは逃げることしかできなかった理央が、今は消滅させるべくこちらから向かっているだなんてとうてい信じられない気持ちだった。ビリビリ肌を刺す痛みを感じながらも、理央は愁の背中から落ちないよう、必死でしがみつく。頭蓋骨がみしみしと締め付けられる痛みと、神経に障る耳鳴り。理央はポケットの中の数珠をぎゅっと握りしめた。今、愁の背中に乗っていることも、愁が電柱や屋根を飛び回っていることも、夢ではないことは理解した。そして――。
人の背丈ほどの怪異は、現れた。運がいいのか悪いのか、ソレは建物や人がいない場所で咆哮している。普段なら真っ先に家へと逃げていた種類のものだが、目の当たりにして初めて感じた。今まで視てきたモノとは格別にレベルが違う。理央の肌が粟立つ。
「リオ」
「え……?」
「ちゃんと守る。安心しぃ」
なぜか素直に頷けた。それどころか、同じことが前にも会ったことのあるような気すらした。
地面に降り立った愁は、理央をなるべく目立たない場所に下ろし、結界を張った。理央は心の中で腕に書かれた文字を復唱する。せめて、愁の戦いの邪魔にならないようにと祈りながら。
怪異は獲物を発見してよほど嬉しかったのか、ニタリと大きな口を開けた。愁の手のひらに赤い玉が作られていく。今朝戦ったときより大きな玉ができあがると、飛びかかってきたバケモノをかわし、顔面目がけて赤い玉を撃つ。爆発音と煙に包まれて視界はゼロだったが、理央は勝ったのだと思った。その刹那。
「リオ! 避けろ!!!」
愁の叫び声に、理央はなかば反射的に後退した。パリンとガラスが砕ける音と共に霧状の結界が散った。ついさっきまで自分が立っていた場所が大きくえぐり取られている。かつての理央はこうしてバケモノと対峙したことはない。生まれて初めて受けた攻撃――否、甦る過去の記憶。
(あたしはいつも、こうやって攻撃されていたのに、どうして生きているの?)
「結界張れっ!!!」
愁の切羽詰まった声で我に返った理央は、さっき何度も確認した腕の文字を詠んだ。それはまるで何度も詠んだことがあるかのように驚くほどするりと理央の唇から紡ぎだされる。
「我を護りし聖なる鉄壁 悪しき者を散りゆかん……解放」
唱えたのと、怪異が二打目を仕掛けたのは同時だった。金色の光を纏った理央は間一髪のところで攻撃を弾き飛ばし、身を護ることに成功した。ホッとしたのもつかの間。
「リオ、避けぇっ!」
怪異の背後に立っていた愁の手のひらには、特大の赤い玉が完成していた。あれに当たれば結界ごと理央の身体も消滅しそうだ。理央は小さくうなずくと、怪異に背を向け、全力で駆けた。怪異は攻撃してこない理央に狙いを定めたらしく、追いかけてくる。つまり、どこへ逃げても愁が攻撃するはずの延長線上に理央がいる羽目になった。
愁は舌打ちして膝をバネに大きく跳躍した。月と愁が重なるのが見える。理央は愁が言わんとすることを理解した気がした。彼の手のひらから赤い玉が放たれた瞬間、理央は進行方向から右へ大きく逸れる。
耳をつんざく絶叫。爆風で弾き飛ばされ、軽々と宙に浮いた理央の身体はすぐに愁に抱きとめられて地上へ降り立った。
「怪我、ないか?」
「平気……」
「ごめんな……ちぃとも守ってやれん……」
理央を抱く腕が微かに震えている。足手まといなのは自分だと理解しているせいで、かける言葉も見つからない。理央はただ黙って愁の頭を抱きしめた。
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