第二話 失跡(Disappearing act)

 ペンションのロビーでは、相変わらず参加者同士の会話はなされていなかったが、それを見かねたのかオーナーの菓子が、参加者たちに話しかけている。菓子オーナーは今日のためにおそらく一人で食材を調達してきたに違いない。きっと前日ないし今朝から参加者十二人分の料理の仕込みをしたり、ベッドメイキング(このペンションがベッドか布団かは分からないが)や部屋の掃除をしたりしてきたのであろう。そして、ひとまず本日のオフ会初日の夕食の準備がある程度整ったのだろう。しかしまだ夕食には三十分程度ある。そのわずかの空き時間も、待ち疲れた参加者たちを退屈させないようにもてなしている。

「今日は遠路はるばるここまでお越し頂きありがとうございます」菓子オーナーはうやうやしく知鶴に話しかけてきた。

「いえ、そこまで遠くなかったですよ。三時間くらいで着きましたから」と知鶴も微笑みながら丁寧に返す。

「と言っても、大変でしたでしょう」あくまで菓子オーナーは労う姿勢を崩さない。

「私は埼玉だから近い方ですよ。自己紹介前なのであまり喋ってはいけないかもしれないんですが」

「あ、そうですよね」と菓子オーナーは相好そうごうを崩す。確かに客の身の上話が制限されており、しかも同じ参加者が同じ空間に在室している環境では、話題が限られてしまう。せっかくのオーナーのご厚意も半分台無しにしてしまう。やはり、宴会時にはじめて、一斉に自己紹介しようというのは、企画倒れではないのだろうかと、不安な気持ちにならざるを得なかった。オーナーが少し気の毒に思えてきたので、今度は知鶴から話しかけた。菓子オーナーにまつわる身の上話なら、聞いても差し支えないだろう。

「ここはペンション兼ファームなんですか」

 すると、よくぞ質問してくれましたと言わんばかりに、オーナーが嬉しそうに話し始めた。

「そうなんです。うちは全国でもあまり多くないベリー類専門の農園です。ベリー類の栽培をして、都市部に出荷したりするかたわら、観光のお客様には『ベリー狩り』を楽しんで頂いたり、ゆっくりしたい方には宿泊施設として、ささやかながらおもてなしをさせて頂いております。ベリー農園とペンションを兼ねている施設は、日本広しといえども、うちくらいではないでしょうか。主催者さまは一度ここに下見に来て頂いて、『ミックスベリー』のオフ会としてこれほどにも適した施設はない、とお墨付きを頂きました」

 主催者である『ストロベリー』は一度この山奥に来て、やはり偵察していたのだ。まめな性格だな、と感心すると同時に、つい先刻、企画倒れなのでは、と心の中で批判してしまった自分を反省した。そして、ひとつ知鶴の中で確証を得た。やはりあの長身で爽やかな方のイケメンが、『ストロベリー』なのだ。それを裏付ける証拠として、彼が玄関の前をうろついていてもシンは吠えなかった。つまり、そのイケメンの彼が偵察を行った主催者であり『ストロベリー』ということになる。自らを『イチゴ』と名乗るあの男の本名は一体何だろうか。ハンドルネームと実名と性別とのギャップを楽しむのが一興であると考えれば、全員で一斉に自己紹介をし合うという企画の意図が見えてくるのかもしれない。

 知鶴は手持ち無沙汰になると、どうでも良いことだと思ってもあれやこれや思案する癖がある。でも今はオーナーとの会話中だった、ということを思い出して若干慌てた。

「ここでは、ベリー類をすべて栽培しているのですか?」

「いやいや。ベリー類は細かいものも含めれば、めちゃめちゃ種類が多いんですよ。とてもそれらのすべてをうちでは栽培していません」と、言いながら菓子オーナーは頭を掻いた。

「何を栽培しているのですか?」

「うちでは、イチゴ、ブルーベリー、ヨーロッパキイチゴいわゆるラズベリー、セイヨウスグリいわゆるグーズベリー、ブラックベリー、あ、日本名でセイヨウヤブイチゴですね。あと、私の名前でもあるカシスです」と説明口調でオーナーは話す。

 クランベリーはないのか、と知鶴はちょっと落胆するが、菓子オーナーは知鶴のハンドルネームが『クランベリー』であることは知らない。落ち込まれる筋合いもなかろう。

「そう言えば、『菓子』って珍しい名前ですね」

「そうなんです。面白いでしょ。私は富山県出身で、どうやら地元のご当地苗字らしいのですが、さらには名前が『すみ』ですから、これはきっと何かの縁だと思って『カシス』の栽培を始めたのが、このファームを作るきっかけだったんですよ」オーナーは少しはにかみながら話す。

