第5話 あたしの日常・5

 放課後、愁は男子生徒に囲まれて楽しそうに笑っていた。こうしていると、本当に普通の高校生男子に見える。理央は帰る準備も整っていたが、愁が自転車の鍵を持っているため、帰るに帰れない状況だ。しかたなく英語の教科書を開き、明日の授業の予習に取りかかった。


「木戸、部活入らねーの?」

「俺、バイトあるからなぁ」

「今日の体育、おまえすごかったじゃん。もったいねーよ」

「せやねぇ。運動は好きやけど、チームプレイって苦手なんよ」

「ああ、ワガママっぽいよな、木戸って」

「よう言われるー」


 聞こうとしなくても聞こえてくる会話に理央はふっと笑みを漏らす。あれだけの運動能力をもってすれば、どの運動系の部活に入っても活躍するだろう。それに、もし怪異が現れても、愁ならば易々と消滅させ、何食わぬ顔で部活動を続けるに違いない。もし、自分も愁のように戦うことができたら、あんなふうにクラスメートと笑い合うこともできたのだろうか……と思ったところで、ノートに影ができた。


「リオ、そろそろ帰ろか。じーさんに聞かなあかんこともあるし」


 愁は勝手にノートと教科書を閉じ、ペンケースとともにバッグに放り込むと、当然のように手を差し出した。無意識にのびた手を、触れる瞬間に引っ込めた。愁は怪訝な顔で理央を覗き込む。


「どないしたん?」

「なんでも、ない……」


 孤独には慣れていたし、他人に寄りかかることもなかった。たった1日で理央の中に入ってきた愁という存在をどう扱ったらよいのかわからない。愁は無言のまま自転車置き場に向かい、そうするのが当然のように理央をうしろに乗せて走り出す。


「リオ、ちゃんと掴まっとけよ?」


 理央の手を取り自分の腹部を掴ませると勢いよくペダルを漕いだ。坂道がなくてよかったなぁという呟きが聞こえた。愁の白いシャツがパタパタと風に煽られている。普段ならば、いつバケモノに遭遇するかわからず、神経を注ぎながらの通学路。今は愁がいるから大丈夫だろうと思いながらも、やはり理央の神経は四方に研ぎ澄まされている。緊張が伝わったのか、愁はちょっと笑いながらスピードを緩め、振り返る。


「怯えなくても大丈夫やで。今は普通のこーこーせーの時間。怪異が出てきはっても俺がなんとかするし」

「うん……。祝詞じゃ、どうにもできないもんね」

「そんなことないで? たぶんリオには才能みたいのがあるんやと思う。霊力が不安定やから低俗霊くらいにしか影響与えられんだけで、鍛えたら間違いなくリオ自身を護る力になる」


 愁はたぶん、理央を励ましたつもりなのだろう。けれど、理央が不満に感じているのは自分を護る力以前の問題だ。視えない人生を歩みたかった。どうして自分には霊体が視えて、バケモノに襲われなければならないのか。愁の話では、祖父の武蔵がすべてを知っている口ぶりだったが、それならなぜ理央がバケモノに襲われて大怪我をしたときに話してくれなかったのか。

 ひとり悶々と考えたところで答えなど見つかるわけもない。自転車は理央の自宅へと向かっている。あと数十分もすれば、祖父に訊ねることができる。不安な気持ちを隠すように、理央は青空を仰いだ。



 愁とともに自宅に戻った理央は、促されるがまま玄関口で祖父の武蔵を呼んだ。盆栽の手入れをしていたのか、ハサミを片手に庭から顔を出す。武蔵は数年前に妻の百合に先立たれて以来、よりいっそう理央を甘やかすようになった。受験シーズンを迎えていた理央はあまりにも過剰な愛情に複雑な思いを抱き、祖父の意識を自分以外のものに向けさせようと盆栽を勧めたのだ。理央の思惑はまんまと当たり、武蔵は盆栽に没頭するようになった。ただし、それでも理央に対する甘さは孫を溺愛するそこらの祖父とはレベルが違ったが。愁に急かされ、理央は渋々彼を紹介した。


