11.預かり言と盗み聞き

 翌朝、少し遅く。


 アルトは青い顔をして、とぼとぼと廊下を歩いていた。


 先ほど終えてきたお祈りの内容を神官に報告せねばならない。それに側近や伯父たちにも。


 恐ろしい儀式だった。いや、儀式そのものが怖かったわけでも、アルトが何か失敗をやらかしたわけでもない。ただ、打ち震えるほどの恐ろしい結果に終わった。


(何て言おう……)


 考えがまとまらないまま、寝室を突っ切って、執務室の前まで来てしまった。これから側近たちに連れられて、応接間の神官の元へ行かねばならない。


(嫌だなあ……)


 自分の部屋なのに尻込みしてしまう。と、ロイヤーの声が聞こえてきた。

 

「……真面目な話、兵力は足りているのですか?」


 アルトは体を強張らせた。


 不吉な話ほど聞きたくなってしまうものだ。思わず、壁に直立不動で張り付いた。

 寝室と執務室は扉一つで繋がっているから、話は筒抜けである。



「いや。我々の予想に反し、大諸侯からの返事は良くはない」


 フリックの答えは、初っ端からアルトを叩きのめした。

(良くないって、主人ぼくの命令なのに)

 彼らには領土とその統治権をあげているが、これでは割に合わない。


「しかし、王家の兵も数が足りないのだろう」

 今度はシュロットが尋ねている。

「ああ、……例の妙な呪いへ立ち向かうには、人数がなけりゃいかんというのに」

「そうなのか」

「元はと言えばその呪いのせいで、かなりの数の兵が死んだりしているわけだが。まあ、どうしたって、諸侯の助けが要る」

「ふむ、何故、彼らは従わぬのだろう。何か心当たりはあるか、ロイヤー」


 アルトは息を殺して、次の言葉を待った。


「わっ、私ですか」

 ロイヤーは何故だか驚いているようだった。その割にあっさりと答えて言う。

「アルト様が皇帝でいらっしゃらないからかと。お気の毒ですが」



(やっぱり)


 目の前にさっと、戴冠式の時の景色が浮かんだ。寝室がくらくらと揺らいで見えた。


(僕のせいなんだ)


 アルトは所詮、皇帝の座も戦の運も、神から見放されている。

 ぺたんと床に座り込んだアルトの頭の上を、会話が滔々と通過していく。


「しかし、騎士ならば国王には忠誠を誓うべきではないのか。契約上、皇帝位の有無は彼らに関係がないはずだ」

 シュロットが釈然としない調子で尋ねている。

「ええ、私も、そこは疑問に思っています。なにぶん……実家から情報が入らないので」

「私もそうであるが……」

「いや……二人とも、そんな目で見ることはないぞ……知らんものを俺に訊くのは、仕方ないことだろうが。気に病むな」

「はい」

「済まぬ」

「それでだ……一部の者が従わん理由は地位だけではない。最近は貴族の連中も、税金を払うだろう」

「我々も貴族であるわけだが」

「今はそういう話ではないでしょう。少し黙って下さい」

「ゴホン。昔は、土地を頂ける分を武力提供でお返ししていたろう。だが今はそれに加えて税金だ。となると」

「税金の分、武力負担を控えめにしたい者がある、ということですか」

「ああ、そう考える連中がいる、と聞いた」

「税のために王家の強制力は低下してしまったのだな」


 先々代の王が働きかけ、先代が実現した貴族からの徴税は、中央集権を狙ったものであったが、皮肉にも諸侯らの心は王家を離れていってしまったのだ。


 ぼんやりと聞いていたアルトには、難しいことは分からなかったけれど、(父上の考えてたのとは違う風になってる)ということまでは何となく理解できた。


(これじゃ、戦えないのも当たり前だ……)


 悲しい溜息を一つ。

 そろそろ潮時と思い、立ち上がる。

 なるべく自然な笑顔を作ってから、部屋のドアを開けた。



「ただいま~!」



 〜〜〜

 


 話し込んでいるうちに、小さな主人が大仕事から帰ってきた。その様子にロイヤーは引っかかるものを覚えた。



(なんだか……)


