史上最低の誘拐犯

ハヤシ・ツカサ

第1話 自動車強奪、誘拐、そして

 別居中のカミさんから、判の押された記入済みの離婚届が届いた。

 実は、業績不振を理由に、勤務する出向先が整理対象になっていた。解雇通達を渡されたばかりなのだ。

 おまけに、先々月の健康診断の結果では糖尿病の疑いがある、との読みたくもない文字が診断書を埋め尽くしている。

 極めつけは、密かに期待していた父親の遺産問題。なんと、強欲を絵に描いたような実の兄と姉に、父の遺言なんぞ勝手に無視し、根こそぎ持っていかれていたことが判明した。


 これで、失うものは何もない。

 生きていても、しょうがない。


 死のう。死んでしまえば、住宅ローンを含めた借金はチャラになるし、糖尿病も、再就職も、遺産問題も強制的にリセットされる。齢、40。この年齢で雇ってくれるところなど、こんな片田舎にある筈もない。

 そもそも、俺はガキの頃から冷めた人間だった。何に対しても興味が薄く、今までの人生の殆どは、親の敷いたレールに乗っかってきた。

 こんな俺にも、幾度か反抗期が来たのだろうが、不思議とうまいこと周りがレールから脱線しないように見張っていたような気がする。成績も可もなく不可もなく。国語は良いが算数はからっきし駄目だったり。ジャイアンツ・ファンだった担任のジジイから「ミスター・中途半端」なんて、ちっとも嬉しくないあだ名を付けられたっけ。

 だが、言い得て妙だ。今の俺は、まさしくこのあだ名そのものかも知れない。


 さて、死ぬと決めたらどんな死に方が良いか?むかし、「完全自殺ナントカ」っていう自殺指南本が話題になったよなあ。自殺のマニュアルなのに「死なん」本、ってなんだよ!って、当時小学生だった俺は、つくづく自分の学の無さを恥じたもんだった。まあ、あれは青木ケ原の樹海で死体が持ってた、とか問題になって、マスコミが騒いだよなあ。

 どうせなら、死ぬ直前に最後の思い出をこの世に残しといても悪くないかな。劣等生歴40年の俺だが、一応、がむしゃらに生きてきた証を残したい。

 例えて言うなら、ひときわど派手な「体内打ち上げ花火」をドカーンと打ち上げ希望、ってところだ。


 さてと…。最後にどデカいことでも実行して、あの世に行くか。

 どデカいこと…。

 そうだ。その辺のクソガキでも誘拐するか。

 待てよ…。俺、ガキは昔っから大嫌いだったんだ。離婚の原因にもなったし、小便臭いガキが俺のそばに何時間もいると思うと寒気がする。当然、甥っ子姪っ子に年玉なんぞあげたこともない。もっとも、向こうもそれを察してか、誰ひとり寄り付きもしなかったが。

 でも、仮に、世の中には生まれながらにして裕福で、我儘で、周囲の大人を困らせてばかりの世間知らずのガキを誘拐した、としよう。

 世間知らずの誘拐されたそのガキは、誘拐されることで目を覚ます、というか、もしそいつが両親への甘えもなくなって、改心し、世間って怖いんだ、ナメてちゃ駄目だんだ、と思い直す可能性はあるだろう。

 そして、世の中の底辺にいる俺のようなヤツの気持ちもわかってくれるだろう。


 なに?身勝手なことばかり言ってんな、って?

 うるせえ!俺はどうせ、死ぬんだよ!