 非常に面白い話だ。あなたも『ミックスベリーの会』のチャット仲間になれますよ、と思わず言ってしまいそうだったが、年齢制限があるのを思い出して言うのを踏み止まった。


 ちょうどそのとき、ロビーの柱時計がゴーンと六回響いた。午後六時を回った。菓子オーナーは、「ではごゆっくり楽しんで下さいね」と頭を下げて立ち去った。そのときチャリンと音がした。オーナーのポケットから鍵束が落ちたようだ。知鶴は反射的にそれを拾って渡した。「あ、すみません、ありがとうございます」とオーナーは礼を言った。何も言わずに渡したが、鍵が束ねられた手作りっぽいキーホルダーには『S. YASUSHI』と書かれていた。明らかにオーナーの名前ではない。彼は『菓子澄夫』だ。誰のものだろうと一瞬考えたが、取りあえず気にしないことにした。

 待望の六時を迎え、これでようやく参加者同士お互いの自己紹介ができると気がはやったが、肝心の長身のイケメンがここにはいない。そう言えば先ほどからずっと見ていない。彼が『ストロベリー』であるのは、知鶴の中ではほぼ決定事項なので、主催者不在ではこの宴会がいつまで経っても始まらないのではないか、と痺れを切らしてしまう。

「あのー、どうやら幹事さんがおらんっぽいんですけど、六時になっちゃいましたから、取りあえずここに荷物置いて、食卓にみんな座れば良いっすかね」男性参加者のうち主催者ではない方のイケメンが他の参加者たちに呼びかける。先ほど知鶴に馴れ馴れしく話しかけてきた男だ。彼は関西弁のイントネーションだ。他の参加者もやはり幹事がいないという異変に気付いている様子だ。

「そ、そうですねぇ。そのうち戻っておみえでしょうから、先に座って準備していた方が良いかもしれませんね」参加者のうちの壮年の男性が口を開いた。慇懃いんぎんな口調だが、顔に似合わず声が高い。

「そうだよね。このままずっとここにいてもしょうがないし」ぶっきらぼうな口調でそう言ったのは、ギャル風の格好をした若い女性参加者だ。

「オーナーさん、食卓にもう座っとっても良いですか?」

「ええ。構いませんよ」

 主催者ではない方のイケメンの問いかけに、菓子オーナーは二つ返事で許可したが、その表情には戸惑いが見られた。


 食卓に、主催者の『ストロベリー』を除く十一人が、食卓に腰掛けてたいした。食卓の中央には、大きなかごに入った、ベリー類の数々が容れられている。ラズベリー、ブルーベリー、グーズベリー、ブラックベリーなど、色鮮やかでとても美しい。さすがはベリー農園だ。

 女性六名、男性五名がそれぞれテーブルに向かい合うように座る。知鶴はいちばん隅の椅子に座った。どうでも良いことなのだが、学生時代に友人に開いてもらったときの合コンを思い出す。そして、自己紹介前なのでどこか気まずい。表情もどこか硬い。

 参加者たちの顔ぶれを確認する。

 女性陣は、知鶴のすぐ左隣にギャルが座った。主催者の不在に機嫌を損ねているのか、退屈そうな顔をしている。いくらSNSで親しいとはいえ互いに初対面のメンバーの面前で、いかにも若そうな彼女がタメ口を利いていたあたり、無作法で気が強そうな印象を受ける。

 さらに左隣はベリーショートの髪型をしたボーイッシュで爽やかな女性だ。身長も高そうだ。彼女は先ほどから発言していない。

 その左隣は知鶴の直後にペンションに到着した茶髪のミディアムショートの美女。そのさらに左隣は、童顔で垂れ目の可愛らしい女性だ。髪型はショートボブと表現されるところか。

 いちばん左は、知鶴の位置からはよく見えないが、清楚で小柄な女性が座っている。結構若そうだ。

 対面に座る男性陣。まず知鶴のすぐ前には誰もいない。幹事の『ストロベリー』が座るべき席なのだろう。これでは知鶴が女性幹事みたいで、どこか居心地が悪い。

 知鶴から見てその左隣は、背の高い青年だ。立ったとき180センチメートルほどはあったと思う。スポーツ刈りでいかにも健康そうな風貌だ。知鶴のタイプではなかったが、一般的に見て顔立ちは悪くはないと思う。

 次の左隣は残念なことにあまりイケメンではない。こちらは対照的に体格が小柄のようだが、加えて猫背なのがさらにそれを強調してしまっている。そして、失礼な言い方かもしれないが、あまり清潔感がない。髪の毛は長くボサボサで整えられておらず、無精髭が生えている。歯も黄ばんでいて、垣間見える歯肉は赤く炎症を来している。乱杭らんぐいには歯石もたくさん付着している。口元に注目してしまうのはある意味で職業病だ。若いだろうにこんな口腔衛生状態では歯科衛生士の知鶴としては頂けない。

