30.心強い味方

 ポコン、とフェリがまろび出たのは、美しい街並みの港湾都市の上空。

 大きな河が街を両断し、沢山の船が行き交っている。

 片方の岸に小高い山があり、その上に小さな館が建っている。


 あれが、都市ナヴァルディアを治める領主、ネイヴァルド家の住処。


 都市の統治形態は特殊だ。市民と呼ばれる領民に権利が与えられている。領主は彼らと協議しながら政策を決める。

 都市の領主は、諸侯や辺境の領主よりも、ぐっと権威が低い。領地も豆粒みたいに小さいので、お屋敷も狭い。

 しかし、どの都市も、他の領地に引けを取らないほどの、抜きんでた経済力がある。それをもってして、都市の領主たちは、貴族の上流社会をうまく渡って行っているのだった。


 城門の前に着き、フリックが門番に告げた。


「故あってネイヴァルド様をお尋ねした」


 門番は緊張した面持ちで頷いた。


 そして通された客間では、背の高い女性が立っていた。


 きりりと編まれた黒髪のシニョン。厳めしい顔つき。彼女お気に入りの紺色のドレス。

 右頬にある小さな傷跡は、過去に暴漢を返り討ちにした時にできたもの。


「お待ちしておりました」

「ベアトリスぅ……」


 アルトは安堵のあまり泣きそうだった。

 これでやっと、安全な居場所に身を寄せることができたのだ。


「伝書鳥により事情は伝わっています」

 ベアトリスは言った。

「どうぞお座りに。今お茶をお出しします」


 ***


 かくかくしかじか、アルトとフリックはこれまでの経緯をベアトリスに話した。


「アルト様お一人で行動されることについて心配しておりましたが、家臣の方と一緒にいらしたのですね」

「そうなの。フリックに会えて良かった」


 それから、これからどうするかについても話をした。シュヴァルツと組みたい、とアルトが言っても、ベアトリスは驚かなかった。


「想定の範囲内です」

「そ、そうだったの!?」

「敵の敵は味方、ですからね」


 ベアトリスは上品に紅茶を口にした。


「シュロット殿からの情報では、ブラウエンは近々、陛下の捜索を打ち切り、自らがソルラント王を名乗ろうとしているようですよ」

「ええ!?」

「元よりそのつもりだったのでしょうね。黒い森の仕業に見せかけて陛下を暗殺し、ヴァイスフリューク家を断絶させた上で、諸侯による選挙で自分が王に選ばれる。黒い森は王の名の下に討伐する。おそらくそれがブラウエンの計画でした」

「伯父様がそこまでひどいやつだったなんて」

「ですが計画には綻びが一つ。陛下が御存命という点です」

「うん」

「ブラウエンは戦力を増強して黒い森と戦おうとするでしょう。その時、陛下が他の軍勢を連れてシュヴァルツ家に加勢すれば、名実共にこちらが官軍となります」

「うん……!」

「しかし、そのためには」

「ええ、フリック殿。ブラウエン家を支持するであろう勢力を凌ぐ数の戦力を用意する必要があります。──陛下」

「はい」

「なるべく多くの味方をつけてから、シュヴァルツの元へ向かうのです。そうすればシュヴァルツとの取引が簡単になりますね」


 アルトは頷いた。


「僕一人が、妖精を解放させるって言っても、話を聞いてくれるか分からないもの……。でも、『こっちにはこれだけ味方がいるから、僕と組んだ方がお得だよ』って言えば、僕のお願いを聞いてくれるかもね」


