2.戦えるかどうか
百年の眠り。
姉の生まれた十日後の祝いに、黒い森の寄越した妖精がもたらした、大逆。
去り際にそいつは、十八年後、姫が百年の眠りにつく、と予告したらしい。だがそれは大嘘だった。蓋を開けてみれば、国王含む大勢の人が眠ってしまった。
アルトをひとり残して。
どうして、と問わない日は無かった。
百年。そんなに待てない。何故アルトだけが、この時代に取り残されてしまったのだろう。みんなの目が覚める前に、アルトは歳を取って死んでしまうのに。
アルトは毛布を被り直した。
寝室は暗くて、誰もいなかった。全てが眠る寒き夜。見慣れぬ天井が、雲の合間の月光で、闇に紛れては浮かび上がる。聞こえるのは、遠い葉擦れの音ばかり。
こんな夜は、クルクルと考えごとが終わらない。ここ一週間近く、アルトの頭は許容を超えて回転していた。
例えば、家族への追慕。例えば、覆い被さる重責。そして、黒い森への憎悪。
黒い森──血も涙もない国賊。一介の辺境の諸侯のくせに、城に、王族に、家臣たちに、害をなした。
奴らのせいで、アルトは家族と引き離された。奴らのせいで、アルトは多くの味方を失った。
それも、目の前で。
思考の一角で、小さな黒マントの影が踊る。
……この世に。
家族と平穏に暮らす以上に、大切なものなど、あるだろうか。
たった一つのその幸せを、アルトは取り戻したかった。
いや、戦って勝ち取りたかった。
必ずや黒い森を鎮圧し、栄光の日々を蘇らせねばならない。家族として。
王様として。
今までのアルトなら、その考えに行き着きながらも、二の足を踏んできた。何だか覚悟が足りなかったのだ。それに、他の反戦派の貴族なんかに、怒られやしないかと危惧していた。
だが、今夜のアルトは、違った。
──諸侯と王との戦いにございます。
そうなのだ。元々、諸侯と王は戦うものなのだ。父もそれを知っていた。だったら、何を躊躇する必要がある?
アルトは今日、王様になったのだ。
何だか心地よい疲れが襲ってきていた。そういえば、落ち着いて眠れるのは久し振りな気がする。
アルトは深く息をつき、寝返りを打った。ふかふかの掛け布団の重みを感じながら、だんだん、眠りに、落ちる。
あの日より少し太った月が、澄んだ星空に煌々と輝く。
先王やロイヤーが、どんな意図を持って“戦い”という言葉を用いたのかは、この際関係無かった。アルトはただ心の奥底で、きっかけを探していたのだから。
翌朝アルトは、ちょっと運動をして、ご飯を食べ、伝書鳥にも餌をやった。それから、シュロットとロイヤーとフリックを執務室に呼んだ。
こうやって家臣を呼びつけるのは初めてだ。アルトは何となくきまりが悪くて、火を入れたばかりの暖炉の音を聞きながら、一人で脚をばたばたさせていた。
だが全員が出揃うと、アルトは重大発表の場に相応しくなるよう、姿勢を正した。
そして、真剣な様子で、黒い森と戦う、と告げた。
それで、家族と家を取り戻すのだと。
彼らは顔を見合わせた。
「だめ?」
アルトは訊いた。
「いえ、是非そうすべきですね。王が賛成して下されば心強いばかり。すぐに準備しましょう」とフリック。
「ええ、しかし今すぐには難しいでしょう。戦を始める理由は充分にありますが」とシュロット。
「今の国力では不可能です。折を見て交渉を持ちかけるべきというのが、私の考えです」とロイヤー。
三者三様の言葉を返され、アルトは瞬きをした。そういえば、これまでの会議でも、この三人はさほど発言していなかった。アルトは本当のところ、彼らの意見を知らなかったのだ。
「……ロイヤーは、戦いたくないの?」
「話し合いの段階で、黒い森を追い詰める事も可能なので」
これはアルトにはちょっと意外だった。僕はロイヤーの言葉に背中を押されて、決断に踏み切ったのではなかったか。昨日の今日で、彼女に何があったというのだ。
フリックも、ロイヤーの言葉に不満げだった。
「しかしロイヤー殿。それでは前王と同じだぞ」
言い切った。
「そして前王は失敗した。その結果がこれだ」
重ねて言い切った。
ロイヤーはすぐには言い返さなかった。シュロットは、思案しいしい発言した。
「確かに、このまま反乱を鎮めずに
三人は考え込んだ。アルトは丸い瞳でじっと彼らを見つめていた。
と、そこへ召使いが一人やってきて、来客を告げた。
諸侯たちがやってきたのだ。
アルトは手足と背筋をピッと伸ばした。
“戦い”の火蓋は、今まさに切られようとしている。
一先ず、黒い森との戦の話は、棚上げだ。
アルトの目前の課題は、諸侯との対面である。
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