第四話 称呼(Our nicknames)

「ハンドルネームを明かさないって言っても、このまま自己紹介せずに名前で呼び合えないのは不便です」

 今まで口数の少なかった、ベリーショートのボーイッシュな女性が言った。確かにそうだ。確実に人物を特定できるのはオーナーと訓覇くらいで、他の者は皆、『彼』や『彼女』ではいくら何でも不便すぎる話だ。その要望に対して、茶髪のミディアムショートの女性は事も無げに答えた。

「簡単だわ。本名で呼べば良いんですもの」その口調はあっさりとしたものであった。

「えっ? 本名!?」やり取りを横目で眺めていた知鶴であったが、意外な発言に思わず声が出てしまった。同時に、他の者も一同驚いた様子だ。彼女は一体何を考えているんだろうか。知鶴は耳を疑ったが、彼女のことだ。ちゃんとした理由があることだろう。

「いやー、さっき自分の身の上をさらさん方がええって、おっしゃったやないですか?」訓覇も怪訝な顔をする。

「私は、ハンドルネームや身分を言わない方が良いと言ったまで。職業とか住所とかを明かせば、これまでのチャット上の会話から、誰がどのハンドルネームか類推できてしまうかもしれないけど、お互い本名は晒していないでしょう?」

 知鶴は長い間、チャットを眺めているが、確かに本名を晒した者はいない。

「そ、そうですが。でも、ハンドルネームは本名になぞらえて宛てがわれています。本名を晒せば、何ベリーなのかバレてしまいます」と、ベリーショートの女性が言うも、茶髪のミディアムショートの女性は動じない。

「本名だけど、何もフルネームで晒す必要はないと思いますよ。たとえば、枡谷一期さんなら『マスタニ』とだけ名乗っておけば、『ストロベリー』だとは分からないはず」

「なるほど」と、知鶴は思わず納得する。

 いつの間にか、その場を仕切る人間が、訓覇から茶髪のミディアムショートの美女に取って代わられている。それを自覚しているかのように、自ら切り出した。

「じゃあ、言い出しっぺの私からね。私の名前は『メグ』です。リアル本名の一部です。以後お見知りおきを」

 一同はまだ戸惑いを隠せない様子であるが、お互いがお互いを見ながら、今度はベリーショートの女性が言った。

「わ、私は『ワカバヤシ』と言います。名前の方からハンドルネームが分かってしまうので、苗字で呼んで下さい」そう言って、小さく頭を下げた。

「じゃあ、今度は僕が……」そう名乗りを上げたのは壮年の男性だ。「僕は、『ヒデタカ』と言います。見てのとおり最年長だと思うけど、このチャットグループの雰囲気にかれて来ました。年齢制限に引っ掛かっていますが、よろしくお願いします」と、挨拶した。その声はやはり高かった。

 通常なら、自己紹介のあと、拍手が起こったり、そこから掘り進めて、あれこれ話が盛り上がったりしていくのだろう。しかし、一人死者が出ていること、さらには二人目の死者が出るかもしれないなどと言われれば、そんな和気わき藹々あいあいとした雰囲気になど絶対になり得ない。皆、極度の緊張感を何とか押し殺して、平静を装っているはずだ。

 気付くと、円陣の如く並んだ参加者たちが、『メグ』と名乗る女性を起点に、時計回りに自己紹介をしていることに気付いた。そしてその次が知鶴であったことに気付き、若干焦る。

「わ、私は『立河たちかわ』です。よろしくお願いします」そう言って、知鶴は短く挨拶を済ませた。

 知鶴は名前に『鶴』が入っている。『クランベリー』は『ツルコケモモ亜属』であり、『鶴のベリー』という意味から、名前の方を晒すとハンドルネームが分かってしまう可能性があるのだ。

 次に知鶴の左隣の男性に移る。彼は口数の少ない、男性陣の中でいちばん若そうな幼い顔立ちの青年だ。

「えっと、僕は『ソウマ』と言います。よ、よろしくお願いします」その声は若干、おびえているようにも思えた。

 その次は、童顔で可愛らしい垂れ目の女性だ。

「『カワバタ』といいます」と小声で短く答えた。心なしか、先ほどの悲鳴から類推される声と比べると、ずいぶん低く話しているように思えた。それでも平均的な女性のそれと比べると高い方か。

 お次は、スポーツ刈りの高身長の青年だ。

「『ゴトウ』です。よろしくお願いします」彼も短く挨拶したが、その声には、どこか震えが感じられた。

 その次は、清楚で小柄な女性だ。そう言えば、彼女はここに来て一度も発言していない。

「『ミホ』といいます……」彼女の発する声をはじめて聞いたが、蚊の鳴くようなか細い声だった。正直、こんな状況、気の弱そうな彼女には耐えられそうにない。来たことをさぞ後悔しているだろう、と他人事のように知鶴はあわれんだ。