 無駄に、ルンルンしている。

 大役を終えたというのに、安心するでもなければ得意げでもない。

 ただ可愛らしくニコニコ笑んで愛想を振りまいているのだ。


 この子は、作り笑いは大の得意のようだが、隠し事は苦手らしい。


「アルト様」


 ロイヤーは、男二人について部屋を出ようとする主人を、呼び止めた。


「どうかなさいましたか」

「? ううん、何にもないよ」


 振り返った青い目がまっすぐに見返してくる。訂正しよう、嘘のつきようもなかなかだ。


「……それなら、よいのですが」


 そう言ってロイヤーは、問い質すことはせず、大人しく歩み寄った。ただし、やんわりと釘を刺した。


「何かおありでしたら私共に仰って下さいね」

「……うん」



 アルトは決まり悪そうに顔を背けた。



 このお方は、我々が思うよりもずっと、秘密を抱えているのかも知れない。

 懸念を抱くロイヤーだった。


 そして、神官の前でアルトが述べた儀式の一部始終は、その不安を裏付けるものだった。



 ***



 王によるお祈りの儀式は、四十日に一度行われる。


 これにはちゃんと由来がある。善神が悪神に勝利し、人間に手を差し伸べるまでに要した時間が、月が欠けそして満ちるまで──つまり四十日間だったのだ。


 別途、記念日に国をあげて行う正式な典礼ほどではないが、それに次いで重視される宗教行事であり、一般人がやるお祈りよりは遥かに重要な儀式である。



 儀式の日、王はまだ暗いうちから起き出さねばならない。日の出とともに儀式を始めるためだ。満月の翌朝の太陽は、強い力を持っている。


「むにゃ」


 アルトは、乳母に起こされる前に目が覚めていた。気持ちが落ち着かなかったのだ。


 召使いの手を借りて、お湯を浴び、真っ白い衣装に着替えたアルトは、緊張の面持ちで一人、祭壇部屋に入った。


 必要に迫られ大急ぎでこしらえたこの建物は、仕方のないことだが、実家の白翼城のものより小ぶりで、安っぽい。しかし条件はできるだけ整えてあった。


 白色の天井は比較的高い。壁は全面黒色だ。

 狭苦しい空間で、窓といえば東側に横長のものが一つ。

 その窓の南寄りに、四角い祭壇が鎮座している。


 アルトは奥まで進んで、祭壇に酒を捧げた。それから両膝をつき、祭壇を見上げて両手を組んだ。


「善き神セウェルよ、光の長よ、我らに勝利をもたらす主よ。闇を葬り、我らを導き、今再び光明を与え給え」


 祈りの言葉である。

 神聖な文言の割に随分と短くて、拍子抜けした気分で暗記したものだ。

 あとは待つのみ——。


「ほう、なかなかキチンと覚えてきたものだな。感心じゃ」


 アルトが瞼を開けると、そこには光があった。


 日光、だけではない。

 真っ白に神々しく輝き、祭壇の上に立つものは、正に紛れもなく、降臨なされたセウェル神である。流石というべきか、狭い部屋中が光で満ちて、眩しいくらいだ。


「しかしまた、随分と粗末な建物を使ったもんじゃの。急ごしらえか」

「はい、すみません。お久しぶりです」

 アルトは丁寧に言った。

「うむ。会ったのはたったの数日前じゃったがの」

「はい、ええと、その節はありがとうございます」


 アルトは一礼した。手は、解いて良いのか分からなかったので組んだままだ。さっきから床につきっ放しの膝が痛むが我慢する。あと眩しいのも我慢する。


 祭壇に足を組んで座ったセウェル神は、悠々とアルトを見下ろした。

「あの時はオマエの戴冠を覗いた後、すぐに帰ってしまったからのう。どうじゃ、この頃は」

「まあまあです……。あの、セウェルさま」

「何じゃ」

 アルトは浅く一息ついてから、言った。

「なんで僕を皇帝にしてくれなかったんですか」


 セウェル神の光は依然白く強いが、この時何故だか少し寂しげな色を帯びた。

 それは、光の源である白髭のおじいさんが表情を曇らせたからかもしれない。


 アルトは心臓の鼓動が少し早くなるのを感じた。


「もう、オマエに皇帝位をやることはできん」


 セウェル神は言った。アルトは今度は心臓が凍りつきそうになった。


「なんでですか……」

「負けるからじゃ。オマエ達との縁もあと僅かじゃろうて」


 衝撃のあまりぐらっと来た。


「ま、負ける? 何にですか。僕は黒い森との戦に負けるんですか」

「そうとも限らんが、しかし今の所ワシは善の神じゃからの」

「……もうちょっと、分かりやすく言って下さい」

「そうはいかん。先のことはオマエ達の領域ではない」

「……」


 それはその通りで、先の見通しは確かに神の領域である。人に知らせるべきでないと神が判断なされたのなら、アルトは引かざるを得ない。


「ま、その時まで達者での」

 セウェル神は軽い調子で、しかしどこか慈しむように言った。アルトの不安は増大した。

「あのう。その時まで、とか、縁があと僅か、とか、どういう」

 口にした時には、供物と共にセウェル神の姿は消えていた。

 アルトは膝の痛いのも忘れて、しばらく放心していた。

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