13.呪われた道
「アルト様、どうなさいました」
翌朝、乳母が支度を手伝いながら、様子をうかがってきた。
「んー……」
アルトは目をこすった。
「よく眠れなかったんですね」
「んー、うん」
「お可哀想に。無理をしてはいけませんよ」
乳母は小さな子供にするように、アルトの頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「うん……大丈夫」
わがままばかり言ってはいられない。ぐずったところで何か変わるわけではないのだ。
寝ぼけまなこで窓を見れば、空は今日も嫌になるほど晴れている。
いつも通り運動して、また着替えて、それから朝食を摂る。
乳母に首の後ろで前掛けの紐を結んでもらっていると、ロイヤーが「そういえば、ご報告があります」と話しかけてきた。
「私でなくシュロットからですが」
「なあに?」
目を向けるとシュロットは、どうやらものを飲み込んだばかりだったらしく、咳払いをした。
「……二つあります。まず、昨夕、船便でネイヴァルド家から手紙がありまして」
「え……『ごめんなさい』って?」
テーブルの向かいでフリックがむせた。
「確かにここで仕えてるネイヴァルドの坊ちゃんは、悪戯坊主ですからな。こないだの……」
「違います」シュロットは憮然として遮った。「スーザン様が、近々挨拶にいらっしゃると」
「なあんだ」アルトは言った。「やったあ」
思いもよらずいい知らせだったので、アルトはやや元気を取り戻し、大きな口でパンにかぶりついた。
「ほれから?」
「こら、坊ちゃん。ものを飲み込んでから話しなさい」
「……それから、もう一つは何、シュロット?」
「はい。朝食後の会議では、眠りの呪いについて報告があるそうです。何か調査に進展があったようで」
「……!!」
アルトは二口目のパンを咥えたまま、目を見開いた。
***
「えー、大変な時期ですが、わざわざお集まりいただきありがとうございました。わたくし、眠りの呪いの調査を担当しておりましたが、昨日ようやく結果がまとまりましたので、ご報告申し上げます」
アルトはピンと背筋を伸ばし、青い瞳をじいっと報告者に向けていた。胸の奥がドンドンと打ち鳴らされるのを感じながら。
報告者のおじさんは、緊張の面持ちで話を続けた。
「被害者の名簿を作り、共通点を調べ上げた結果、以下のことが呪われる条件ではないかとの説に至りました。
一つ、十八年前のローズ姫のご生誕祝いの際、城に居たこと。
一つ、先日のローズ姫のご成人祝いの際、城に居たこと」
会場がどよめいた。多くの人は互いに頷き合っていた。呪いに関しては幾度か話題にものぼり、憶測が飛び交っていたのだ。
おじさんは一呼吸おいて、続けた。
「被害者の多くは、王から衛兵に至るまで、この条件を二つとも満たしていますので、ほぼ間違いないかと。
専門家にも話を伺いましたが、恐らくは十八年前に呪いの“種”が蒔かれ、先日予告通りに“発芽”したとの見方が──」
アルトはいつのまにか、椅子を蹴立てんばかりに前のめりになっていた。
自分だけがこの時代に取り残された理由。
ヴァイスフリューク家の家臣のうち、若者ばかりが生き残った理由。
なるほど、実に単純明快だった。
十八年前、姉の生まれた時、アルトは文字通り毛程も存在していなかったのである。
サムエルも生まれていない。乳母も雇われていなかった。今の側近たちもその時はまだ子供だったはず。
それに確かブラウエン家は、お祖父様がご病気だからといって、先日の祝賀会を欠席していた。緑の公も確か、あの日は見かけていない。そもそも父上は何かあったらことだからと、あの日は念のため人を多くは呼ばなかった。
「──条件を片方だけ満たした場合どうなるのかを含め、これからも調査を──」
条件を片方しか満たさなかったら?
恐らく、呪いは無効になるのではないか?
つまり、眠らずに済むのだ。アルトやヴァシリーのように。
それを黒い森は予測していた。
だからシャーグは、“アルトが眠っていない事態”に素早く対処するため、あんなに早く会いにきた。
「むむむ」
報告者の発言が終わったので、アルトはストンと座りなおして、小さく唸った。
生まれた時から運命が決まっていたなんて。
うまく言い表せないが、胸の内がもやもやする。……おさまりが悪いというか、不公平というか、……気に入らない。
この人生は初めから、呪いに踊らされる運命だったというわけだ。
アルトは悔しくなって、八つ当たりのように、拳で左腕を叩いた。だが、遠くからロイヤーが怪訝そうにこちらを見たような気がして、慌ててやめた。
シャーグの件は、まだサムエルにしか話していない。
大人に言ったらきっと怒られるし、大騒ぎになるだろう。それに後ろめたい。黒い森の側に弱みを見せるなんて、王様として恥ずべきことだ。
アルトは落ち着いて、もう一度姿勢を正し、雑念を振り払った。
そしておとなしく、質疑応答に聞き入った。
***
「……で、お前は失敗したのだな?」
「何のことだ?」
シャーグはふてぶてしく開き直った。
黒い森の公爵、マーク・シュヴァルツは、肘掛け椅子の上で深々と溜息をついた。
「わたしはこう命じたはずだ。残りの一人にも呪いをかけるように、と」
「かけてきたじゃないか」
「だが、あの子はまだ眠っていないのだろう」
「そりゃ、あいつがまだ眠りたくないって言うから」
広い石造りの部屋に、沈黙が染み渡った。
「……お前は阿呆なのか?」
「阿呆はあんたさ」
シャーグはにやにやした。
「俺は主人であるあんたの言った通りに行動したぜ。但し、あんたは、幾つかの命令を怠った。今すぐあいつを眠らせろとか、あいつの望みを聞くなとか」
それに、他人に本名を教えるなとか……と、これを言ってしまっては面白くないので、そっと胸にしまっておく。
本名を呼ばれたら命令に従うという性は、シュヴァルツ家にのみ適用されるのではない。
シュヴァルツは苦悶の表情で、眉間に指先を当てた。
「往復に七日以上を要して、結果がこれか……。まあいい、あの子が眠ろうが殺されようが……ああ、いらぬお節介だったようだ」
「元気出せよ」
これに対し公爵は、反応する気もなくしたようだった。
ただ、「やはり、戦は避けられないか……」と独りごちた。
膝の上には、王家から届いた手紙が乗っている。
「困った……ヴァシリー・ブラウエンは駄目だな。聞く耳を持たん。己の目標しか頭に無いらしい……」
気落ちしている主人は別に珍しくもないが、シャーグは珍しく気を利かせて言った。
「一丁、その青い泉の奴らを、眠らせてやろうか?」
しかしシュヴァルツは力なく首を振った。
「いかんよ、そんなことをしたら。ソルラントの指導者は本当にいなくなる。どんな厄介な奴でも、居た方がましなことがあるんだよ……」
「そんなら、何で戦うんだよ?」
シュヴァルツは、いっそう憂いに満ちた表情をした。
「彼らがわたしたちとは全く相容れない存在だからね。どちらかの夢が、必ず打ち砕かれる運命にある。……わたしたちには」
声が、決意を帯びた。どこか悲しげで残酷な、鉄のように固い決意。
「彼らに敗れてもらうしか、方法がない」
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