 死ぬ前に、世間を騒がせて、そのうち警察がやってきて再三の説得にも応じず、ガキの両親も慌てて駆けつける。


「き、君!馬鹿なことするな。頼むから、か、か、考え直してくれ!」

「ナントカちゃ~ん!大丈夫なの~!!あ、あなた、わ、私、どうしたらいいの…」


 とかなんとかガキの両親が泣き崩れるんだよ。最近見なくなった安物のサスペンス・ドラマみたいに。

 そしたら、いつの間にか日本版SWATみたいな連中が、横に20人くらい並んでて、なおも抵抗を続ける、ガキを小脇に抱えた俺に威嚇発泡するんだよな。

 すると、それに驚いた俺と、もっと驚いたガキがいつの間にか俺から振り切って、両親の元に走って行く。

 そして、ひとりになった俺は、一斉に銃を浴びて、壮絶な最後を迎える…って寸法だ。


 よし、俺が劇的に死ぬ準備は整った。あとは、ガキの物色だ。


 俺は、隣市の、県内一円にアミューズメント・パークを展開する驚田グループの財閥のひとり息子に目を付けた。

 コイツらは、順調な経営をアピールするためか、しばしば一族でマスコミにも登場し、派手なテレビCMで有名な大企業だ。さらにそこのひとり息子、絶対に超のつくボンボンに違いない。しかも、どこかの国の変わった髪型の、政治家の息子みたいな小太りなアイツにそっくりだ。

 カネなんか要らない。何の苦労も知らず、のうのうと暮らすコイツに俺の不幸話をたっぷりと、耳をつんざかんばかりの大声で聞かせてやる。気の済んだ俺は、ガキを道連れにクルマごとどこかの崖からダイブ。ガキが泣きわめこうが、知ったことか。俺の言いたいことを聞いてさえくれれば、あとは用済みだ。

 俺は、コイツを誘拐することに決めた。


 マイカーを使うのも馬鹿馬鹿しい、と考えた俺は、ひとまず目に付いたスーパーマーケット奥の駐車場に、キーのぶら下がったままのミニバンを奪うことに成功した。よっぽど慌てて店内に入ったのか、キーロックも忘れる、全くもって馬鹿な客で、走り出すと間もなく、燃料針も限りなくFを差して来やがった。これなら軽く、200キロは逃亡できそうじゃねえか。


 なんという偶然だ。隣市に入ったと同時に、お目当てのあのガキが、歩道をのろのろ一人で歩いてやがるじゃねえか!特徴的な髪型、良いモンばかり食ってっからか、小学校高学年にしては腹が出ていて、ますますあの国の政治家の息子にクリソツじゃねえか!

 そうか。今日は昨日の運動会の振り替え休日だ。最近の学校は土曜も休みになって、学生は勉強するのが仕事だろうが!年中休みだらけで。だから、甘やかされたガキが増えるんだよ!


「お、おじさん!なんだよ、なにすんだよ!…」

 赤信号で停止したのを利用し、俺は咄嗟に背後からガキを羽交い締めにした。あらかじめ開けておいた後部パワースライドドアに、暴れるガキを放り込んだ。頭から車内に転げ落ち、うずくまっている瞬間に、奇跡的にスライドドアが速やかに閉まった。誘拐は、成功した。

「うるせえ!黙ってろ。てめえは、黙ってそこに座ってればいいんだ!」

 必死にミニバンのアクセルを踏む。田舎だけあって、これまで誰にも見られていない。

「よう!俺の自己紹介をしてやる。俺は、貴様よりはるかに底辺の、どうしようもない負け組野郎だ。お前、驚田グループの御曹司なんだってな?小学生の癖にブクブク肥りやがってよ。生まれてずっと勝ち組のお前には、俺の気持ちなんかどうせわからんだろう。俺は今日、死ぬことを決めたんだ。今から、お前に、今までの俺がいかに不幸だったかを話してやる。お前が知らない世の中には、こんな人間もいたってことを、よ!」

 すると、誘拐された筈の男子小学生は、恐ろしく落ち着いてこう、突き放した。

「おじさん。死ぬのは勝手だろうけど、な~んでまた僕なんかを誘拐しちまったかなぁ…」

「なんだと!」

「僕のパパ、超お金持ちだ、って知ってるよね?」

「そんななぁ、百も承知だ!それがどうした!」

「あのさぁ、僕の行動、パパに筒抜けなんだよね。今どこで何をしてるか、なんて、とっくに分かっちゃってるんだよね。今からどこに行くとか全て分かるから、まぁ、無駄だと思うよぉ」

