9ー2.開戦告知の手紙を・後
「おやつならさっきもらったんだけど……」
「そうか。しかし多すぎて困るということはないだろう?」
貴族たちの前では威圧感のあるブラウエン卿も、アルトの前では優しげなおじさんに様変わりする。
「う、うん」
アルトは戸惑いがちに、また焼き菓子を手に取った。今度は固めの菓子である。
「手紙を出せたんだってね」
「うん。伝書鳥のことだから、すごい早さで帰ってくるよ」
「そうかいそうかい」
伯父は嬉しそうに笑んだ。それから、アルトが机に置いた本に視線を移した。
「明日は儀式かね」
「うん、僕初めてで」
「そうか。まあ、誰が見ている訳でもない。気張らずにやりなさい」
「そういうもんかなー……」
アルトは菓子を齧った。歯ごたえがあって甘さ控えめだ。これがオトナの味ってやつだろうか。
「むぐむぐ……」
「アルトや、善神によろしく言っておいてくれないか。これでも祭壇部屋を誂えるのには苦心したんだよ」
「むぐ……うん分かった。そうするよ」
「頼んだよ」
「ねえねえ」
「何だね?」
「お爺様の様子はどう?」
ヴァシリーは顔を曇らせた。
「心配させたくはないが、どうもよくない。長くはないだろう」
「……そっか」
身近な人が死ぬのは珍しいことではないが、やはり陰鬱な気持ちになる。
祖父は大きな手をした、贅沢好きの優しい人だ。アルトが屋敷を訪ねて行くといつも、頭を撫でては笑いかけ、甘いものや玩具を沢山くれた。
それが今では見る影もなく弱ってしまっている。時が止まってくれないものかと、アルトは祖父を見ると思ってしまう。
「アルトもちょくちょく顔を出しておあげ。きっと喜ぶから」
「うん……」
「それでは失礼するよ」
ヴァシリーは立ち上がった。
「あれ、もう? おやつは?」
アルトは菓子が山盛りに積まれた鉢を指差した。確か伯父は一つも口にしていない。
「残りはアルトにあげるよ。いつも頑張っているから、ご褒美だ」
「……あ、ありがとう」
ヴァシリーは出て行った。アルトはその後ろ姿を、今度は何とも言えない気持ちで見送った。それから再び本を手に取り、ぶつぶつやり始めた。
もう儀式の手順は覚えてしまっていたが、神学のイロハくらいは今日中に把握しておきたかった。
***
その後ヴァシリーは、父の寝室を訪れた。
青い泉のブラウエン公爵として名を馳せる父フェルナンドは今、病床で静かに呼吸を繰り返している。
「父上、お加減は如何ですか」
召使いに引き寄せさせた椅子に座りながら、ヴァシリーは訊いた。
フェルナンドは答えない。
以前までは嗄れた声でも何とか喋っていたのに、最近では、口を利くことも少なくなった。
ヴァシリーはそんな父に、はっきりとした口調で、話を続けた。
「今日、アルト様が、黒い森を鎮圧するとの手紙を、お出しになりましたよ」
「……そうか」
孫の話となると老人は弱い。やっと絞り出されたその声は、嗄れているを通り越して掠れていた。
「黒い森付近の諸侯を一部、先遣隊に任命し、我々本隊は、後から叩くという策です」
「……」
「大きな軍になりますよ。今は農閑期ですから、徴兵には困りませんし、最近では傭兵も、増えてきましたからね」
「……」
「ご心配なさらず、ゆっくりお休みください。この私が父上に代わり、摂政としての務めを果たし、必ずや国王軍を勝利に導きます。青い泉の時代も、もうすぐですよ」
「……ヴァシリー、よ」
「はい」
「妙な考えは捨てたか……?」
ヴァシリーは黙った。以前から父と子は、今後の方針について意見が食い違っていた。
「あまり一度に多くを望むな、息子よ……」
沈黙に、フェルナンドの小声が響く。
「時を見誤ってはならぬ……お前の妹を嫁にやって、ブラウエン家は王家に充分なほど影響力を持った……今はそこまでで……」
ぷつりと話が途切れた。幾ら待っても続きが出ない。
父を覗き込んだ。死んだかと思ったが、寝てしまっただけのようだ。
ヴァシリーは立ち上がった。爬虫類のような黒眼をくりっと動かし、父の青ざめた小さな寝顔を見下ろす。
(時を見誤るな? お可哀想に、父上も耄碌なさったものだ)
王に取り入ることに全力を尽くすあまり、目前のことにも気づけぬ程の老眼になったらしい。
だが、今こそが千載一遇の好機だ。
(私が、繁栄をもたらして見せる)
ヴァシリーはそう固く誓っていた。
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