「じーちゃんに話があるって言うから連れてきたんだけど。こちら、えーと……木戸愁くん」

「わしに?」


 怪訝な顔で理央の隣に立つ愁を見た瞬間、武蔵は怒りをあらわにした。愁は冷たい眼差しを向けている。ピリピリした雰囲気の中、理央だけが落ち着かなく二人を見つめていた。


「気味悪いほど変わらへんね、じーさん。さて、きっちり説明してもらおか?」

「……貴様は……トウイ……」


 忌々しく舌打ちする武蔵に理央は驚きを隠せない。両親が亡くなってから今日まで、武蔵の怒った顔は見たことがなかった。理央にはいつも穏やかに微笑みかけ、バケモノに追われて逃げ帰ったときも無理やり学校に行かせることもなく、泣きやむまでずっと撫でてくれていた。そんな激甘の武蔵が、まるで忌み嫌う者を見るように愁を睨んでいる。しかも、“トウイ”という名も知っているようだ。


「じーちゃん、ホントにシュウのこと知ってるの?」

「……チッ……現世ではそのような名なのか……」


 8割は信じていなかった愁の話が、現実味を帯びていく。それと同時に、理央の中の何かが静かに崩れていく。


「おうこらじじい。説明しやがれ。返答次第じゃ今すぐアカダマかますぞ」

「……理央は……」

「うん?」

「……大事な孫だから危険な目に遭わせたくないだけじゃ」

「ざけんなじじい!」


 怒鳴りつけた愁の声が空気をビリビリと震わせる。


「孫がかわいいゆうたな? だったらなんでリオを解放させんかった? なんべんリオを危険な目に晒したん? リオがなにもかも諦めて、死んだように生きていることが正しい思うてんのか?」

「…………」

「耄碌したな、じじい。リオは俺が預かる。初期解放が済んだ以上、じじいのところにいるよりなんぼかマシや」

「ダメだ! 理央はまだ――いや、そんなことよりおまえはまたしても忌々しい姿に生まれ変わりよって!!」

「うっさいわ。容姿のことは俺の両親に文句言うてくれ」


 目の前で繰り広げられる会話を黙って聞いていた理央は、つん、と愁のシャツを引いた。


「あぁ、すまんすまん。リオにも聞きたいこと、あるよな」

「うん……。じーちゃん、もし、その初期解放ってのをしなかったら、あたしはどうなっていたのかな」


 俯いたまま震える小さな声に武蔵は黙る。理央の胸に刺さったとげはじわじわと痛みを広げていく。しばらくして理央は笑みを作って顔をあげた。


「ごめんね、じーちゃん。シュウの話が本当なら、たぶんあたしは怪異と戦わなきゃいけなくて、今までみたいに逃げてちゃダメなんだよね? でも、ここにいたらきっと、あたしは戦えるほど強くなれないんだと思う。だから……行ってくるね」


 準備してくる、と言い残し、理央は家の中へと入っていった。そんな理央を引き止めようとした武蔵の手が愁によって阻まれる。


「みっともない真似すんな。じじいがリオを大事に育ててたんのは今のリオを見たらわかる。せやけど、100歩譲ったところでじじいがリオにしはったことは、許されるもんじゃないで。ヘタしたら死んでたんよ?」

「おのれ小童……一度ならず二度もわしから……」

「心配せんでええよ。リオの巫女の力は奪うつもりない。じーさんがトウイのこと恨んではるの、それやろ。俺はトウイと違う。ま、いつまでとは約束できひんけどな!」


 武蔵の顔が真っ赤に染まり、盆栽用の鋏を持つ手がわなわなと震えた。ちょうど家を出る準備を終えて出てきた理央の手を引き、愁は駆けだす。


「待てっ!! トウイ!!」

「今はシュウなんでよろしゅうな!」


 後ろから武蔵の怒鳴り声が響くが、追ってくる気配はない。愁は訝しげに振り向き、立ち止まった。おもむろに足元のアスファルトに手を翳し、目当てのものを抓みあげる。

 理央は浮かない表情のまま俯いていたため不審な行動に気づかなかったが、突然愁の手のひらから金色の光の粒が上がったのを見て驚いて目を見開いている。


「え、なに!?」

「あぁ……なんでもない。リオの力が完全に解放されるまでウチで暮らしてな?」

「う、うん……でもどうやって?」

「身体に思い出させてやる」

「えぇ!?」

「あぁ、ソッチやないで? 術のことや。まぁ、ソッチでも俺はかまへんけどな?」

「……変態っ!!」

「いい反応やね。ほんま、シオンみたいや」


 切なげに理央を見下ろし、そっと頭を撫でた愁の顔に、不覚にも胸が鳴る。この感じは、前にもどこかで触れたことがあるような気がした。けれども、もう少しで掴めそうな記憶の糸は、するりと理央の手をすり抜ける。何かとても大事なことが思い出せない。それはまるで、何者かが思い出させまいと封印しているかのようだった。

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