7.反逆者は誰なのか
アルトは地面に横倒しになった。
たちまちサムエルは、召使いにとっ捕まった。その様を見ながら、アルトはむくっと起き上がって、赤くなった頬を押さえた。
「サムエル。……痛い」
「知ってるよ。離せ!」
サムエルが召使いを振り払う頃には、他の人も四、五人集まっていて、今度は兵士二名に両腕を掴み上げられてしまった。
今度は逃れようにも無理だった。彼らは、サムエルやアルトよりもずっと先輩である。反抗のしようがない。
銀の鎧を身につけた二人に、サムエルが仕方なくそのまま引きずられていくところを、アルトは制止した。
「待って。連れてかないで」
アルトは立ち上がって、軽く砂を払った。薄汚れた赤の練習着は、更に汚れてしまっていた。サムエルは腕を掴まれたまま、ぶうたれた顔で待っている。
「どうして殴ったの」
そう尋ねたアルトは、静かだった。その体からは、怒りも、屈辱も、何も発せられていないように見えた。
サムエルは変な気分がした。
半分は勢いに任せて殴ってしまったが、こういう目に遭ったアルトはだいたい、ぷるぷる怒ったものだった。目に涙を溜めて、顔を真っ赤にして、騎士の矜持だけを拠り所に。
なのに、何で今はこんなに凪のように穏やかなのだろう。
あの事件以来、この小さな年下の友人は、どこか変わってしまった。それが良いものなのか悪いものなのか、サムエルには分からない。
アルトがまだじっと自分を見ているものだから、サムエルはムスッとして言った。
「どうしても何も、ムカついたからだ」
「……」
「だ、誰のせいだと思ってんだ」
「……サムエルのせい」
「ちげーよ。お前さあ。一人で勝手に寝ようとするからだろ!」
アルトの目が、びっくりしたように、少し大きくなった。
サムエルがここにいる、という事実が雷のように脳天を貫いた。
アルトが妖精の誘惑に負けず、眠りの世界へ逃げないでいる理由は、その立場ゆえの責任感だけだった。王座を守る、家族を助ける、といったような。そんな建前に縋るだけで、アルトはもう精一杯だった。本心では、早く未来へ逃げたいと思っていたのも無理からぬことだ。
でも、他にも、アルトをこの時間に繫ぎ止めるものが……この時代を生きる理由が、あったのだ。
今更ながら、アルトはそれを見つけたのだ。
「……ごめん」
アルトは小さな声で言った。
気づくのが遅かった、もう呪われてしまった。うかうかと、己を甘やかしてしまった。
すっかりしょげ返ったアルトに、サムエルは不貞腐れた顔のまま、答えた。
「お……俺も、殴って悪かった、よ……」
サムエルはやっぱり凄い奴だ、とアルトは思った。
ところが。
そのサムエルの顔は、瞬時に青ざめることとなる。
兵士二人はサムエルを釈放することに難色を示したのだ。
何しろ、今朝の件もある。あの諸侯たちは、アルトを押さえようとしただけで、反逆者として罰を言い渡されたのに、サムエルときたら!
