4.頑張り屋さんと甘えん坊さん
たちまち、諸侯たちは兵士に取り囲まれた。アルトはフリックの腕にしがみついて、後ろに隠れていた。
緑の公は、無礼者だの何だのと
「国王ごときがつけあがるなよ!」
化けの皮が剥がれた公爵は、猪みたいな形相で噛み付いた。
諸侯たちが丁重に別部屋へ連れ去られるのを見て、アルトはようようフリックの背中から離れた。フリックは素早いのが持ち味で、さっきも呼び鈴が鳴るや否や、部屋へ突入して来てくれたのだった。
「ありがと」
礼を言うと、フリックは笑って、アルトの肩に手を乗せた。
「なに、お困りの際はいつでもお助けすると、以前にも申し上げたではないですか」
頼もしすぎる。アルトはちょっと泣きそうになってしまった。
やがて、四人の諸侯にはきちんと不敬罪が言い渡された。
今回大事には至らなかったから良いものの、本来なら重大なことである。よって、それぞれに賠償金三十万アウルムを要求する。また、許可が下りるまでは当面、宮廷への出入りを禁ずる。
こう、兵士に伝えられた四人は、ショックを受けたり、しょぼくれたりと、それぞれの反応を示したようだ。
そしてこれは余談だが、後にこの兵士は、この時の緑の公の顔真似を習得し、一躍人気者になった。
「やっぱり、甘く見られてたんだよ」
昼食の席で、アルトは零した。
「みんな、僕は弱いって思ってるんだ。そりゃ、まだ城も取り返せてないし、ただの小さな王様だけれど……」
でもあんな風に蔑ろにされたり、乱暴を働かれたりするのは、やっぱりおかしい。
あの態度は君主に対するそれではないし、そもそも一人の人間として見られてすらいなかった気もする。
「子供なら言うこと聞かせられるって、思ってたんだな……」
そしてアルトは本当に、ろくに話も聞かずに彼らを信じ、判子を押してしまっていたのだ。何とも癪だ。因みに彼らの書類は全て、家臣たちがお預かりしている。
「アルト様、お芋のスープもちゃんとお飲み下さいな」
「うん。……でもねえ、せめて僕がちゃんとしてなきゃ、父上に申し訳ないしなあ」
アルトがまた足をぶらぶらさせると、乳母に腿を
「痛っ、ごめんなさい」
「頑張り屋さんなのは結構ですが、お食事の作法も守れないようでは、甘く見られてもしょうがありませんからね」
「むー」
アルトはちらっと他の同席者を見た。無駄に長いテーブルに、縁者や家臣たちが並んでいる。皆、ぴしりとした姿勢で食事を摂っていた。
側近の三人は、食べながらもまた戦の話である。アルトは耳を澄ませた。
「では、その準備期間中に、交渉の使者を送るのはどうですか」
ロイヤーは相変わらず慎重派だったが、少し譲歩したようだった。これに対しシュロットは「それくらいなら」と頷いたが、フリックは違った。
「そういう手もあるだろうが、開戦するならやっぱり、はっきり態度を示しとくべきじゃないか」
つまり、妥協せずに完全に敵対すべきだと言っている。
「いや、軍備を整えながら交渉に行くというのは、なかなかはっきりした態度だと思われるが……」
「そんなちまちましてたんじゃ駄目だ。下手な手出しをすれば、また無駄に死人が出る」
シュロットは一瞬、つまった。
「確かに、悠長に交渉などすれば、弱腰だと思われかねん。しかし」
彼が論を展開しかけた時、ロイヤーがピシャリと割って入った。
「そんなこと、三日前に既に思われてます。それにフリック、あなたは分かっていらっしゃらない。交渉とは死人を出さないための……」
三人の会話を傾聴するあまり、アルトの手は完全に止まっていた。
「アルト様」
「は、はい」
乳母に言われて、急いでスプーンを持ち直す。そしてまた食べ始めたが、脳内ではぐるぐると、またぞろ考え事が止まなかった。
やりたくないなあ、と思わないではない。こんな時に王様なんてやるもんじゃない。こんなに各方面との関係が緊張している時に。
貴族は恐いし、黒い森は恐い。
せめて自分が、ちゃんとした王様であれたなら良かったのに。
でも、どんな小さな王座でも、全て捨ててしまうことには抵抗があった。アルトの責任感がそうさせない。それに、やはり家族が復帰するまでは、せめてこの座だけは誰にも譲りたくないと思っていた。
たとえ、政を引っ張るどころか、政に引っ張られるだけの、足手まといだとしても、この王座には意味がある。
ただの身勝手で、ヴァイスフリューク朝を断絶させるわけにはいかないのだから。
だから自分がしっかりしなくては。
──ただ、逃げ道があれば、と夢想することは度々あった。そしてそれは案外、作ろうと思えば作れる道なのだ。
務めを果たそうとみんなの前で全力を尽くすこともあれば、辞めることばかりを一人で計画してしまうこともある。
頑張り屋な自分と甘えん坊な自分は、時に対立し、時に混ざり合って、どっちに転がっていけばいいのか測りかねてしまう。
食後はしばらく自由時間だった。アルトは気持ちを切り替えて、稽古のために一人で外へ出た。赤色の練習着に着替えるのを手伝ってくれた召使いは、始終アルトを止めたがっていたが、アルトが全然聞かないので、庭までついてきていた。
事件の前なら、もっと強く止められたろうし、もっと大勢が見張りについたろう。そう考えると、今は好き勝手にできる方だけれど、やっぱり寂しい。最近は寂しくなることばかりだ。
入念に体操をする。仕上げにぴょんぴょんと跳ねると、アルトは走り始めた。召使いも続こうとしたが、二、三歩で諦めたらしい。心配そうに、アルトを見送った。
王様になってしまっては、朝稽古に参加できなくなってしまうので、空き時間に鍛えたいとアルトは考えていた。怠けて体力を落とす気にはなれなかったし、今日はやはり、諸侯に軽く扱われたことが効いていた。
今、移り住んでいる仮の宮廷は、前の城よりもだいぶ小さく、準備運動に一回りするには丁度良かった。城にいた頃は、一周するだけでへとへとになってしまっていたが、ここではもう一度召使いの元へ戻る頃に、ようやく体も温まってくる具合だ。
脇腹を押さえて周ってきたアルトを見て、召使いは「だから申し上げましたのに……」と困った顔をした。
「ううん、いいの、
召使いはぶんぶんと首と手を振った。
「だよねえ。じゃあフリックか誰か、兵士を呼んできてよ」
「はい、ええと」
「僕なら大丈夫だよ。庭には他にも人がいるんだし」
承知しました、と召使いは駆けて行った。アルトは、腰に提げていた特注の木剣を抜くと、せっせと振り回し始めた。
正直、来るんじゃないかという気がしていた。
人がいるから大丈夫とは言ったけれど、実質アルトは、屋外で一人きり。
奴が、あの悪神の手先みたいなやつが、こんな絶好の機会を逃すはずがないのだ。
そして、認めたくないが、多分アルトはどこかで、それを待っている節があった。
「やあ、王様」
唐突に声をかけられ、アルトはびくっと振り返った。
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