第403話高校最後の夏


「いや、それほどはないなぁ。でも千恵蔵のフルートは今までオーケストラの時でも聞いとったし、さっき吹いとんのも聞こえとったからなぁ。大体の見当はつくわ。ただ出だしのロングトーンは驚いたけどね。あれは凄いわ」

彼女のロングトーンは長く安定していた。まるで哲也のチェロのように。それもあってか僕は千恵蔵のフルートにピアノを合わせるのを『初めて』という意識は全くなかった。


「そう言ってもらえると嬉しい」

と千恵蔵は少し照れたような表情を見せて笑った。

そして

「本当に楽しい演奏やったなぁ……」

とひとこと呟くと目を細めて窓の外に目をやった。


教室の空気が一瞬変わったような気がした。


「もう夏も終わるね」

と知恵蔵は僕に向き直って言った。


「うん。でもまだ暑いけどな」


「うん。まだまだ暑いけど……。高校生活最後の夏休みが終わったなぁって今実感したの。吹部で出場した関西大会が終わった時もそんな事、思わなかったんやけど……」


「そうなんや」

と僕は応えた。


――そうやんなぁ……これが高校最後の夏休みなんやなぁ――


と千恵蔵に言われて僕も実感した。


「そっかぁ……夏も終わるんやなぁ……」


「あ、ごめんね。練習の邪魔して」

と千恵蔵は思い出したように謝って来た。そしてフルートケースの蓋を開いた。


「え? いや全然構わへんよ。一緒に演奏出来て楽しかったし」


 千恵蔵はフルートをケースに収めながら

「また、卒業する前に一緒に演奏してくれる?」

と聞いてきた。


「え? また?」


「うん。あかん?」


「ええで。全然」

もちろん大歓迎である。断る理由など全くない。


「良かった」

知恵蔵は本当に嬉しそうに笑顔を見せた。彼女のこんな屈託のない笑顔を見たのは初めてかもしれない。


「それにしても、ホンマに器楽部に入部して良かった」

と千恵蔵がしみじみと言った。


「え? そうなん?」


「だって藤崎君を筆頭に立花君やたっくんや冴子に琴葉とか本当に凄い子ばっかりおるやん。一緒に演奏するのが本当に楽しい人ばっかり。ここに入部するまで吹部しか知らんかったから、弦楽器と一緒に演奏できたことも新鮮やったし」


「いやいや、知恵蔵も相当上手いで」


「そっかな。ありがとう」


「いや、お世辞ではなくホンマに。でも、声を掛けてくれたたっくんに感謝やな」


「ホンマにね」


「そのたっくんは今補習授業を受けとうけど」


「たっくんは国立志望やったからね」


「そうそう。千恵蔵は? 音大行くの?」

彼女ならその選択も不思議ではない。


フルートケースの蓋を閉めながら

「ううん。音大には行かへんよ。関関同立狙いかな」

と千恵蔵は首を振った。


「そっかぁ。少しもったいない気もするけど……自信は?」


「あんまりないけど、今から巻き返すわ」

と千恵蔵は言ったが、彼女の成績は学年でもトップクラスだったはず。

余裕だろう。


 そう思いながらも僕は

「器楽部に顔出していて大丈夫なん?」

と聞いた。できれば彼女には少しでも長く部活に来てもらいたいと思う。


「それは大丈夫。でも息抜き程度にしか参加できひんと思うけどね」


「そっか」

暫くは千恵蔵も器楽部を引退せずに続けるようだ。それを聞いて少しほっとした。


「そういう藤崎君は藝大?」


「うん。一応、目指しとう」


「やっぱりね。頑張ってね。彩音さんの後輩を目指して」


「うん。ありがとう。頑張るわ」


――彩音さんの後輩かぁ……また一緒に演奏したいなぁ――


と俄然やる気が出て来た。

単純だな。俺って。


「じゃあ、行くね。今日は演奏に付き合ってくれてありがとう」

そう言うと千恵蔵は音楽室から出て言った。


暫く千恵蔵が出て言った音楽室の扉を僕は見つめていた。

その時僕は夏の終わりを実感し、少しだけ秋の気配を感じた。


「さて、俺もそろそろヴァイオリンの時間やな」


可愛い後輩の為に僕も音楽室を後にした。

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北野坂パレット うにおいくら @unioikura

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