35.自分のことだけ


「俺の呪いを受けておきながらまだ眠ってないとは大した奴だね。手紙をもらった時は驚いたよ」


 シャーグは大声でまくしたてながらアルトの元へずかずかとやってきた。周囲の人々は全く事情が分からず唖然としている。

 フリックがアルトを庇うように前へ出たが、シャーグはその脚をぺしりとはたいて、難なくフリックを掻い潜った。


「元気そうで何よりだ!」

「君もだよ、シャー……」

「おーっと、俺の名前は禁句だぞ」

「そうなの?」


 ダルク、とシュヴァルツが慄然とした声を上げた。


「まさか真名を教えたのか」

「実はそうなんだ」

「私の命令を遂行しなかったのは……そのせいか……!」

「いや、遂行しただろう? 呪いはかけた。ご覧の通り、効いてはいないけどね」


 シャーグはアルトを指し示した。今度はフリックがいきりたった。


「ダルク貴様、アルト様に狼藉を!?」

「おいおい、今更それを言うかい? 騎士さんよ」

 シャーグは銀の瞳をにやりと細めた。

「俺の仲間は陛下のご家族を軒並み眠らせたんだぞ?」

「だっ……黙れ、下賎の者が。アルト様、どうして教えて下さらなかったんです!」

「んー」

 アルトはもじもじした。

「後ろめたかったから……?」

「な……しかし……」

「だって家臣に弱みを見せるわけにはいかないでしょ?」

「!!」


 フリックは衝撃を受けたように後ずさった。

 だはは、とシャーグは背中を反らして笑った。


「立派な主君をお持ちじゃないか!」

「シャ……君、僕のことをからかってるの?」

「まさか。陛下を称賛してるのさ。天晴だ」

「君に褒められてもちっとも嬉しくないや」

「それはそうだな! ヒヒヒ」

「無駄話はよせ……」


 シュヴァルツは静かに怒っているようだった。


「ダルク、お前はどちらの味方なのだ」

「どっちでもないさ。面白ければ何でもいいぞ!」

「……」

「そんで、どうするんだい?」

「何がだ」

「陛下が手紙に書いてたぞ。望みは叶えるから家族を解放しろってさ」


 アルトは大きく頷いて、フリックを見上げた。


「ね、少しは話の分かる奴が来たよ」

「いや、その、しかし」


 フリックは状況が掴めず、すっかり狼狽している。しかしアルトはお構いなしだ。


「さあ、シュヴァルツ。僕の要求は飲むの? 飲まないの?」

「陛下……それは」

「まあ聞けよ、我がご主人様。陛下はなかなか骨のある奴だ。ちゃんと話を聞いてやれよ。そうでないと──」

「……何だというのだ……」

「俺たちはまた、反逆いたずらするぞ?」


 ゾワッと、アルトの左腕に鳥肌が立った。

 シャーグから、制御不能の恐ろしげな力を感じ取ったのだ。

(悪戯? 俺たち?)

 何のことかよく分からないが、それは人間にとって大変都合の悪いものであるかのように直感させられた。


 シュヴァルツは、小さな飼い妖精に向かって、盛大な溜息をついた。

 しばし、無言の時間が流れた。

 やがて、シュヴァルツはもごもごと何か言った。


「……わかった……」

「ん?」

「陛下の望む通りにしよう。こちらに協力していただけるのなら、呪いは何とかしてダルクに解かせる。それでよろしいか」

「ほんと!」


 アルトは目を輝かせた。

 フリックを見て、シャーグを見て、それからもう一度シュヴァルツを見た。


「ありがとう!」

「ただし」


 シュヴァルツは言った。


「それは法が整ってからです」

「へ?」

「今すぐに目覚めさせたら、実権は陛下のお父上に戻られる。お父上がこの約束を遂行してくださるとは思えません」

「あ」


 それは確かに。


「陛下には今一度、名実ともに王座に戻って頂く。そして我々の自由を保証する法を整えられよ。……さすれば私共も安心して呪いを解けます」

「メイジツともに……ってことは、つまり……ブラウエンに勝たなくちゃ駄目ってこと?」


 この国を支配する力を取り戻さなくてはならない? ブラウエンよりも強い影響力を、持たなければ……。


「理解がお早いようで助かります」


 ようやく掴みかけた頼みの綱が、ふっと遠のいた気分がした。


「んあー!」


 アルトは頭を抱えて叫んだ。


「あ、アルト様」

「やだやだやだ、家族を返してくれなきゃやだー!」


 フリックは慌てて、アルトのもとに跪いた。宥めるような目線をアルトに向けてから、フリックはシュヴァルツに抗議の声を上げた。


「シュヴァルツ殿。アルト様にこれ以上の負担を強いられるのはやめて頂きたい!」

「……知ったことではない」

「何ですと?」


 フリックは殺気立ったが、アルトはシュンとして動きを止めた。


 シュヴァルツの言う通りだ。

 誰もが自分勝手に動いている。

 アルトの気持ちなんて誰も気にしやしない。

 最初からそうだった。

 ヴェルティスも、ブラウエンも、シュヴァルツも。

 みんな自己中心的だ。


 僕だってそうじゃないか?

 家族を取り戻したい一心で、兵士を戦場に向かわせて、敵も味方も殺させた。


 嫌だ。


 アルトは、胸の中に新しい感情が芽生えるのを感じた。


 立派な人間になりたい。


 立派な王様でも皇帝でもなく、優しい人間になりたい……。


 宮廷のことを知って、森のことを知って、だんだん分かってきた。

 王様は、必ずしもいい人間じゃないんだって。


 ──政治のためには意地悪をしなきゃならない時もあるんだし、仕方がない。

 スーザンの言葉が思い起こされた。

 ──この国はアルトのものだから、だいたい何をやっても、成功すればアルトが善になるんだよ。

 ──それって、例えばスッゴク悪い人が王様になっちゃったら、みんな大変な思いをするよね?

 ──アルトは、賢いなあ。そんでもって、優しい。……うん、悪い奴が王様になることもある。


 そう、僕は、家族を取り戻すことに必死になって、意地悪をしていたのかもしれない。

 僕だって周りのことなんて考えちゃいなかった。黒い森の住民のことや、妖精のことなんて、知らないままだった。

 そういう王様だった。


 でも、家族を取り戻したら、王様をやらなくても良くなる。

 父上と兄上が王様になるから。

 だから──。


 決めた。

 わがままはこれで最後だ。

 家族は死んでも取り戻す。

 今だけは、どこまでも自己中心的になってやる。

 この国はアルトのものだから。


「分かったよ!」


 アルトは言った。


「法律を作ればそれでいいんでしょ! でも約束を守らなかったら、その時は、僕はブラウエンに協力するから」

「えっ、アルト様?」

「何が何でも黒い森を潰してやるから。王座なんてブラウエンにくれてやる。僕はカルツェもジダニスタムも、使える限りの兵力を使って黒い森を焼け野原にしてやる!」


 アルトはキッとシュヴァルツを睨んだ。


「だから必ず呪いを解いてよね!」

「……承知しました」


 シュヴァルツは気圧されたように、僅かに身動きした。


 こうして、王家と黒い森の協力体制が出来上がった。

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