宮廷の章

1.駆け出しさんの困りごと


 簡素な仮の戴冠式を済ませ、部屋はどことなく沈痛な雰囲気に包まれていた。


「すみません。……力及ばず」

 家臣が苦しげに零した。いつもきびきび動く黒髪の頭が、今はしゅんとしている。

 アルトはぎこちなく玉座に乗っかったまま、膝に目線を落とした。

「どうして謝るの。折角僕が王様になったのに、シュロットは嬉しくないの」

「そんなことは」

「別に、誰も悪くないよ。悪いのは黒い森の奴らなんだから」


 アルトは言うと、ちょこっとだけ笑って、狭い部屋を見回した──少し首を回すだけで済んで良かった。頭に乗せた王冠が大きく重すぎて、髪の表面でさらりと滑り、今にも落ちてしまいそうだった。


 部屋にいるのは数人の兵士と、数人の家臣と。それだけ。


 古びた窓からは夕陽が差し込んで、埃っぽい赤絨毯を四角く灼いている。


 そんな暗い顔してないで、これから頑張ろう、……と、アルトは言おうとしたけれど、それはできなかった。アルトにもそんな余裕は無かったのだ。


 自分を守ってくれる大人がこんなにも少ない。しかもその全員が無言の内に、お先真っ暗である事を物語っている。


「……」


 ああ、以前ならこんなことにはならなかった。


 アルトのまあるい碧い目が、少しでも不安に揺れたなら、必ず大人たちは慰めてくれたのに。


 しばらく、誰もが無言だった。その沈黙を破ったのは、重い扉を叩く、くぐもった無遠慮な音だった。


 ドンドン。


 許可を待たずして扉は開き、ヒョイと乳母のふくよかな顔が覗いた。


「終わったの?」


 大きな声で聞いてきた。見張りの兵士は止めるべきかどうか迷っているらしく、アワアワと困惑している。乳母は御構い無しに続けた。


「まあまあまあ、あんた達、恐い顔しちゃって。アルト様が恐がっているじゃありませんか」


 みんなギクリとして、アルトを窺った。アルトは玉座の上でもじもじした。


「全く。アルト様はねぇ、王様ったってまだ九つですよ。あんたらがしっかりしなくてどうするんです。ほらアルト様、いらっしゃいな。今夜はうんとお祝いしなくちゃ」


 アルトはこくっと頷いて冠を脇に置き、玉座から降りると、小走りで乳母の元へ向かった。乳母が生き残ってくれていて助かった、と思いながら。


 困りごとなんていうものは、だいたいがこんな風である。きっかけとなる出来事さえあれば、上手い具合に解決できるものなのだ。

 だから、大丈夫。これから先も、きっと。



 アルトはすっかり安心して、乳母の後を追った。

 家臣たちは嫌いじゃないけれど、あの重い空気漂う部屋からは、早く出たかったのだ。


 でも、と彼は考える。みんなは疲れているんだし、あんな雰囲気になるのも当然だ。むしろ、こういう時にみんなを元気づけるのは、自分の役目だった筈だ。


 引っ越してきたばかりの館を、乳母は迷わずに歩いて行く。その背中を見ながら、次は頑張ろうと誓うアルトだった。



 九歳の男の子にしては、アルトはなかなかしっかりした方だった。気遣いもいっぱしにできる。体力もある。


 しかし反面、どうにも頼りなさげである。

 身長は伸び悩んでいるし、細身なのでいかにも弱々しい。色も白い。髪すらも細く薄金色で、軟弱さの象徴のようだ。

 総じて、九歳にしては幼い印象であった。


 そのためだろうか、さっきのように乳母に余計な心配をかけてしまう。だが、アルト自身にもまだ幼い面は結構残っていて、これといった疑問も持たず乳母に従ったりもする。


 もしかしたら、こういう純粋なところが、アルトを頼りなく見せている主因かも知れなかった。



 夕飯のあとは今までのように遊んでばかりはいられなかった。

 王の空位期間中に、溜まった仕事が山積みだ。


 ランプで明かりを沢山灯し、暖炉に薪をたっぷりくべた、暖かいアルトの執務室。

 家臣がひたすらに必要書類を揃え、アルトは王専用の判子をぽんぽんと押してゆく。


 その合間にシュロットが、夕方に届いたという手紙を持って、やって来た。


「諸侯が四名、明日の朝お会いしたいと申しております。そちらも書類が溜まっているそうで」

 何故か少し気が立っているようだ。

「どこの諸侯?」

「緑の公、紫の侯、黄の伯、桃の伯です。呪いにかかっていない貴族がいちどきに……」


 合点がいった。彼がいらいらしているのは、その手紙が不遜だったからに違いない。


 事件後の領主たちの状況は大きく二分される。当主が呪われたか、呪われなかったか。前者は次々と世代交代したが、後者はその中で一際大きな顔をしていた。

 そして彼らからすれば、幼くして王位を継いだアルトも、多かれ少なかれヒヨッコ扱いする対象だった。これにはアルトも頭を痛めていたし、騎士のフリックに言わせれば、「あいつら、俺たちの王を舐めくさりおって」だった。


 そのうち四人が、ここに来る。


「四人とも、僕が王位継承するの待ち構えてたのかな」

「そう思います。王でなくては扱えない書類もありますし」

 シュロットは真面目に答えた。


 確かに、とアルトは押印を続けながら考えた。その通りだろう。僕が言いたかったのはそういうことじゃないんだけど。


「分かったよ。明日の朝だね」

「ええ」


 彼はきっちりとした一礼ののち、退室した。

 アルトは、遠ざかっていく真っ直ぐな背中を、何とは無しに見送った。そして、ふうと一息つき、判子を机に転がした。


「諸侯かあ」

 小さな脚をぶらぶらさせる。


「アルト様」

 隣で書類を整理していた家臣のロイヤーが口を開いた。

「うん?」

「緊張なさるのは分かりますが、所詮相手は王よりは位が下なのです。堂々となさっていれば問題はありません」

「僕が、あの太った人達に? できるかなあ」


 ロイヤーは思わずといった様子で、くすっと笑った。笑顔が赤毛の短髪によく似合った。

「できますとも。アルト様はいつも稽古の時、誰よりもしっかりなさっているではありませんか」

 アルトは首を竦めた。女の人に剣の練習を見られていたとは気恥ずかしい。

「あ、あれは戦いのためだから…」

おんなじですよ。これは諸侯と王の戦いにございます」

「えーっ。ただ書類持ってくるだけなのに?」

「お父上はいつも、諸侯とお会いになる時『戦いだ』と仰っていましたよ」


 アルトはびっくりしてロイヤーを見た。しかし彼女はもう口を閉じて、父がばらばらにした法文書の並べ替えに、集中していた。



 だいたいの困りごとは、きっかけさえあれば解決に向かう。


 この時のロイヤーの言葉は、アルトの心にそっと引っかかった。

 そしてそれは、彼の悩みに対して、劇的な効果をあげた。

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