「こやつだけ特別扱いするわけには」
「えっ」
慌てたのはサムエルだ。
「ちょっと待って下さいよ」
アルトを殴った時は、罰を受けることまで考えていなかったのだ。まさか拘留されるのか。それとも実家に何か──。
「違うよ。これはただの喧嘩だよ」
アルトも慌てて言ったが、兵士は難しい顔をしている。サムエルはいよいよ不安になってきた。それを見てアルトは、憮然として抗議した。
「サムエルは友達だからいいの」
「そういう問題では……お友達だろうと規則は規則ですので」
「僕がいいって言ってるのに」
「王様だろうと規則は規則で……」
「むー。やっぱり。僕がちゃんとした王様じゃないから、そんなこと言うんだね」
「違いますよ。いずれにせよ決まりは守って下さらないと」
「先輩のけち」
「仰っていることが無茶苦茶ですよ」
「僕の友達を捕まえちゃう方が、無茶苦茶だもん」
「ええと……」
結局アルトが、「これはオンシャってことにして!」と食い下がって、ようようサムエルは解放されたのだった。こうして、非公式ながらも、アルトの恩赦第一号はサムエルと相成った。
サムエルはというと、二度とするなとどつかれて、大分色を失っている。
だが彼を慰める時間は、残念ながらアルトにはなかった。
昼休みは終わっている。急いで執務室に戻らないと、家臣に小言を言われて、最悪の場合稽古を禁じられてしまう。
アルトは挨拶もそこそこに、その場を走り去った。
結論から言おう。
ソルラント王国は、黒い森を再鎮圧するため、挙兵することを決定した。
反対派もそこそこいる中で、その決断に踏み切ったのには、いくつか要因がある。
まず、国王アルトが鎮圧に意欲を持っていること。
有力諸侯であるアルトの外戚一家が、それに強く賛同したこと。
また、緑の公らが持ちこんだ書類に、黒い森との癒着が見られ、皆の危機感が募ったこと。
問題の書類の報告を、シュロットが滞りなく行うと、会議場はどよめいた。
「黒い森と手を組んだ、緑の丘の者共は、これ即ち反逆者である」
アルトの母方の伯父である、青い泉の卿は熱弁した。
「このまま放っておいて良い訳があるか。黒い森がまた誰ぞやをたぶらかさぬうちに、すぐにでも叩き潰す必要がある」
会議室にズラリと並んだ諸侯たちは、様々に反応を示した。すぐ隣にある上座にて、ブンブンと首肯しているのはアルトだ。
自分で読んでみてもそうだったし、後から家臣の説明を聞いても、例の文書の内容は到底納得できるものではなかった。緑の公らと黒い森とで、王の権限や領土を分け合うことなんかを、約束していたのだ。
全く憤ろしい。文書というのはあんな風に、無理やり作るものではない。
こういう事態を、今後一切許してはならないと思う。
会議場ではしばらく、ごちゃごちゃと議論が飛び交った。
頃合いを見計らって、青い泉の卿はまた、新たに話題の種を投下した。
「時に騎士長殿。緑の公は具体的に、どのような狼藉を働いたのだ」
突然話を振られて、フリックは内心驚きつつも、ビシリと背筋を伸ばした。
「はっ。私が部屋に突入しましたところ、丁度彼らが寄ってたかって、国王様を取り押さえようとしていました……」
フリックは張りのある声で、はきはきと事件のあらましを告げる。諸侯らはまたざわめきだした。
「ご苦労」
青い泉の卿は満足げだった。そして少し間を置き、「さて……」と切り出す。
「黒い森との和平を望むものは、あのような裏切り者と同類と見なされても、致し方あるまい」
ずん。
威圧感、などというものではない。もっと重い何かが、議場にのしかかった。
諸侯たちはウッと息を詰めた。
青い泉の卿は、更に釘を刺した。
「まさか貴殿らまでが、彼奴のような愚かな選択をなさるのでは、あるまいな」
少しの間、身動きする者すらいなかった。
この場で青い泉と逆の意見を言おうものなら、たちまち王家への裏切と見なされて、家が失墜する。
──現時点での最有力諸侯、青い泉のブラウエン家。
公爵は長らく体調不良ゆえ、その息子であるヴァシリー卿が、今日も代理として出席している。だが、それでも彼は、かなりの影響力を持っていた。
アルトが最終的に身を寄せ、新しい宮廷と定めた、この屋敷が、青い泉の管轄であったことも大きい。
ともかく、反論できる者はそういなかった。
しかも今回の会議には、矢鱈と欠席者が多かった。
今や会議場の支配者は、ヴァシリーのみだ。
張り詰めた空気の中で、ヴァシリーは、「そうでなくても」といつもの主張を繰り出した。
「黒い森の鎮圧は、我らが君主の権威に関わる問題、ひいては我らが帝国の沽券に関わる問題ではないか」
堂々の主張に、もはや他の意見など出ようはずも無かった。
鎮圧──これがこの国の結論だ。
そんなわけで、本格的に戦が始まる。
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