第十五話 陵辱(Sexual assault)

 知鶴は一瞬何が起こったのか分からなかった。

 しかし部屋の中にいるのは『クラタ』以外の何者でもない。そして他には誰もいない。

 『クラタ』は小柄であるにもかかわらず、かなり強い力で知鶴の前腕を牽引していた。そして強引に、ベッドに押し倒した。悲鳴を上げようとしたが、すかさず口元を押さえられ、声にならない。

 そのまま『クラタ』は知鶴に馬乗りになる。馬乗りになった『クラタ』の両膝はしっかり知鶴の両腕にのしかかりその動きをロックされる。その重みと自らの骨とで筋肉が挟み込まれ、激しい痛み刺激が伝わる。またしても悲鳴が出そうになるも、今度はどこから取り出したかタオルを横に伸ばして、さるぐつわを噛まされてしまった。

 知鶴は瞬間的に頭によぎった。これは『メグ』が襲われた手法に似ていないか。彼女もまた猿轡を口にかけられていた。

 そして、『クラタ』は、知鶴のTシャツの上から胸部の隆起を乱暴に揉み潰す。知鶴は、恐怖と疼痛と生理的嫌悪感とによって錯乱しそうになる。『ヤラれる!』と、知鶴は心の中で思わず叫んだ。『られる』と『られる』の二重の当て読みが、そこには含まれていた。

「俺さ? もうすぐ死ぬんかもしれないよ? めいの土産に最期に一発イイ想い出作らせてよ」

 『クラタ』は自身の紅く炎症をきたし、歯石にまみれたのきたならしい歯周組織を露呈しながら言葉を放った。彼の一日分伸びた無精髭が接触するくらいに接近された位置で嗅がされた口臭は勁烈けいれつであり、おうをもよおした。

 知鶴は瞳に涙を浮かべながら抵抗するも口を塞がれて言葉にできない。首を横に振って訴えても聞き入れてもらえなかった。

 まさかこの男が、強姦レイプついでに『メグ』を危険な目に遭わせたのだろうか。口封じするために。確かに彼はアリバイがないので犯行は可能だ。しかし『ストロベリー』や『ラズベリー』、そして『ハックルベリー』に対する犯行はどうなのだろうか。どうも納得しきれないもやもやを抱えながらも、現にいま知鶴はこの男に襲われている。

 しかしこの男は、もうすぐ死ぬ、と発言した。この男は加害者なのか被害者になるべく人間なのか、判断などできない。

「もうすぐ死ぬって、あ、あなたがやっぱり『マルベリー』?」

 しどろもどろになりながらも塞がれた口で精一杯の発音を試みたつもりであったが、当然の如く明瞭に構音化されない。知鶴の質問は単なる抵抗にしか聞き取られなかったのか、まったく応じてもらえなかった。

 『クラタ』の手には、これまたどこに用意されていたのかいつの間にかロープが握られている。これから手足を拘束するとでもいうのか。


 その時だった。

 客室の廊下の方から、耳をつんざくほど凄まじい悲鳴が聞こえた。まるで、知鶴の悲鳴を代弁するかのように、激烈で狂気じみていた。

 これには、思わず『クラタ』も廊下の方を振り返った。その勢いで、一瞬知鶴の腕にのしかかっていた圧力がベッドに分散され、右腕が解放された。

 こんな異常事態でも、知鶴は思いのほか冷静だった。いや、異常事態だからこそそうなのかもしれない。自由になった右腕に渾身の力を込めて、『クラタ』の身を薙ぎ払った。力はあっても体型どおり体重は決して重くない。『クラタ』はベッドから転がり落ち、知鶴はベッドから起き上がると、すぐさま猿轡を顔から外した。悲鳴はすぐ近くからだろう。髪の毛がクシャクシャになっていることなど気にも留めずに、知鶴は部屋の扉を開ける。

 廊下には、ひどく怯えた表情で二つ離れた部屋の中を見つめている『ミホ』の姿があった。腰を抜かしている。この部屋は『クラタ』の部屋の二つ隣なので、客室の中でも厨房寄りである。誰の部屋だったか、と不意に思う。

「ど、どうしたの!?」

 知鶴は大きな声で問う。それに反応したかのように『カワバタ』、『ヒデタカ』、『ワカバヤシ』、菓子オーナーも部屋から出て来て駆け寄ってくる。スタンガンで襲われたはずの訓覇も寝ぼけ眼で現れた。そして遅れて、何事もなかったかのように『クラタ』も現れる。知鶴は、『クラタ』に鋭い眼光で睨みつける。

 そして、『ミホ』の見た光景を各々おのおのが目の当たりにした彼、彼女らは、次々と悲鳴を上げ、ショックのあまり倒れ込む者もいた。知鶴も目にした光景の内容を理解するまで少々の時間が必要だったが、理解するや否や思わず目を背けてしまった。しかしそれを信じることは容易ではなかった。

 部屋の中には、頭から血を流して白目を剥いて倒れている男の姿があった。

 その光景に気付いたか気付かなかったか、『クラタ』は少しだけ口角を挙上させたのが目に入った。知鶴は言い知れぬ忌避感を感じざるを得なかった。


 おそるおそる中に入る。

 近付くにつれその凄惨さが明らかになる。

 そこに血塗れになって倒れていたのは、なんと『ソウマ』であった。部屋の中のカーペットが緋色に染まっている。『クラタ』ではなくこの男が『マルベリー』だったというのか。

 まだ血液が乾いていないあたり、まだ犯行が行われてからあまり時間が経過していないように思われる。しかしながら、眼前の男は明らかにせんの客となっていた。

 訓覇が近付く。その目から先ほどまで帯びていた眠気は消え去っていた。

「ごめん、どいてくれやんか!? 確認するから!」

 訓覇は『ソウマ』の身体に手をやる。瞳孔散大・対光反射消失、呼吸停止、心停止。やはり残念ながら、その三徴候が揃ってしまっていたようだ。訓覇がうつむいたまま目を閉じ静かに首を振ったことで、そのことが言外に滲まされていた。


 部屋は窓が開放されていた。これも外部犯に見せかけるための演出だろうか。しかしベッドサイドには大きなガラス製の灰皿の中に潰れたマルベリーが入れられていた。その灰皿とマルベリーには血液が付着している。その血液は新鮮だった。

「ついさっき殺されたばかりのようやな……」訓覇が静かに言った。

 知鶴は悲しみにも増していきどおりがこみ上げてきた。

 被害者は五人目、そのうち死者は三人目。外部犯のように見せかけているようにも見えるが、そんなことなどあり得ない。犯人は果実で殺人予告しているのだ。明らかに内部犯。つまりここにいるメンバーの中にいるのだ。

 犯人は、何のために犯行に及んでいるのか。第一印象的に『ソウマ』は、誰かの恨みを買うような人間には見えない。それなのに、血みどろで変形した頭部は、おそらく死を確認してもなお、殴打し続けたことを示唆していた。まさしく惨殺であった。

 どこか異常快楽殺人者による犯行の臭いすら帯び始めてきた。

 しかし、明らかに真犯人の候補は絞られていながら、まだ何もそのきっかけが掴めないままでいた。

 そのとき、『ヒデタカ』の特徴的な声が聞こえた。

 『ソウマ』のものと思われるスマートフォンと学生証を手に持ちながら発言したその内容は、知鶴も耳を疑う内容であった。

「『ソウマ』くんは──、『マルベリー』じゃないみたいだ……」

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