 その隣には『ハックルベリー』こと訓覇だ。

「俺は、もう言わんでもええやんな……」と、呟く訓覇の口調は半ば自虐的に聞こえた。

 その次は、清潔感のない無精髭の青年。その青年の名前を聞いて知鶴は驚いた。

「俺は、く、『クラタ』と言います。よ、よろしく」どもりながら発せられた名前を聞いて、知鶴は耳を疑った。何故なら、『タ』と聞けば、否が応でも『ンベリー』を類推しないわけにはいかない。そして、ハンドルネーム『クランベリー』はこの自分、立河知鶴だ。他の者も、知鶴ほどではないにしろ、怪訝な表情をしている。『ゴトウ』に至っては、小さく「えっ?」と声を漏らした。なぜなら『クランベリー』は、チャット上でごく普通に女性的に発言をしてきたからのだから至極当然だろう。果たして本名なのだろうか。仮に本名ではないとしたら、何か意図があってのことだろうか。知鶴は、彼のことが見た目にも増して不気味な存在に感じられて仕方がなかった。

 一周まわって最後は、ギャルの番だ。しかし、このギャルは口を割ろうとしない。

「何で、アタシが、この状況で明かさないといけないんですか?」

 彼女には似つかわしくない敬語を使いながら、反発し始めた。

 残念だが、知鶴はこのギャルが何ベリーなのかは想像がついていた。チャット上でも彼女のようなぶっきらぼうな口調の人間は一人しか該当者がいない。そして、この突然の敬語の対応は、それを隠すためのわる足掻あがきに思えて仕方がなかった。

「あの、みんな、名乗ってますから」と、ヒデタカが年下のはずの相手に敬語でなだめる。

 一方で「名乗らないと、逆に怪しまれてまうよ」と言ったのは、訓覇だ。そして、「俺なんか、自分の不注意でハンドルネームや職業まで明かしてまったし」と続ける。と言っても訓覇は、この中でおそらく唯一の関西弁(正確には三重弁か)の話し手だ。チャット上でもそれが如実に出ていることがあったので、彼の場合は名乗らずともハンドルネームが割れていたことだろう。

「ふん! アタシは『アヤネ』です! どーせ、アタシのハンドルネームバレてるんでしょ? もうこんなの嫌だよ! 何なのこのオフ会!? 楽しみにして来たのにとんだ災難! アタシ、荷物まとめてもう出て行く! 吊り橋が壊れても、所詮は陸続きで山の方からどこかには行けるんでしょ?」

 そう言って、彼女は食卓に荷物を取りに行こうとしている。

「『アヤネ』さん、樹海は危ない!」と菓子オーナーは引き止める。

「私もそう思うわ。ただでさえもう真っ暗になってきてるんだから!」『メグ』は彼女の手を掴んで引き止めた。その眼差しは、思いなしか真剣そのものに見えた。

「離して!」

「落ち着いて! 見てみて。もうこんな真っ暗なのよ! こんな中歩いたら、遭難して死んでしまうわ」

「……」ギャル、もとい『アヤネ』は、どこかに落ちない表情だったが、渋々ながらその場に留まった。


 とにもかくにも、ここにいる全員の名前が判明した。もちろん本名かどうか疑わしい者もいるが。

 女性陣が、『アヤネ』、『ミホ』、『カワバタ』、『ワカバヤシ』、『メグ』、そして自分『立河たちかわ』。

 男性陣が、『くるいち』、『ヒデタカ』、『ソウマ』、『ゴトウ』、『クラタ』、オーナーの『菓子かしすみ』、そして転落死した『枡谷ますたにいち』。


 一方で、SNS上のハンドルネームは、『ストロベリー』、『マルベリー』、『ラズベリー』、『シルバーベリー』、『ブラックベリー』、『ブルーベリー』、『ジューンベリー』、『グーズベリー』、『クランベリー』、『ハックルベリー』、『カウベリー』、『ゴールデンベリー』の十二名。なお、『タイベリー』と『ヒマラヤンブラックベリー』は今回不参加である。

 これから、各々の参加者の頭の中で、SNS上で呼び慣れたハンドルネームと、全く呼び慣れない呼称との照合作業が始まるのだろうか。

 そして、『メグ』が話すように、やはり人為的に橋が破壊され、『ストロベリー』こと枡谷を転落死せしめたのなら、その犯人の意図は一体何なのだろうか。

 この頭脳戦と心理戦は、今後知鶴をはじめ参加者たちを悩ませることになり、さらなる凄惨な結果を生むことになる。

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