 このクソボンボン、生意気だろうとは思っていたが、コイツは筋金入りだ。しかも、全く怖がっている様子はない。

「う、うるせぇ!おい、お前。どうせキッズ・ケータイかなんか持ってんだろ。誘拐された、って親父に電話しろ。カネは要らん。僕は道連れにされてもうすぐ死ぬんだ、って、告げろ」

 ここまで脅してもなお、このボンボン、顔色ひとつ変えず、おもむろに鼻くそをほじり始めた。

「な~んかさ、最近見ない安物のサスペンス・ドラマみたいな展開になってない?でもさ、その必要は無いんじゃないかなあ。後ろ、見てみる?」

 ルームミラーには、いつの間にか猛スピードで追いかけてくる、黒塗りのスポーツセダンが映っている。


「キキーッ!!」


 俺のミニバンの前に猛スピードで割り込むスポーツセダン。

 セダンから降りてきた、ピシッと決まったスーツに身を包んだ執事風の男二人組が、ジュラルミン・ケースを手に持ち、こちらに向かって来る。

「誘拐なんて、くだらないことはおよしなさい。あなた、どうせ、おカネにお困りなんでしょ?これを受け取ったら、速やかに、お坊っちゃまをこちらに」

 呆気に取られる俺。

 その隙に、小太りのボンボンはミニバンのスライドドアから降り、まるで何回も誘拐未遂に遭って慣れっこになっているかの如く、半笑いでスポーツセダンの後部座席に乗り込んで、あっという間に走り去ってしまった。

 俺は、死ぬ気が失せた。

 俺の最後の「体内の打ち上げ花火」は、まるであいつの小便で火種を消されてしまったかのようだった。

 ミニバンに戻り、俺は黙って助手席に置いたジュラルミン・ケースを見つめていた。

 身代金を要求したわけでもないのに、勝手に向こうから多額のカネを置いていく、とは…。

 だったら好都合だ!よし、この中の万札をこの辺でいちばん高い県庁ビルの屋上から、一枚残らず撒いてやろう。

 そして、崖じゃなくって、みんなが見ている屋上からダイブしてやろう。

 ひとりで崖からダイブしたって、よく考えたら誰も見てないし、発見が遅れるのも格好悪い。


 県庁に付いた。ジュラルミン・ケースの重みを忘れるほど、俺は必死の形相でエレベーターに乗り、最上階のボタンを押した。相変わらずだが田舎の県庁ってのは、特に待たされもせず、昼間なのにすぐにひとりで乗れるところが、いろんな意味で怖い。

「うぉぉりやぁぁっ!」

 俺は、ジュラルミン・ケースを引きちぎるような勢いで開け、中の万札をばら撒いた。無数の万札が宙に舞う。ここまでは、恐ろしく計画通りにうまくいっている。

 さあ、集まれ!カネだ。カネだぞ!拾え、拾うんだ。この田舎者ども!

 駐車車両の屋根、樹木の隙間、ロビー前の玄関…。突如、降ってきた万札は、静かに重力に逆らうこともなく、ゆっくりと落ちていく。


「なんだべ、これ?せっかく掃除したばっかりなのによ!…あン?誰だよ!新聞の紙っきれなんか撒いたのはよ!」

 用務員のおじさんが、ブツブツ言いながら、万札大に切られた新聞紙の紙切れを回収し始めた。

 俺は、空っぽになったジュラルミン・ケースを脇に投げ捨て、様子を見るために手すりに手をかけた。

 下を見ると、おじさんが俺を見上げ、大声で怒鳴っている。

「なにやってんだアンタ!いま、掃除終わったばっかりなんだよ!新聞紙なんか、撒き散らかすんじゃないよ!」


 

 

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