IV…休日



1935年 8月13日



薊は炎天下の中、お花に水撒きをする使用人のすみれの手伝いをしていた。



「薊さん、いつもすみません。昨日は初仕事で疲れているはずなのに、花壇の手伝いまでさせてしまい、なんだか申し訳ないです」



恐縮する菫に薊は優しく微笑みかけると、好きでやってるだけだ、それに昨日の仕事は対して激しい戦闘にはならなかったしな。と言った。


菫は桶を地面に置くと薊に、少しそこで休憩しませんか?と言うと、日陰のあるベンチに腰を下ろした。

薊も菫の隣に座ると、今日はやけに暑いな。と呟いた。



「今日は炎天下ですもんね。でも僕は夏は嫌いじゃないですよ。それより仕事はどうでしたか?」



菫がそう訊くと、薊は顔を曇らせ、地面に目をやると、そこには蝉の死骸に群がる蟻の行列があった。

薊は前を向き、昨日の仕事を菫に話し始めた。



「昨日、初めて人を殺した……人を刺した感覚が今でも鮮明に覚えている。

俺ももう、普通の人間として生きていけないんだな、とそう思うよ。」


(よりにもよって初めての仕事が帝国陸軍の永田少将の殺害だなんて思いもしなかった……それを相沢中佐による殺害にみせかけた犯行にするなんて……荒木大将は本当に恐ろしい人物だ。

だが俺たち暗殺者は、依頼人の事情は聞いてはいけない、ただ頼まれた依頼を全うするだけ、それが教団の掟これ以上、荒木大将に深入りする必要はない。俺が今すべきことは、犯人を捜すこと、それ以外は全く興味ない)



菫は空を見上げると、暗殺の世界に入ったからには、人を殺すのに躊躇う必要はありませんよ。余計な感情は捨てるべきだと思います。そうしなくては自分がもたないですからね。と言うと、ニコッと笑い、何か悩んでいることがありましたら、いつでも僕に相談してください。話くらいなら聞いてあげますので。と言った。


そんな菫の優しさに、薊は頬を緩ますと、お前は優しいんだな。と言った。

背後からガサガサと、音がなると、茂みから出てきたのは、メイド服を着たあんずの姿であった。

彼女もまた、菫と同じく教団の使用人である。



「ここまで来れば、鬼も追ってはこないですね」



杏はそう言うと、服についた汚れを払い、立ち上がった。

そんな杏の姿に薊は、またサボりか。ちゃんと働けといつも言ってるだろ。と言うと、杏は薊を横目で見ると、サボりではなく、逃亡中でいやがりますよ。と言った。


そんな杏の返しに、薊は呆れた様子で、どちらにせよサボりだろ……と言った。


杏は舌打ちをすると、ここまで来るとはしつこい野郎でいやがりますよ。と言い、また茂みに隠れ始めた。

隠れる際に二人に、アタシがここに隠れていることをやなぎさんには絶対言わないでください。言ったらぶっ殺しますので。と言った。



「相変わらず口が悪いな」



薊は、ボソッとそう言うと、杏を追う使用人、柳が現れた。

柳は、薊と菫の座るベンチに近づくと、ここへ、杏は来ませんでしたか?と訊いてきた。


薊は、いや、ここへは来ていない。菫は杏のこと見かけたか?と言うと、菫も、いえ、僕も今朝会ったきり、見かけてませんよ。と言った。


そんな二人の返しに、柳は口角を上げると、二人とも嘘はいけませんよ。そんな悪い子にはお仕置きをする必要がありますが、あいにく野郎を躾ける趣味はないのでね。さて、本当の悪い子にお仕置きをしなくてわ。と言うと、懐からナイフを三本取り出すと、

茂みの方へと投げ飛ばした。


ガサッと音がなると、茂みの方からナイフが投げられ、柳はそれを華麗に避けた。


茂みから杏が出てくると、本当にしぶとい奴なのですよ。と言い、片手には小型ナイフが握られていた。



「可愛い女の子がそんな物騒な物を持ち歩いてはいけないと教えましたよね。また一から躾け直す必要があるみたいですね」



柳はニヤリと笑うと、懐からまたナイフを取り出した。


そんなやり取りの光景を、薊は不安そうに見守った。



「菫……二人を止めなくていいのか?あのままじゃ、怪我だけでは済まされないぞ」



二人がナイフを投げ合っている中、菫は穏やかに笑うと、いつものことですし、止める必要性はありません。ただ、窓ガラスを割ったらその時は……菫が話している途中で、パリーンと窓ガラスの割れる音がなると、隣に座っていた菫の姿はなく。


二人の間に素早く入ると、お互いの持っていたナイフを、スルジンでスパッとナイフを落とすと、器用に二人の身体を縛り上げた。


菫は今までにない笑顔を見せると、喧嘩をするのは勝手ですが、物を壊すとなると話は別です。それより割れた窓ガラスはきちんと弁償してもらいますよ。いいですね。と言った。


