第44話 夜景

 シメオンと僕は、大理宮地下の転移魔法陣が発掘されるまでの間、帝都の商工連盟の幹部に脅迫の関係者がいると見て、調査に当たりました。


 しかし、脅迫以外に何か違法行為を継続しているわけでもなく、大量の資金を保持していることしか情報のないところから脅迫者を特定するのは困難を極め、僕たちはなんら成果を上げることができずにいます。


「あっ、クリオ」


 夜、ホテルのロビーを歩いていると、新政府の仮設庁舎から戻ったクリオと行き合いました。


「エル、お疲れ様です。今お帰りですか?」


「ええ。今日も空振りです。申し訳ありません」


 謝る僕に、クリオは微笑んで答えます。


「エル、無理はしないで。あなたはもう十分に戦ったんですから」


「でも新政府は……そういえばクリオ、恥ずかしい話なんですが、僕は今回の脅迫について、実はちゃんと理解できていないんです。聞いてもいいですか?」


「ええ、なんでも。ついでに、ちょっと涼みに行きませんか? このホテルの屋上からは、帝都の夜景が一望できるそうです」


 僕はうなずいて、クリオと並んで歩きながら、質問します。


「脅迫者は新政府の通貨を“売り崩す”と言っているようですが、もし新政府が脅迫に応じなかった場合、脅迫者たちはどうやって利益を得ようとしているんでしょう?」


「そうですね、仕組みを説明しましょう」


 クリオはそう言って、語り始めました。


「まず、脅迫者たちはギニーを大量に借り入れます。そうですね、仮に1億ギニー借りたとしましょう。旧レートが1ギニー100モルド程度だとすれば、借りたギニーを1ギニー90モルド付近で売ります。」


「100モルドで取引されているところを、90モルドで売る? それでは損になってしまうのではないですか?」


「ええ、普通だとそうなります。しかし、この売りがあまりに大量だと、ギニーの市場価格自体が下がります。そうすると、ギニーを持っている人たちは、自分の持っている通貨の価値が下がってしまう前に、なんとか売り抜けようとするわけです」


「つられてほかの人たちもギニーを売り始めるわけですね」


「はい。そうすると、値段はどこまで下がるかわからなくなります。90モルド以上で売れればいいけれど、買い手がつかないうちにもっと下がるかもしれない。そうした心理がより安い価格での取引を呼び、誰かが買い戻さない限りは、85モルド、80モルドとどんどん値段が下がっていきます」


「なるほど、そうやって値崩れが起こるんだ」


「はい。売りを仕掛けた人々は、値段が例えば70モルドまで落ちたところで買いに転じれば、借りた分の1億ギニーを1ギニー70モルドで調達できます。すると手元には、1億ギニーを90モルドで売った90億モルドから、返済分の1億ギニーを買った70億モルドを引いた差額、20億モルドが残るわけです。これが“通貨を売り崩す”ことによる利益の出し方です」


 聞いてみれば、ごく単純な仕組みです


「しかし、それで新政府は何か困るんでしょうか? 通貨の値段が下がると、具体的にはどんな問題が?」


「そうですね、まず、他国からお金を借りていた場合、返済が困難になります。例えば100億モルド借りていた場合、もともと1億ギニーで返済できたものが、1億4千万ギニー必要になります。新政府軍は今回の戦費のほとんどを、諸同盟国の出資者から借りていますから、これが返済できなくなることは、直接的に政府の存続にかかわる問題です」


「それに加えて」と言って、クリオが続けます。


「通貨の下落が続くと見られる場合、国際的に資本展開している企業は、その国から資本を引き揚げるでしょう。そのまま置いておくと価値がさがってしまいますから。これがさらに国の経済にダメージを与えます」


 ここまで話したところで、僕たちは屋上に着きました。

 ドアを開けると、夜の風が心地好く吹き込んできます。


「……そうか、クリオは、それを元いた世界で経験したんですね」


「ええ。あの時、地下納骨堂で皆さんが見た通りです。ベベに聞いて、少しショックでした」


「ごめんなさい。僕たちは勝手に……」


「いえ、誰かを責めているわけじゃないんです。それに、今は自分が何のためにここにいるのか、その答えも、見えてきました」


 地上を見下ろすと、再び輝きを取り戻しつつある街の光が、幻想的な夜景を描いています。ベセスダよりも、はるかに巨大な都市の夜。その息吹が、確かに感じられるのでした。

 クリオは帝都の夜景に手を広げて言います。


「見てください、エル。この世界には、こんなにもたくさんの人が生きています。ここから見える輝きのひとつひとつに、暮らしがあり、幸せがあるんです。一握りの人たちの思惑で、それを壊させるわけにはいきません」


 この時、ようやく僕は、クリオと同じ世界に立ち、同じものを見つめていると感じることができたのです。それはとても不思議な、同時にとても温かな、強い連帯の感覚で、僕の心を包んでいた不安を、静かに洗い流していくのでした。

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