第45話 最後の敵は

 クリオたちが帝都に到着してから1週間。ついに、新国家樹立を宣言する日がやってきました。

 もう少し時間が欲しかったのは事実です。大理宮地下の転移魔法陣はまだ発掘されていませんし、相変わらず脅迫者の正体は不明のままです。

 しかしそれでも、為替市場の停止に伴う諸々の悪影響を重く見て、クリオとレミ姉、そして新政府閣僚の皆さんとが協議して、今日の宣言に踏み切ったのです。


 意外なことに、その宣言を読み上げる新国家の元首は、ルキアではありませんでした。すでに退役し、政治からも軍事からも身を退いていた、リューベックと同世代の老軍人が、共和国初代大統領に就任したのです。

 そうして、整地され市民に解放された大理宮の庭園跡地で、灰色の曇り空の下、彼は新政府の樹立を宣言します。


「……私たちは、人類の歴史の中で、多くの不幸な戦いを経験してきました。こうした戦いは、なぜ生まれたのか。人種による違いは本質的なものではなく、人種間の諍いは近代に始まった特殊なもので、人類は長く同じ人種、しかも隣り合う国と国で戦い続けてきたことを、戦史が示しています」


 庭園跡地には、地を埋め尽くすような数の人々が、宣言を聞くために集まっています。その群衆に向かって、大統領は静かに、しかし力強く語り掛けます。


「戦いの原因はさまざまです。しかし私たちは今こそ、その原因の中でも最大のものを、人類の歴史から除く決意を示さねばなりません。人と人とが戦い続けてきた最大の原因、それは、生まれながらに人と人との間に設けられた身分の壁です」


 宣言が行われる中、新政府の官僚たちが、エルフの大同盟の大使が到着したことをルキアに告げます。ルキアは小さくうなずき、何事かを指示して、官僚を下がらせました。

 宣言が続きます。


「割拠した国々は、国政を専制する特別な身分である王族や貴族の利害によって対立し、ある時は合従し、ある時は連衡して、互いに争い、戦いは果てることがありませんでした。そうした戦いを勝ち抜き、我が国の前身である巨大な帝国が築かれました。しかしそれでも戦いは終わらず、帝王による統治はますます民衆を無視し、富の偏在と身分の壁はさらに強固なものとなっていきました」


 分厚い雲に覆われていた空から、ぽつり、ぽつりと、雨が降ってきます。

 強い風が吹いています。


「私たちは、次のことが自明の真理であると見なします。人は生まれながらに皆、平等であること。どんな種族、どんな門地の生まれであっても、人は生存し、自由に、己の幸福を追求するための同一の権利を保持すること。そしてこの権利は、他の何者によっても侵害されてはならないことを」


 雨の中、それでも人々は去らず、群衆はますます増えていきます。


「私たちはこの侵すべからざる権利を守るために、政府を樹立します。そしてこの政府のもとに集う人民は、次の権利を保持することを約束します。すなわち、この政府が人々の権利を守るという目的を破壊するものとなった時には、それを改め、または廃止し、人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方で、新しい政府を設ける権利を」


 そのとき、風が雲を裂き、雲間から一条の陽光が、大理宮跡の瓦礫を照らしました。

 大統領は、大きく息を吸って、宣言を結びます。


「以上の約束を違えないことを天に、そして友に、互いに誓い、ここに私たちは、新たな国家の樹立を宣言します」


 大群衆の割れんばかりの歓声と拍手が、大理宮跡を包みます。

 エルフの使節団が、慌ただしく庭園に入ってきます。


「すぐに調印式が行われます。こちらに」


 官僚たちに促され、エルフの大使とレミ姉が壇上に登りました。

 ほとんど同時に、もう一つの知らせが届きます。


「だ、大理宮跡地に通信が入っています! 例の脅迫者と思われます!」


 ルキアとクリオが目を見合わせて、互いに立ち上がります。

 僕もまた、二人に続いて仮設通信所に向かいました。


「お繋ぎしてよろしいですか?」


 大理宮跡地の通信所に入ると、緊張した面持ちで魔術師がルキアに尋ねました。


「ああ、繋いでくれ」


 やがて映像が浮かび上がり、顔を隠した人物がぼんやりと見えてきました。


「やあルキア。新国家樹立おめでとう。ところで、発表された新政府閣僚には、我々が推薦する人間の名前が無いようだが」


 歪んだ音声が問いかけます。

 ルキアは感情を抑え、穏やかに答えました。


「ああ。残念だが君たちの希望には答えられなかった」


「なるほど。それが新政府の回答というわけだ。為替市場の開放は間もなくだね」


「事前に発表があった通り、新通貨である“ダリク”は“変動相場制”の通貨だ。いくら売ってもらってもかまわないが、リスクがあることは承知しておいてもらおう」


 ルキアの警告に、映像の人物は笑います。


「わかっているとも。しかし、君たちこそ変動相場制の意味をわかっていないんじゃあないかね?」


 時計が、13時を指します。

 市場が開放される時間です。


「……取引が始まったようだ」


 手元の魔力板に、取引の状況が表示されます。


「っ……取引開始直後から、かなりのギニー売りが入っています!」


 共和国銀行(中央銀行)の職員が声を上げます。

 1ダリク100モルドで始まったレートは、すでに1ダリク95モルドまで落ちています。ギニーとレートが同期ペッグされているため、ギニー売りがそのままダリクのレートに反映されるのです。


「ルキアよ、よいことを教えてやろう」


 仮面の男が、笑みを含んだ声でそう言いました。


「なんだ? 早くも勝利宣言か?」


「現在、私たちの資金は、まだ1ギニーも投入されておらん」


 これは衝撃的な発言でした。

 彼らは大量の資金を背景に、相当額のギニーを借り入れているはずです。

 しかし、その資金がまだ投入されていないとしたら、一体誰がギニーを売っているのでしょうか。


「噂だよ。君たちが資金集めに奔走している間に、我々は世界各国の投資家たちに、ギニー売りの噂を流した。一部の投機家が、売り崩しを狙っているとね。国庫の金が残らず消えているという噂も流した」


 噂……しかし、そんな不確かな噂だけで、こうもお金が動くものでしょうか?


「そこにタイミングよく、君たちは“変動相場制”への移行を宣言してしまったわけだ。投資家たちは当然考える。国庫に大量の金を退蔵しているはずの共和国が、なぜ今、弱気にも“変動相場制”を採用するのか? もしかして、あの噂は本当なんじゃないか、とね」


 仮面の男が話す間も、着々とダリクの値段は下がり続けています。


「いいかね、共和国の諸君」


 1ダリクが90モルド台まで落ちたのを確認して、男は不敵に笑い、そうして恐るべき言葉を口にしたのです。 


「君たちの最後の敵は、私たち一部の残存保守勢力などではない。全世界の投資家たち、全世界の金の亡者どもが、君たちの前に立ちはだかっているのだよ」

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