菫の言葉など全く気にせず、杏は無表情のまま、わかったから、この鎖を早く解きやがってください。こんな変態と密着していることが不愉快極まりありません。と言った。


そんな杏の態度に、柳は口角を上げると、菫、二人同時に縛る時は背中合わせではなく、男女が向き合った状態で縛るのが正しい縛り方ですよ。次からは正しい縛り方でお願いします。と言った。


菫は柳の言葉を無視し、杏に言われた通りに、二人に巻きついた鎖を外すした。


解放された杏は、そのまま逃げようとするが、菫の持つスルジンで杏の右腕を捕まえると、逃げないように確保した。


杏は少し顔を歪ますと、菫、少しは優しください。と言うと、菫はニコッと笑い、刺されるよりはマシだと思いますよ。それでは、窓ガラスの片付けを一緒にやりましょうか。それが終わったら応接間の掃除と廊下の掃除もやるので覚悟しておいてください。と言った。



そんなやり取りの様子を見ていた柳は、今回だけは、杏との戯れを菫に譲りますが、明日からは俺といっぱい戯れてくださいね。

それじゃあ、杏に頼むはずだった買い出しにでも行きますか。と、残念そうな気持ちでそう言うと、街へ買い出しへと出掛けた。


菫は薊の方を向くと、お騒がせしてすみません。それでは僕たちは仕事に戻ります。それと花の水やりありがとうございます。と言うと、杏の手を引き、その場を立ち去って行った。



その後、薊は屋敷の居間へと行くと、部屋の中にはソファーに座りながら、剣の手入れをしているなずなの姿があった。彼もまた暗殺者の一人。


薊は薺に近づくと、いつも剣の手入れを欠かさないんだな。と言うと、向かいのソファーに座った。


薺はやいばを磨きながら、血で汚れるからな。と答えた。

薊はテーブルに置かれたレイピアを手に取ると、レイピアって小柄な女性が使うイメージが強いが、結構重いんだな。と言った。


その言葉に薺は、つまりそれは俺がチビだと言いたいのか?と言うと、薊は苦笑いをしつつ、いや、そういう意味で言ったわけではなく……と言うと、勢いよくドアが開き、昼間からお酒を飲んでいるのか、ほんのり顔が赤い椿が、そのままふらふらと薊の座るソファーに倒れこんだ。

そんな椿の行動に薊は、昼間から酒を飲むのはいいが、だらしない格好で教団をうろつくな。と、注意をした。


椿は、薊の膝の上に座ると薊の頬を両手で包み、だってお仕事なんだから仕方ないでしょう。それとも薊がアタシの相手をしてくれるの?と、顔を近づけて妖艶な笑みを浮かべた。


急に顔を近づけられ、薊は顔を赤らめると椿から顔を背け、早く俺の膝の上から降りろ。と言った。


椿はその反応が面白いのか、薊の顔を自分の方に向けると、そのまま薊の唇に口付けた。


口付けされた薊は何が起きたのかわからず動けずにいると、椿はゆっくりと唇を離し、フフッと笑った。


ようやく自分が何をされたのか気付くと、薊の顔は茹でタコのように赤くなり自分の手で唇を押さえると、椿から目を逸らした。


ガチャッとタイミングよく扉が開き、嬉しそうに笑う菘が現れると、二人の光景を見て、あれ、もしかしてお取り込み中だった?と言うと、薊は菘の方を向き、いや、全然。むしろグッドタイミング。そう言うと、膝の上で座っていた椿を隣に座らせた。


菘も薺の隣に座ると、椿の方を向き、椿って薊のことが好きなの?と訊くと、椿は妖艶な笑みを浮かべると、薊の腕を絡み、アタシは薊のこと好きよ、けど薊はアタシの身体以外、興味ないみたいなのよね。と言った。


完全に遊ばれてると思った薊は、薺の方を向くと、俺はどうも、こういうのは苦手でな。薺、この女の相手をしてやってくれ。と言うが、薺は剣を一本一本、丁寧にケースにしまうと、薊の方を向き、悪いが、お前らと遊んでいる暇はない。明後日にはイタリアで仕事があるからな。と言うと、ケースを持ち、部屋を出て行った。


薺が出て行った後、椿は薊の腕から離れ立ち上がると、それじゃあ、アタシも次の仕事があるから失礼するわ。と言うと部屋を出て行った。



「やっと解放された……」



薊は疲れ切った様子でそう言うと、菘の視線を感じて、どうした?と訊くと、菘はニコッと微笑み、駅前の近くに新しく喫茶店が出来たんだって!それでね、そこのアイスクリームが絶品でね、本当は鬼灯と一緒に行く予定だったんだけど予定が合わなくて、薊が嫌じゃなかったら一緒に行かない?と言った。



「どうせ教団にいても暇だし、そうだな、一緒行くか」



薊は菘の誘いに応じると、二人で駅前の喫茶店へと出掛けた。


喫茶店に着き中に入ると、若い女性が多く、薊と菘は店員に奥の席に案内され、注文を済ませた。


数分して菘が頼んだ、キャラメル・バニラアイスが来ると、菘は目を輝かせながら一口食べた。


幸せそうに食べる菘を見て薊は、本当にアイスが好きなんだな。と言うと、そのまま菘に気になっていた質問をした。



「そういえば菘って教団に入ったのはいつなんだ?」



薊がそう訊くと、菘はスプーンを置き口を拭くと、菘が教団に入ったのは三年前かな。そういえば死にきれなかった菘を、遊馬さんが拾ってくれたんだっけ……と言うと、薊は、死にきれないって、死のうとしてたのか?と訊いた。