 次の左隣は、大人しそうな青年だ。右隣の清潔感のない彼ほどではないが内気そうだ。このただならぬ雰囲気に圧倒されているのか、うなれてもじもじしている。たぶんこの中でもいちばん若そうな幼い顔立ちだ。

 その次の左隣は、先ほど知鶴に馴れ馴れしく話しかけてきた主催者ではない方のイケメンが座る。オーナーに食卓に座っても良いかを尋ねた関西弁の男性だ。そしていちばん左端には、声の高い壮年っぽい男性だ。


「これは、もう幹事さんを置いておいて、俺たちで自己紹介し始めちゃっていいですかね?」痺れを切らしたように、主催者ではないイケメンの男性が、同意を求める。

「アタシ、もう待てないわ。お腹も空いたし」ギャルの女性がどこかだるそうに賛同する。

「え、でも、まだ十五分ですよ。きっと幹事さんは街に買い出しにでも行って、道に迷っているかしているんだと思います。もうちょっと待ってみましょう?」と、ここでベリーショートの髪型をしたボーイッシュな女性が発言した。

「あの、オーナーさんは何か聞いてますか?」主催者ではないイケメンが再び菓子オーナーに問う。

「あ、いえ、遅れている原因については特に聞いていませんが、買い出しに行くとはおっしゃっていました」

「そう? じゃあもう少し待ってみます?」と彼が再び参加者たちに同意を求めると、特に意見がないのだろうか。多くの者が黙って頷いた。知鶴も同じくだ。ギャルの彼女だけは渋い表情をしている。


 ついには彼が現れないまま六時二十分を過ぎてしまった。これはどうにもおかしいと思い始めた時、きっと皆同じ思いだったのだろう。

「私、ちょっと様子を見てきます」そう切り出したのは、茶髪のミディアムショートの美女だ。

「あ、待って下さい。ここはもうこの時間、暗くなりかけていますし、危ないですから、私も行きましょう」と、すかさず菓子オーナーは言う。

「じゃあ、せっかくなので、皆で行きませんか? まぁここには泥棒はおらんでしょうが、貴重品だけは持って行って」主催者ではないイケメンがそのように提案した。幹事不在の状況の中、彼が仕切っている。

「そ、そうだな。俺も行きますよ」そう言ったのは、ギャルの向かいに座っていた、スポーツ刈りの高身長の青年だ。

「えぇ!? アタシお腹空いたのにぃ……」ギャルは不満たらたらだが、皆が席を立つ雰囲気に飲まれて、嫌々そうに重い腰を上げる。

 結局、参加者十一名と菓子オーナーの総勢十二名で、主催者の捜索が始まった。いきなり出だしからこんな状態では先が思いやられる。

「あの、幹事さんって、あの背の高くて色白のカッコええにいちゃんですよね?」と誰かに確認を取るように主催者ではないイケメンが問う。

「ええ、そうですよ」スポーツ刈りの青年は短く断定的に答えた。


 十二名はぞろぞろとロビーを通過しエントランスに向かう。靴はまだ靴箱には片付けられておらず、三和土たたきに置かれたままであった。各々がスリッパから靴に履き替えて外へ出る。川上犬のシンが参加者たちに吠え立てている。集団の後ろの方で知鶴もついていく。ふと、玄関の隅にイチゴが何個か床に散らばっているのを目撃した。しかも無残に潰されているように見える。一方でその後ろに設置されている靴箱の上には、赤い小さな果実が置かれている。気になりながらも、集団が先を急ぐので、それについていくことにした。まずは主催者を探さねばならない。

「ああっ!?」

 参加者の一人が驚きの声を上げる。声からして壮年のおじさんだ。高い声色が特徴的である。

「え? どうしたの?」これはギャルの声か。

「は、橋が壊されています……」

「な、何ですって!?」ミディアムショートの美女も、見た目に似合わず、頓狂な声を上げた。

 知鶴も同様に驚きを隠せない。吊り橋が切断されている。橋の手前側で切られて、向こう岸にだらりとぶら下がっている。これでは、主催者も戻るに戻れまい。壊された吊り橋を見つめて呆気にとられている時だった。

「きゃぁぁあぁぁあー!!」

 童顔で垂れ目の女性が、高い声で悲鳴を上げた。谷の下の方を見ながら後退りしている。そしてその表情は、薄暗くても恐怖に満ちているのがすぐに分かった。

「どうした!? えっ? あっ、あっ、ああぁああー!!」

 スポーツ刈りの青年もきょうかんする。

 異変に気付いた参加者たちが次々に恐怖におののき叫び声を上げた。知鶴も遅れておそるおそる谷底を見ると、そのおぞましい光景に声を失って、思わず眩暈めまいを起こしそうになる。

 深い渓谷の遥か下の方で、主催者と思われている爽やかな青年が、頭から血を流し白目をむいて、仰向けになって倒れていた。

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