29.妖精のこと


 アルトはずっと、ぽけーとしていた。


 ティラさまはよほど元気らしく、アルトたちに食事を出してくれ、屋根付きの小屋に案内してくれて寝床もくれた。

 ふかふかの布団の狭間で、ぽけーとしたたま、アルトはなかなか眠れなかった。何かあるたびに、アルトは不眠症になってしまうらしかった。


「フリック、起きてる?」

「ふぁい、何でございましょう」

「妖精を自由にすることって、そんなに駄目なことだったの」


 黒い森に独立されると困るのはアルトにも分かるが、妖精の解放がそこまでのことなのだろうか。確かに突拍子もない提案だが、姉を危険に晒してまで拒否するものなのか。


「そうですねえ」


 フリックが起き上がる気配がした。


「貴族の持つ妖精はセウェルさまより賜ったものですからね。権力の象徴でもあります」

「……うん」

「それに野生の妖精どもと対等な関係になれば、人間の国の在り方が、根元から揺らいでしまうおそれがありますね」


 そうか。妖精の解放でも黒い森の独立でも、国が大きく変わってしまうのか。


「ねえ、フリック」

「はい」

「僕が家族に会いたいというだけのことで、父上が守ろうとした国の在り方を、変えてしまってもいいのかな」


 フリックは唸った。


「難しい問題ですね。お国の話になると。ただ、お父上に限って申し上げれば……」

「何?」

「フェリクス様は、アルト様がこんなに頑張って出した結果を、怒るようなお方ではありませんよ。どんな結果であれ」

「うん……」

「それに俺はアルト様の家臣ですし、今はアルト様が王です。アルト様の望みを優先したいと、俺個人としてはそう思っています」

「ありがとう」


 アルトはしばらく黙ってから、再度口を開いた。


「僕、妖精のことなんか、全く考えてこなかった。目に入ってなかったんだ、伝書鳥のこと以外は。青い泉のルーティたちのことだって、僕の世話を始めるまでは、空気みたいに思ってた」

「空気。なるほど確かにそんな感じですな」

「そうじゃない時は、ちょっと怖かった。得体が知れない感じがして。今、フェリのことは怖くないけれど……」

「そうですね……」


 そういえば、とフリックは言った。


「戦場にいた妖精が、奇妙なことを言っていました」

「どんな?」

「自分たちを従えるために命までかけるなど、哀れな奴だ、と」


 アルトはフリックの方を見た。フリックはまた律儀に、ベッドにきちんと座ってアルトを見ていた。


「これまでは妖精なんて気味が悪いだけでしたが、彼らには彼らなりの考えがあるのだと知らされましたね」

「考え……」

「今思えば、彼らは、自分たちの自由のために戦っていたんですね。だからシュヴァルツと対等に手を組むことができた」


 自由。妖精たちの自由……。


「シュヴァルツはどうして妖精を解放したいのかな。自分だって妖精を使っているくせに」

「はて。黒い森は妖精が多い土地だということしか」

「……家族に会うことさえできれば、僕の勝ちだと思ってたのにな……」


 沈み込んだ声の主に、フリックは心を痛めた。

 この方は背負いすぎる。

 出過ぎた真似かもしれないが、決断するということの負担を、この自分が減らして差し上げるべきなのかもしれない。


「アルト様」

「うん?」

「アルト様の望みはご家族を取り戻すことですね」

「うん」

「では他のことは二の次です」

「え」

「国がどうとか妖精がどうとか、そんなことにアルト様の幸せを邪魔されてたまるもんですか。俺は純粋に、アルト様の願いを叶えて差し上げたい」

「フリック」

「だから、なりふり構っている場合ではございません。組みましょう、シュヴァルツと。神が仰っているのだからそれで間違いないですよ」

「……いいの?」


 アルトは小さな声で言った。


「俺はどこまででもお供しますよ」

「……ありがとう」


 更に小さな声が返ってきた。

 これでいいのだ、とフリックは自分に言い聞かせるように頷いた。



 一方アルトは布団の中で、左拳を握りしめていた。

 家族に会える。その光明が見えた。希望が芽生えた。

 この左腕にかけられた眠りの呪いは、もう——お役御免だ。


 ***


 三日ここにいるように、というティラさまからのお達しがあった。

 そう言われてもちっとも怖くない自分が、アルトは不思議だった。以前だったら、悪神と会うというだけで震え上がっていたのに。


 黒い森の中の暮らしも、ティラさまのもとでなら安全に思えてくる。


 いよいよナヴァルディアに向かって旅立とうという日、ティラさまは自ら見送りにきて、こう尋ねた。


「アルト・ヴァイスフリュークよ。そなたにとって、わらわはどう見える?」

「え」


 アルトは少しの間考え込んだ。


「思っていたよりずっとお優しいですし、怖くないし……安心します。悪神だなんて嘘だったみたいに」

「そうか」


 ティラさまは穏やかに微笑んだ。


「そなたがそう申すのであれば、きっとわらわはそのような存在なのだろうな」

「それは、どういう意味でしょうか」

「わらわたち神の在り方は、人間のものさしによって決まるということじゃよ」


 ティラさまは、いつかのセウェルさまと似たようなことを言った。


「時代は変わる。人間も変わる。善と悪は混ざり合う。そなたもわらわも変わったのじゃ」

「……それは、いいことなんですか?」


 アルトは問うた。

 以前は、混ざるのは怖いことだと思っていた。

 変化を恐れていた。


「良いのか悪いのか。それも、そなたが決めることじゃよ。わらわは、在るように在るだけじゃ」


 ティラさまは言った。


「しかし、いずれにせよ、恐れてはならぬ。森羅万象、なにものも、恐れるには値しないのじゃよ」


 アルトは、分かりました、と言った。

 それから丁重に挨拶をして、フェリの背中に乗って飛び立った。

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