9ー1.開戦告知の手紙を・前


 会議の翌日。

 アルトはやる気に満ちた面持ちで、鳥舎の戸をぐいっと見上げた。

 片手には、今朝書き上げられた、反乱鎮圧告知の手紙の束を大事に持っている。

 そう、今まさにアルトは、国を動かす大事業を始めようとしていた。

(僕が戦で出来ることなんて、手紙を送るくらいしかなくなっちゃったから)

 それは少し残念なことでもあった。


 アルトが騎士として修行をしてきたのは、王位を継承する予定が無かったからだ。本来の次期国王は、アルトの兄だった。


 これまでアルトは王をお守りするために育てられてきたし、アルトも自分の命をいつの日か王に捧げるつもりで生きてきた。もちろん、王位継承の可能性を完全に排除していたわけではないのだが、気持ちとしてはまさかそんなことがあろうとは思わなかった。


 そのまさかで王様になってしまって、恐らくもう、騎士のように勇ましく戦うことは許されない。

 せいぜいこうして、文書を各地に届けるくらいが関の山だ。


 故にアルトはこの作業に、己が騎士生命を込めんばかりの気合を入れていた。


 手紙の運び屋、伝書鳥のことは、家の代々の秘密であるから、お供を連れてきてはいけない。

 アルトは微妙に心配顔のロイヤーから鍵を受け取り、一人で鳥舎へやってきていた。

 苦労して戸を開ける。


 一面真っ白。

 白い材木で作った即席の小屋。同種の木を削って拵えた突っ張り棒。

 そこに白いフワフワな羽毛の塊が十ほど、等間隔に載っていて、いずれも微動だにしない。

 床には糞さえもが、白く狂いなく点々と並んでいる。

 異様なほど静かで、秩序立った空間。


 しかしアルトが口の中でむにゃむにゃと、秘密の言葉を呟くと、フワフワ達は一斉にぐりんと首を動かした。真横についた真紅の眼が一つずつ、真っ直ぐアルトを捉える。


「やあ」アルトは明るく言って、手紙の束を差し出した。「お仕事だよ」


 すぐに物凄い羽音、そして羽毛の嵐が巻き起こる。鳩より一回り大きな鳥たちが、一直線にこちらへ向かってくる。

 アルトはよろめきそうになったが、踏みとどまった。ここでめげては騎士の名が廃る。

 めいめいがアルトに襲いかかり、手紙をひったくって、次々と窓から出て行った。寒空を矢のように切り裂いて、一直線に飛び去る。

 あっという間に、アルトの手から手紙は消え、鳥舎には静寂が訪れた。


「はー……」

 こうして伝書鳥を使うのは今回が初めてではない。国王就任時にも速達を届けたばかりだ。だが、この勢いに慣れるのにはまだ時がかかりそうだった。


 ここで飼っている伝書鳥は大変有能だ。手紙の宛名を見ただけで、持ち主の元へ真っ直ぐ届けられる。どんな所へも、必ず一日以内に。


 そんな離れ業ができるのも、彼らが実は鳥の姿をした妖精だからだ。


 飲食と排泄の世話が必要な、珍しい種類ではあるが、その並外れた能力は王家として長年重宝してきた。

 使うのには一子相伝の呪文が必要である。アルトはこれを教わっていなかったのだが、今回は戴冠式の際、セウェルさまが直々に教えて下さった。


「仕方がないゆえ特別じゃ」

 とセウェルさまは仰った。しかしアルトはその時、混乱の極致だった。セウェルさまがまずなさることは、アルトへの戴冠だと思っていたから。

 しかし結局セウェルさまは、皇帝位を下さることなくお帰りになってしまった……。

 悔しい悲しいというものではない。アルトはとにかく大変なショックを受けたし、シュロットをはじめ家臣たちはそれ以上に落ち込んでいた。お陰様で戴冠式の空気は、すこぶる重いものになってしまった。

 しかし少なくとも、王様にはなれた訳だし、家を継ぐ者として妖精を使うことも認めて頂けた。落第点ではない、はずだ。


 そもそも妖精を飼う領主は限られている。アルトの知る限り、ヴァイスフリューク家を含めて五つほどだ。そのうちの一つがあのシュヴァルツ家であることに関しては、誠に憤懣遣る方無い。

 奴らの起こした事件のあとで、伝書鳥の数もぐっと減った。


(……そうだ、あの日だ)

 アルトは小さく息を吐いた。


 赤色が見えた。

 兵士たちの赤色。

 あのあと失ったものたちの色。


(思い出したくないけど……でも忘れちゃだめだ)


 城に眠る人、全員が百年後に目覚めるわけではない。眠りが解ける頃には朽ちてしまう者だっている。

 だから尚一層、アルトは許せなかった。


 黒い森は絶対に鎮圧しなければならない。

 アルトのこの意思を、生き残った伝書鳥がまっすぐに届けてくれるだろう。アルトにできることは少ないが、上に立つ者として、心意気は堂々としていたいものだ。


 鳥たちが吸い込まれて行った空の色は、薄っすらと澄んでいた。



 ***



「そうですか。また、お手紙をお出しに」

「うん」

「偉いですねえ、アルト様は」


 乳母が褒めてくれたので、アルトは嬉しかった。照れた笑顔で焼き菓子を頬張る。砂糖漬けの果実が入った柔らかい菓子だ。


「えへへ。でもね、伝書鳥の数は全然足りなくて」

「あらまあ」

「まだ戴冠式のことすら伝えられていないお家もあるんだ」

「あらあらまあまあ」

「偉い人から順に知らせることにしたからね……」

「乳母やには難しいことは分かりませんが、大変なんですねえ」

「うん」


 乳母とお喋りするのは好きだ。乳母は聞き上手で、話していると安心するし、こうしておやつも食べられる。


「伝書鳥を使うのは緊急用にとっておいて、他の人には馬と船で届けるんだって。今、シュロットたちが書いてるよ」

「さっき見かけましたが、そういうことだったんですねえ。何やらお疲れでしたよ」

「ふうん。それならあとで『お疲れさま』って言ってあげなきゃ」

「お優しいですねえ、アルト様は」

「えへへ」


 ただ、ここに移ってからは乳母も忙しく、いつまでも付きっ切りというわけにはいかなくなってきた。アルトが菓子を全部食べてしまうと、乳母は食器を持って立ち上がった。

「さ、片付けますからね」

 こう言われるといつも、少し残念な気分になる。だがわがままを言っては乳母も困るので、黙って見送る。


 閉められたドアをしばらく名残惜しそうに眺めてから、アルトは置いておいた本を引き寄せた。シュロットが薦めてくれた、分かりやすい神学の本だ。


 明日はお祈りをする日だから、ちゃんと言葉を覚えなければならないのである。

 儀式を頑張ればセウェルさまの信用を勝ち取れるのではないか、というささやかな期待をこめて、アルトはぶつぶつと暗記に徹した。


 ゆえに、ノックの音にしばし気づかなかった。


「は、はい」

「アルトや、調子はどうだい」

 伯父のヴァシリーが、お茶とお菓子を持って立っていた。



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