 そういうことで、次なる課題は味方集めだ。


「陛下には安全のためこちらに留まっていただきたいとは思うのですが……私どもだけではどうしても説得力に欠けます。陛下ご本人に、交渉の場に立ち会って頂きたいです」

「うん。いいよ」

 アルトは快諾したが、フリックは反対した。

「こちらで匿っては頂けないんですか」

「しばらくはそうしましょう」とベアトリス。「もうすぐスーザンたちがこちらへ帰って参ります。今後の予定はそれから決めましょう」


 そして数日後、スーザン率いる一団がナヴァルディアに到着した。


「乳母やぁ〜!」


 彼らが客間に入るなり、アルトは乳母に飛びついた。


「坊っちゃん、ご無事でしたか。怪我はありませんか」

「うん! 会いたかったぁ」


 しばらく、みなで再会の喜びを分かち合った。

 それから、一行による密会が行われた。


 現在、館に集まっているのは、アルト、フリック、ベアトリス、スーザン、ロイヤー、アルトの乳母。


「まず、うちを拠点とします」

 とベアトリス。

「スーザンの提案によればカルツェ公爵家を頼るとのこと。これには私も賛成です。しかしまだ手ぬるい」

「え?」

「取引先の外国──主にジダニスタムへ掛け合い、資金援助と傭兵の募集をお願いしましょう」

「!」


 姉さん、とスーザンが机に手をついた。


「それじゃあ先方に借りを作ることになるぞ。そこまでする必要があんのか?」


 ベアトリスは涼しい顔で頷いた。


「次の戦でブラウエン家に勝たれてしまっては、うちは確実に取り潰されます。それにこの国にはブラウエンの協力者が多い。負け戦と分かっていながらカルツェ公が協力するでしょうか?」

「うっ……」

「私の計算では、ブラウエン家に協力するであろう公爵家は十四。対してシュヴァルツ家と関わりの深い家は、今のところ、ヴェルティス家の派閥のみ」


 アルトはびくっとした。

 シュヴァルツと内通してアルトを騙そうとした、緑の丘の公爵家が……!?


「他の中立的な立場の貴族を当たっても、ブラウエンには及びません」

 ベアトリスは続けた。


「そんな国全体が関わる大戦になってしまうのですか?」

 ロイヤーの問いに、ベアトリスはこれまた首肯した。

「その可能性は否定できません。王座をかけた争いですから」

「王座を……」


「そこで、私かスーザンのどちらかがここに残り、どちらかがジダニスタムへ渡ります。陛下にはうちの家臣の案内でカルツェ公爵家へ行って頂きます。よろしいですか?」


 じゃあ、とスーザンが挙手をして立ち上がる。


「あたしが動く。姉さんは司令塔としてここに残ってくれ」

「……いいでしょう。それと、ロイヤー殿とフリック殿」

「え」

「はい」

「どちらか一名、スーザンについてくれませんか

「!」


 ええー、とアルトは言った。折角合流できたのに、また離れ離れ?


「申し訳ありません、陛下」

「何だ姉さん、あたしだけじゃ信用できないか?」

「王陛下直々の使いという箔が欲しいだけよ」


「待ってください」

 ロイヤーがやや険のある声で言った。

「ソルラント王家まで、外国に借りを作るわけにはいきません。あくまで、ネイヴァルド様の個人的な付き合いの範囲に留めてはくれませんか」


「ロイヤー」

 アルトは慌てた。

 それでは、ヴァイスフリュークは利益を得るけれど責任はネイヴァルドに押し付ける、という形になってしまう。

「そんな言い方しちゃダメだよ」


「いえ、陛下。構いません。では、身分を隠して同行頂くというのは?」

「隠して」

「ええ。まずはスーザンだけで交渉を試みます。それがうまくいきそうになかった場合のために、『ソルラントに貸しを作れる』という切り札を温存しておくのです。スーザンだけでうまくいった場合は身分を明かす必要はありません」

「で、でも、そこまでして他国に頼らずとも」

「いえ、何もジダニスタム王国を頼るわけではないのですよ。ジダーン人の商人組合と取り引きするだけ」

「でも」

「いや、ロイヤー殿」

 フリックが割って入った。

「資金援助のあるなしだけでも、戦の局面は大きく変わる」

「フリック……。それは、そうですが」

「ロイヤー殿が不満なら俺が同行しよう。それくらいの価値はある」


 ロイヤーは、はあ、と肩を落とした。


「……分かりました。私が行きます」

「ロイヤー殿?」

「フリックはアルト様にお供すべきです。私の力では、何かあった時にお守りできませんから。それにフリック、あなたジダニスタム語なんて勉強していないでしょう」

「……め、面目ない」


 話はまとまった。

 国内で味方集めをするのは、アルトと乳母とフリック。ジダニスタムに行くのは、スーザンとロイヤー。ナヴァルディアに留まって指揮をとるのは、ベアトリス。


「これで、勝ちに行きますよ」


 ベアトリスの言に、みなは真剣な表情で頷いた。

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