第四巻 伝わらぬ想いを

 それが、ふた月ほど経ったある日。急に、兼通からの音信が途絶えてしまった。京からの使いも文もなく、こちらから送った文にもまったく返事がない。それでも、瑠璃姫は毎日々幾通も文を出されたが、兼通から音沙汰がないので、心配で心配で……夜も眠れず。

 昼間は几帳の中でしくしくと泣いておられて、食も喉を通らず、見る見る間に、げっそりとやつれてしまわれた。

 何故なにゆえ、急に通われなくなったのか、兼通様のお気持ちが分からないと、姫君は嘆き悲しんだ。もし、病気ならば、知らせがくるはずなのに、無しの礫だった。こんな片田舎に通うより、京の都の女人の方が良いのでしょうか。父君のように……。

 そう云って、姫君は床に伏して泣かれた。そのお嘆きぶりは、側にいる湖都夜にも痛々しく伝わるほどだった。またとない良縁と思えるほどの仲睦ましさだったのに、殿御とのごの気持ちは分からぬと乳母は憤怒ふんどした。


 ついに、瑠璃姫は床に臥せってしまわれた。床の中では、薄目をあけて悄然しょうぜんとして、生きる気力もないようである。この度のことが姫君から精魂を抜いてしまったようだ。病気平癒びょうきへいゆの加持祈祷をしたが効果もなく、日に日に痩せて弱っていく。――ああ、このままでは姫君が死んでしまう。

「姫君、どうか、どうか、この乳母を置いて逝かないでくださいまし……」

 湖都夜は小枝のように細くなった姫の指先を掴んで、掻き口説いては訴えたが、魂が抜けたような姫君は何もしゃべらない。

「もう一度、この乳母にお声を聴かせてくださいまし、赤子から大事にお育てした姫様をどうか、どうか、冥界めいかいに連れていかないでくださいませ……御仏のご慈悲でどうか……」

 乳母は涙を流し嘆いた。その時、姫君の瞳からひとすじ涙が流れた。

「乳母や……」

「姫君」

「尼になりたい……父君に頼んでおくれ……」

「はい、姫君が尼になるなら、この湖都夜もお供いたします。近衛大将にお願いいたしますゆえ、どうか、お気を確かに……死なないでくださいまし」

「尼になって、念仏三昧がしたい。母君のように……男を待つだけの日々は耐えられぬ」

 そう云って、瞳を閉じられたが、そこから新たな涙がひとしずく零れた。


 乳母は、瑠璃姫の父君、近衛大将に嘆願の文を書いた。

 姫君が重病で、このままでは助からないかも知れないので、出家して尼になりたいと申されておられます。どうか、姫君の願いをお聞き届けください。――そういう内容で近衛大将に文を出したが、最初は尼になることには大反対だった。

 再び乳母が……今にも息絶えそうです。姫君に御仏の加護があるように尼になることをお許しください。乳母が何度もせがんだので根負けした近衛大将からついに許しがでた。

 尼になることを許されて、心の平安を取り戻せたせいか、僅かに生気がよみがえった。姫君の体調が戻り次第、屋敷に僧侶を招いて、得度式とくどしきを行う手筈である。仏門に帰依して尼になれば、生きていても死者と同じ。華々しいことには無縁で、御仏に縋って、ひたすら念仏三昧の隠遁いんとんの日々。浮世の苦しみもないが、また喜びすらない――。

 それでも死なれるくらいなら、尼になってでも生きていて欲しい。姫君が生きがいの湖都夜にとって、どんなことがあっても側から離れない覚悟である。……とはいえ、うら若き姫君が尼になってしまわれるとは不憫でならぬと、乳母は袖で涙を拭った。

 ――瑠璃姫をこんな目に合わせた、兼通殿を恨みまするぞっ。




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 ■隠遁いんとん⇒ 世俗を離れて生活すること 。世間を去って山中などに住み,仏教の修行に専心すること。


 ■仏門ぶつもん帰依きえ⇒ 帰依するとは、仏教の教えに従い生きること。


 ■得度式とくどしき⇒ 僧侶入門の儀式のことで、剃髪ていはつし戒を守ることを誓約し、戒名(僧名) を与えて頂きます。

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