14.遠方より来たる


 しばらくは、忙しく毎日が過ぎた。

 宮廷じゅうが、新体制を整えるため、戦に備えるため、せっせと働いている。

 アルトは言われた通り、たまに祖父のもとへ見舞いに訪れていた。


「お爺様、アルトだよ」

「……」

「昨日、僕の部屋の番をしてた衛兵は、物真似が上手でね……」

 この部屋にはあまり長居させては貰えない。祖父の余命もたぶんあと僅かだ。こうして話せることができる時間は限られている。

 アルトはいつも、何を言うべきか分からなくて、一方的にとりとめのない話をしてしまう。祖父の反応は薄いが、たまに唸り声みたいな音が聞こえるのだった。



 四、五日もすると近場の貴族からぽつぽつと、宮廷に使者が訪れては、作戦を伝達し合うようになった。その中には、スーザン・ネイヴァルドもいた。

 以前から仲良くしてくれていた腕白なお姉さんの到着を、アルトはこれまで心待ちにしていた。いそいそと謁見の間へ向かう。

 久しぶりに会えることを喜んでいたのだが。


 玉座の上でアルトは、カチコチになってしまっていた。


 あの馴れ馴れしい態度はどこへやら、彼女は優雅にお辞儀をして待っていたんだもの。


「お忙しいところお時間を下さいまして恐悦至極にございます。畏れながら、当主に代わり参上仕りました」

 なんて、流れるように言うんだもの。

「あ、うん……」

 アルトは、落ち込むまいと姿勢を正した。

 彼女の態度と装いは、完全にオトナの貴婦人のそれだった。爽やかな色合いのドレスをそつなく着こなし、立ち居振る舞いにも非の打ち所がない。一つに結い上げた長い黒髪は、まだ成年のように編みこんではいないものの、つややかで気品に溢れている。

 何もかも貴族然としているスーザンは、何だか他人みたいで息苦しかった。


「先日は、大変ご愁傷様にございました」

「はい、こちらこそ……」

「また、国王ご就任のこと、誠におめでとう存じます」

「はい……」

 気丈にしているつもりなのにシュンとした声が出てしまって、我ながらガッカリする。こういうところはまだ子供だなと感じた。これでは王様としてよろしくない。

 もっと堂々としなければ。もっと頼り甲斐のある態度で臨まなければ。もっと……。



 スーザンは鋭い目つきで、周りをサッと見回した。次に後ろを振り返り、お付きの騎士と何やら頷き合った。

 それからアルトへ向けて、にっと笑ってみせた。

「冗談だよ、アルト。そんな顔すんな」


「ス、スーザン」

 アルトは一気に肩の力を抜いた。

「元気してたか?」

「こっちの喋り方の方がいい」

「そうだろうなーと思ってさ」

「うん」

 アルトは照れ臭そうに笑った。

「でも人前ではアルトとかアル坊とか、呼んであげないからな。陛下って言ってもビビるなよ」

「ビビらないよ」

 アルトは言い返した。宮廷の外部の者たちはだいたい“陛下”と呼ぶ。そんなことはとうに理解している。初日から名前呼びに腹を立てるくらいには。

「それに坊じゃないもん」

「そうかそうか。まあ頑張れよ」

「ちゃんと聞いてよ」

「聞いてる聞いてる」

「嘘だあ」

 ぷんすかしながら、アルトは自分の中で張り詰めていたものがまた一つほぐれるのを感じた。


 ***


 しばらく笑いあってから、スーザンは退室した。


 成果は上々だ。アルトに会えたことがまず第一だが、二月ほどこちらにいさせてもらうことに加え、今宵の夕飯をご一緒する約束まで取り付けたのだ。


 小さな貸し部屋に通されて、スーザンはワクワクしていた。

 荷物を片付け、ふかふかの椅子にドスンと座る。手持ち無沙汰なので、気付いたことを早速サラサラと紙に書き付けていく。


 ──これからが勝負だ。

 王権はこの後も安泰なのか、官吏という立場に価値はあるのか、見極めるのだ。


(やってやる!)


 拳を高々と天井へ差し伸ばしたその時、ノックの音がした。

「どちら様?」

 と上品な声でいらえると、「姉さん、俺」という声がする。

 さては王家に預けていた可愛い弟君が、女性用の宿泊室まで恥を凌いでやって来たか。

 それを思うと、ちょっかいをかけずにはいられなくなった。悪戯心の赴くままに、間髪入れずに問いかける。


「茶葉の主な仕入先は?」


 上流階級に出回る茶は、産地こそ広く知られているが、購入ルートを知るものは少ない。

 外にいる少年は「あー、えーと」などと、お気楽な音を発してる。宮廷生活で平和ボケしたらしい。けしからん。もしこいつが不審者だったら、とっ捕まえて拷問部屋行きにするところだ。

 

