6.弱者は勝てるのか
ぐわっ。
と、日に焼けた顔が視界を占領した。
召使いに呼ばれてやって来たサムエルが、アルトの顔を覗き込んでいた。
「お前、どうかした?」
「え?」
「早くしないと昼休み、終わっちゃうぜ?」
サムエルは木剣で、己の肩を叩いてみせた。こいつは正式な場以外では敬語を使わない。
「あー……」
「よっしゃ行くか!」
「う、うん」
アルトは慌てて剣を取り、鞘が外れないようになっているかを確認した。
「行くぜオラァ!」
何故か「行く」を二度言った後、サムエルは素早く構えをとり、殴りかかるような突きを繰り出した。
迫り来る鈍器を、アルトは慌てず綺麗に避けた。続く第二打を盾できちんと受け止める。型としては最良のを選んだのだが、腕に予想外の重みがぐうんと伝わった。
アルトが少しよろけたその隙を、サムエルが見逃すはずもない。立て続けに木剣が繰り出される。アルトは徐々に後退したが、防戦一方になることなく、少しずつ隙を見つけては剣を振るった。
勝敗は決した。
二人は、地面に大の字に寝転がって、冬枯れの庭木の梢と、その先の青空を眺めていた。二人とも息が上がっていて、ふうふう言うたびにお腹が膨らんだり萎んだりしている。
「サムエルは強いなあ」
息を整えながら、アルトは言った。
「アルトも弱い訳じゃないだろ。今朝だって、大人を振り切ったって聞いたぜ」
「耳が早いね……。あれは、何というか。みんな油断してたから」アルトはしょげた。「僕なんか、か弱いお子様だって、みんな思ってる」
「それでいいんじゃねーの。だから勝てたんだし」
サムエルは無頓着に言った。
「弱かろうが、勝ちゃ良いんだよ」
この時期には珍しく、柔らかい風が吹いている。その涼しさが、運動して火照った体に気持ち良かった。
「サムエル」
「うん?」
「僕もさっき、妖精に呪いをかけられた」
「は?」
胃の腑の辺りが殴られたような衝撃が来た。サムエルはがばっと起き上がった。
「嘘だろ。どんな?」
「僕が眠りたくなったら、家族と一緒に眠れるようにって」
アルトは目を閉じた。
サムエルは顔から血の気が引くのを感じた。それと同時に、怒りが突き上げてきて、拳で地面をぶっ叩いた。枯れた芝生の茶色い屑が、土埃と共に舞い上がった。
「有り得ねぇ! 最低だな!」
「そうかな」アルトは気怠げに言った。「眠れたら、次に起きた時、百年後だ。家族に会えるよ」
サムエルは口をあんぐり開けた。その横でアルトはゆっくり上半身を起こした。
「お前」
「僕は、家族に会えないままずっと国王なんかやって、それだけで死ぬのは嫌だったんだ。だから、呪われても別にいいやって」
ほんとは、もっと後に呪ってもらうつもりだったけど、と呟いて、アルトは力が抜けたように笑った。
「僕はさっき、少し甘えん坊だったみたい」
哀しい無力感に、サムエルは襲われた。自分と稽古をし、隣で座り、今も話をしているアルトは、家族を追って眠ることをずっと考えていたのだ。
遣る瀬無いと思った。アルトが手の届かないどこかへと、消えてしまいそうな気がした。
サムエルは怒ったように言った。
「家族を助けたいって言ってたじゃねーか。一緒に寝こけてたら助けらんないぞ」
「……もし駄目だったら?」
アルトの声が少し揺れた。
「僕は小さいし。一人じゃ何にもできないし。領主たちは言うことを聞かない。こんなんで勝てるのかなって」
「それは、これから大きくなれば……」
「もちろん、大きくなるよ。強くなって、勝つために戦うよ」
「それでいいじゃないか」
「でも」アルトは遮った。「黒い森ってきっと凄く強い。でなければ、王様に喧嘩なんか売らない」
サムエルは黙った。この年下の友人はたまに、直情径行ぎみのサムエルが驚くほど、色々と考えている。
「黒い森はきっと強いよ」
アルトは悲しそうに続けた。
「今まではね、どんなに困っても、大人の人や神様が助けてくれると思ってた。でもどうしても、駄目なことだってあるんだ。どうしても思い通りにならないことが」
アルトは顔を伏せた。
「黒い森との戦いが駄目だったら、僕は二度と家族に会えない。……サムエルさ」
「うん?」
「弱くても勝てれば良いって言ったよね」
「……言った」
「家族に会えれば、僕の勝ちだ」
サムエルはしばらく、アルトの俯いた顔を眺めていた。
それから、おもむろに、その生っ白い頰っぺたを、力の限りぶん殴った。
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