その言葉にハッとすると、菘はニコッと笑い、えっと、なんでもないの。忘れて!と言った。



(菘は嘘をついているような顔はしていない。つまり五年前の事件とは関係ないということだ、これ以上は訊く必要はないな)



薊は菘に、すまん。嫌な過去を思い出させてしまって。と謝ると、菘は、大丈夫だよ、それより早くアイス食べなくちゃ!と言うと、また幸せそうに食べ始めながらある事を想っていた。



(遊馬さん以外知らないのに、どうして薊に話しちゃったんだろう……それに遊馬さんに過去を思い出すなって言われたのに……もう手遅れかも……今すぐにでも佐伯に会いたい)



薊は、菘の気持ちが大きく揺れ動いてることも知らずに二人は教団へと戻った。


帰る途中、花屋にあるスノードロップに目が止まると、菘はそのままそのスノードロップに近寄った。



「珍しい、夏にスノードロップが置いてある花屋なんて滅多にないのに」



菘は懐かしむように、その花を見ていると隣に薊が来て、その花好きなの?と訊くと、菘はニコッと微笑み、うん、一番好きな花なの。でも決して人に贈るような花じゃないのに花屋に置いてあるのは嫌味なのかなって思うけどね。と言った。



「悪い花なのか?」



花に詳しくない薊がそう訊くと、菘は少し困ったように笑い、花言葉は、希望、慰め、恋の最初のまなざしなんだけど、スノードロップは人に贈る時にもう一つ花言葉があるんだ。それは、あなたの死を望みます、嫌な言葉だよね。と言った。


薊は菘の頭を優しく撫でると、俺はこの花嫌いじゃないぞ。と言うと、菘はニコッと笑い、ありがとう。と言い、立ち上がった。


そして二人が教団に着くと、入り口の所でばったり仕事を終えた鬼灯に出くわした。

鬼灯は薊の方を睨みつけ、菘の方に優しく微笑むと、今お帰りですか?と鬼灯が言うと、菘はニコッと笑い。

うん、新しく出来た喫茶店に行ってたんだ!本当は鬼灯と一緒に行こうと思ってたけど予定が合わなくて、薊と一緒に行ってきたんだ。と言った。


その言葉に鬼灯は、言ってくれれば、今日の仕事を休んででもご一緒しましたよ。と言うと菘は、そう思うと思って言わなかったんだよ。と返した。


その言葉に少し落ち込む鬼灯に、菘は優しく微笑んだ。



「そういえば来週からロンドンで仕事があるんだけど、菘の護衛として来てくれる?」



菘がそう言うと、鬼灯は嬉しそうに犬のように尻尾を振る勢いで、是非、護衛させてください!と言った。


菘はニコッと笑い、じゃあ決まりだね。これから遊馬さんに話してくるね。と言うと教団の中へ入って行った。


鬼灯は小さくガッツポーズを取ると、薊がまだいることに気がつき、小さくため息をついた。



「菘さんは誰にでも優しく接する方なので、自分が特別扱いされているなんて思わないでくださいよ」



鬼灯がそう言うと、薊は、別にそんなことは思っていないが、鬼灯は本当に顔に出やすい奴だな。そんなに菘のことが好きか?と言うと、鬼灯はニッと笑い。



「ええ、好きですよ。ですが薊さんが思っている好きと僕が思っている好きは、ちょっと違うんですけどね。それじゃあ、僕は失礼します」



鬼灯はそう言うと、教団へと戻って行った。



二人と別れた菘は、遊馬の部屋へ向かっていた、部屋の前に着くと菘は、二回ノックをし、遊馬の返事を待った。

入れと返事がくると、菘は失礼します。と言い部屋に入った。


その様子に少し驚く遊馬だが、すぐにいつもの表情に戻ると、用件はなんだ?と言った。



「遊馬さんが前に話していた、児童を誘拐し子供たちに銃器を作らせ、使えない子は容赦なく殺す男。ジョン・アンバー、彼の暗殺を菘に……いえ、私に任せてください」



菘がそう言うと、遊馬は鼻でフッと笑うと、決意を決めたようだな。いいだろ、お前の好きにしろ。と言った。


菘は首にかけたペンダントを手に取ると、恋は盲目と言いますけど、私の恋は特に厄介ですよね……この気持ちは今でも変わりません。それにジョン・アンバーは、私にとって憎き男。この男だけは私の手で必ず殺します。と言った。



「自分で決めた道なら、私が止める必要もない。だが後悔だけはするなよ」



遊馬がそう言うと、菘は優しく微笑み、はい。と言うと軽く一礼し、失礼しました。と言い、部屋を出て行った。


菘が出て行った後、佐伯、お前は本当にクレアに愛されているな。と小さく呟いた。

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