「ジダーン人の商人!」

「よし。入れ」

 カチャリとドアが開いた。

 入って来た一人の少年は、最後に見た時よりも背が伸び逞しくなっていた。

「よう、姉さん」

 などと少し照れて言うものだから、スーザンもおどけて返した。

「よう」

 元気にしてたか、と言おうとしてやめた。そんな定型句よりも、さっき、とっておきの情報をアルトから仕入れたのだ。


「あんた、王様殴ったんだって?」


 愛すべき弟サムエルは、ギクッと面白い反応をしてくれた。


 ***


 ナヴァルディアの商人はジダニスタム帝国と懇意で、比較的容易に茶葉を入荷できる。


 サムエルは姉と話しながら、淹れてもらった薄めのお茶を見下ろした。気の短い姉はじっくり抽出を待つことが苦手だ。


「今日は、馬で来たのか」

「いや。城だったら馬で行けたけど、ここまでは面倒だろ。我が都市ナヴァルディアの誇る帆船で来た」

「あっそ」

「そんで着いたら、あんたがアル坊を殴った話ばかり聞かされて、顔から火が出たぜ。頼むからここで騒ぎは起こさないでくれ。あたしの出世に響く」

「何だよそれ」

 つい突っかかりながらもサムエルは、一瞬だけ後方に目をやった。調度品である華奢な机に、重そうな書物と筆記用具が載っかっている。官吏になりたいという、姉の執念を垣間見た。


「出世は姉さんで勝手にやっとけよ。俺は、あいつがあんまり情けないこと言うから、気つけのつもりで」

「は? アルトが、情けないことを言ったのか?」

「あ? そうだけど。すぐに弱音吐くし」


 それを聞いたスーザンは、おっさんみたいな動きで椅子にもたれかかった。

「かーっ。あんたって本当に馬鹿だな」

 ムカッと来る言い方だが、サムエルには否定できないのがつらいところだ。

「う……分かってるよ。あの後メシ抜きにされたし」

「それもそうだけど、あんたさあ。せっかくアル坊が甘えてきたのに、殴るって何事」


 サムエルは怪訝な顔をした。スーザンは一人でぽんぽん話を進める。

「あたしが見た限り、アルトはずっと弱みを見せないように気を張ってるよ。さっき見たときは、親しい側近に対してもどこか強がってるみたいだった。なのにすぐ弱音を吐くらしいじゃんか。それを、殴っただって? だから馬鹿だっつってんの」


 こともなげに言われてしまった。勝手な憶測を、と否定するのは簡単だが、的を射ているような気もする。


「あたしと謁見した時の、あの子の顔ったらなかったね。あー今まで頑張ってたんだなあこの子は、って思ったよ。まだまだ甘えたい盛りなんだ、ってね」

「はあ」

「あんたもう少しあの子を大事にしてやりな」

「……。ちゃんと大事に思ってる。友達だし」

「そう? そんなら良いんだけど」


 反駁が飄々と躱されてしまい、サムエルは仕方なく口を閉じたものの、これではどうにも言われっぱなしだ。負けたような気分になる。

 スーザンのそういう気まぐれな性格も、他人を巻き込む乱暴な話術も、無茶苦茶な様でいて真実を見抜く観察眼も、……凄いと思う。姉はこう見えて有能なのだ。大変やりづらい。

 長姉ベアトリスの次にサムエルの頭が上がらないのが、このスーザンなのである。


「そんなことよりサムエル、近況教えろ近況。ブラウエンはどんな感じだ。戦は」

「えー、また政治のハナシかよ」

「いいから教えろって」

「……ブラウエンのことは知らねえ、ケチで偉そうって感じだ。当主の爺さんは死にかけてるらしくて、実際は息子の方が仕切ってる」

「ふんふん」

「戦はやばいらしい、セウェルさまが見捨てたとか何とか」

「は? また?」

「まあね。それでみんな焦ってる」

「それは、まずいな……」


 スーザンは眉間に指を当てて考え込んだ。どことなくベアトリスを彷彿とさせる仕草で、サムエルは家で胃痛と戦っていそうな神経質な姉を連想した。そこで、幾分やわらかくスーザンに声をかけた。


「……あんま、本気にするなよ。確かに、一部の人はビビってるけどさ。予言がよく分かんないのはいつものことだし、気のせいだろって話だ」

「だが相手が黒い森だからなあ。何でもあちらさんには、化け物がいるんだろ」

「うーん、確かに、奴らの仲間に変なのがいるって噂はあったけど、本当かどうかは知らねえ。それに国王軍の方が、数が多いに決まってる」

「まあなー。よっぽど凄い戦術でも無い限り、物を言うのはやっぱり数だもんな」

「その数も思ったより集まらないらしいけど、戦うには充分だってさ。それに青い泉は金持ちだから……」


 この後話は二転三転し、戦のことから実家の近況まであれこれ話し込んでいるうちに、時が過ぎた。

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