第4話 あたしの日常・4
目を覚ますと見知らぬ天井が見える。
(どこ?)
視線だけ動かすとどうやらここは誰かの部屋で、ベッドに寝せられているらしい。ベッドの傍らには愁が座っていて、心配そうに見つめている。
「気ぃつきはりました?」
「……シュウ……だっけ?」
「リオはほんまにまだなんにも知らされてないんやね……」
「意味、わかんない……」
「本来ならじーさんが初期解放させるねんけど、やっぱ俺一人やあかんね。ちくしょ……怪我ない?」
「……だいじょぶ……と思う……」
自分の身体に異変が見られないことを確認した理央がそう言うと、愁は安心したように深く息を吐いた。そして語りだした。まるで小説か映画の世界のような不可解な話を。
聞き終えた理央は目をぱちくりさせている。
「掻い摘むとこんな感じやね。ほか、聞きたいことある?」
「……聞きたいどころか最初から意味がまったくわかんないんだけど……」
「……なぁ、じーさん、ほんまにボケてはりません?」
「いや、ピンピンしてる」
「……あくどいことしはりよるなぁ。そないに俺、嫌われとるんやろか……」
愁は呆れたようにベットに突っ伏した。しばらくしてちらりと理央を見上げる。悲しげに、そしてどこか諦めたような眼差しに理央は思わず俯いた。小説や映画の脚本と言われたら納得できるかもしれないレベルの胡散臭い話を、はいそうですかと信じられるわけがない。けれど、信じないことよりももっと違う次元で愁が悲しんでいるように感じる。怪異と呼ばれる“バケモノ”が視えるということは、もしかすると愁もただの馬鹿に見えて実は悲惨な過去があったのかもしれない。その部分についてだけは、理央にも共感できる。
「なぁ……リオ、ほんまに俺のこと、思い出さん?」
「知らない。どこかで会ったことある?」
「ショックすぎるけどしかたないか……前世の記憶は蘇るヤツ少ないらしいしな……」
「うん、ごめんね……って、はぁ!? 前世ぇぇぇ!?」
「せやね。前世では俺はトウイ、リオはシオン。怪異退治のパートナーやったん」
前世、などと言われてしまうと混乱するが、要するに生まれ変わった愁と理央もバケモノと戦うパートナーになるということか。生まれたときのことを覚えている人もいると聞いたこともあるし、テレビか何かで自分の前世を知っている人が紹介されていた気がする。愁もその一種なのかもしれない、と理央は理央なりになんとか解釈したものの、依然わからないことばかりだ。
「……ちょっともうまったく話が見えない……」
「あぁ、んじゃこれはまた今度な。それより霊力のブレが気になる。祝詞はさすがやったけど、怪異消滅までの力はない……今まで何やってたん?」
「……何って……普通に生きてただけだけど」
「えぇ!? 護衛でもいたんか!?」
「え? いや……バケモノは視えてたけど、家まで逃げれば大丈夫だったし……」
「にーげーるぅー!?」
異常に驚いている愁にこくんと頷き、すぐに首を捻る。逃げ切ることができれば無事だったが、失敗したことは何度もある。それに、一度だけとはいえ友人を巻き込んだこともある。これは話したほうがいいのだろうかと逡巡する。何かを隠していることを察知した愁は、理央に先を促した。
「逃げきれなくて殺されかけたことはあるよ? 記憶がごちゃごちゃになってて、なんで生きていられたのかわからないけど……。あと……中学時代に、友だちを、巻き込んでしまって……大怪我をさせてしまったこともあって……」
愁は額に手を当て、深いため息を落とした。理央はこれまで、この話を他言したことはない。どうせ誰も信じないからだ。けれど愁は疑う素振りも見せない。もっとも、理央の体験以上の信じられない話を淡々としている時点で、愁は理央よりはるかにおかしい。
「ツレが怪我するとかつらかったやろな……。けどリオのせいとちゃうよ? 力を解放させなかったヤツが悪い。この力は眠らせておいていいものとちゃうで」
ぽんっと理央の頭を撫でた愁は、よろりと立ち上がった。反射的に理央は愁を見上げる。どこに向けられているのかわからないが、その瞳には怒りが宿っている。
「まず、じーさん尋問せなあかん。行くで」
さっきまで気絶していた理央の身体を気遣ったのか、目の前に手が差し出された。差しのべられた手を掴もうなどと思ったことはいまだかつて一度もない。何が理央を動かしたのかはわからないが、理央の手はごく自然に愁のそれに重ねていた。
愁に連れられて自宅に戻る途中で、またしても乗り捨てていた自転車を回収し、思い出す。
「ねぇ、私たち、学校じゃなかった?」
「せやね。……マズイやんっ! 俺、ガッコこれ以上サボるわけにはいかんのよ!!」
愁は理央の自転車のカゴに放置してあったバッグを肩にかけ、自転車に跨る。戸惑う理央を強引にうしろへ乗せ、猛スピードで学校へと向かった。校門には生活指導の教師が仁王立ちしている。チャイムの音とともに教師が重い門を閉じていく。
「ちょい待ったー!! 俺ら、ギリやで! ギリやんな!?」
必死で食らいつく愁に対し、教師は呆れた顔で中へ促した。
「仲がいいのはけっこうだが、二人乗りは禁止だ」
「すまんすまん。ちいとわけありで。リオ、先に教室行っとき。俺、チャリ置き場に置いてくる」
理央が素直に降りたのを確認し、バッグを渡すと、あっという間に自転車置き場へと消えていった。
「神楽が男子生徒と登校なんて珍しいな」
「…………」
「でもまぁ、友人とはいいものだ。大事にしろ」
生活指導の教師は神経質でいつもピリピリしている印象があったが、それは理央の勝手な思い込みだったのだろうか。と思ったが、次の瞬間、完全に閉じられた門の向こうで、絶対に間に合ったはずだと抗議している生徒たちにツカツカと歩み寄り、ネチネチと嫌味を言っているあたり、やはり思い違いではなかったようだ。とにかく、せっかく遅刻を免れたのだからと理央は小走りで校舎へと向かった。
理央が教室に着いたのと愁が現れたのは同じタイミングだった。教室内はガヤガヤしていたが、ドアは閉められている。
「そういや理央のチャリって、置く場所決まってるん? てきとーに停めてきたんやけど」
「あたし、駅まで自転車で、そこからは電車通学なの。停めていいのかわからないけど、一日くらいなら大丈夫じゃないかな」
「へー。たしかにチャリやとけっこうエグイ距離だったな。間に合うてよかったわ。ホンマ、危なかったわ。まあ、帰りも送っていくから安心しい」
なんのことかと首を傾げた理央は、本来ならば電車で15分、そこから自転車で10分という距離を、今日は自転車のみで帰らなければならないことに気づき、密かにホッとした。あの距離を自転車で帰るなんて、いくら毎日のように全力疾走しているとはいえ簡単なことではない。
廊下で立ち話をしている間に担任がやってきたため、ふたりは慌てて教室に飛び込んだ。
理央はほとんど目立たずに学校生活を送っているが、転入生である愁は別である。しかも、昨日は理央に絡んだあと教室に戻ってこないという行動をしたせいもあって、完全に注目を集めていた。ふたりで遅刻ギリギリという現実も手伝って、ホームルーム中もひそひそと話し声が絶えない。理央はなるべく気配を消して忘れられるのを待っていた。
授業が始まるころにはもうすっかり存在は消され、ようやくいつもの空気に戻ったことにホッとした理央は、ぼんやりと外を眺めていた。ずいぶん昔のことのように感じるが、“バケモノ”と愁が戦ったのは今朝の話だ。あのとき愁が理央の腕に書いた呪文のような文字は、もう消えている。祝詞とは違うあの言葉はなんだったのだろうと考えたところで、理央にわかるわけがない。早々に考えるのを諦め、視線を窓の外へ移したとき、机の横を何かが横切った。理央が咄嗟に思ったのは「かわいそう」だった。
ここのところ気温が上がり、夏の匂いがしてきたこともあり、校内では怪談話があちこちでなされていた。その空気に寄ってくる浮遊霊もたしかにいるが、今理央の横を通ったのはそれとはまた別のモノだ。学校の七不思議などはよくあるが、語り継がれているうちに“いないはずのモノ”が“生まれて”しまうことがある。
この学校では、先生に恋をした女子生徒が相手にされず自殺した霊が、授業を妨害することでその恨みを晴らしているという話があった。その話から“生まれた”モノが、この女子生徒の霊だ。実際は、力の弱い浮遊霊が実体を持った、という解釈が一番近いように理央は思う。
ただただ、目的もなく教室を徘徊するその姿は痛々しい。“女子生徒の霊”は、もともと恨みを持ったものでも自殺した霊でもないのだから。人の言葉によって創り出され、存在するだけ。すーっと音もなく進み、女子生徒が愁の席を通ったそのときだった。愁の左手がそっと女子生徒の頭を撫でるように触れたかと思うと、女子生徒は金色の光の粒となって消えたのだ。驚いた理央は思わず立ち上がってしまった。
「神楽、質問か?」
茫然と立ち尽くしていた理央は、いいえ、と蚊の鳴くような声で答え、慌てて席に着く。理央の様子に気づいたらしい愁は、小さく笑って手を振っている。少々腹立たしいが、理央は自分の手のひらをじっと見つめた。今までずっと無視し続けていた魂魄を浄化させようなんて思ったことなど一度もなかった。いや、正しく言い換えれば、中学時代に友人を守ろうとしたあのときが最初で最後だった。もし、愁が話したあの小説か映画のような話が本当ならば、自分にも何かできるのかもしれない。
心を殺し続けてきた理央にとって、はじめて見えた希望の光だった。
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