第30話 空と罠
しばらくして、兵士からの報告が届きます。
「別動隊、間もなく敵近距離索敵網に接触の予定時刻です……!」
船上、暗闇の海を見つめる僕たちに、緊張が走りました。
けたたましく鳴り響く、敵艦の警報。
そして、四方の艦隊から一斉に照射される、魔術による探照灯の光。
暗闇の中にも、シメオンたちの乗る別動隊の船が、はっきりと浮かび上がります。
「敵艦隊の砲撃を受ける前に、敵艦の一隻に取り付いてしまえれば、作戦はほぼ成功です。……ゴリテア候によれば、“鉄の心のルキア”という将は、味方の艦ごと敵を沈めるようなことは絶対にしない将だそうですから」
僕は、自分自身の不安を打ち消すように、エテルナ様にそう伝えます。
エテルナ様は目を閉じ、何かを考えているようでした。
「別動隊、敵艦に接舷! 移乗攻撃を開始します!」
望遠魔術の映像が映し出されると、艦内から歓声が上がりました。
シメオンの怖ろしいまでに的確な射撃による援護で、乗員たちは次々と敵艦に乗り移っていきます。
「敵防御魔法陣への介入工作成功!」
報告とほぼ同時に、望遠映像に映し出された魔法陣が、一瞬青く光ります。事前に仕込んでおいた、書き換え成功の信号です。
「エテルナ様、別動隊の作戦は成功です。今なら敵索敵網を突破できます!」
僕がそう告げると、エテルナ様は爛と目を見開き、言いました。
「よし。全速前進、目標は敵旗艦だ。この一戦で我が国の命運を開く!」
敵艦の間を縫うように、闇に隠れながら、船が走ります。
敵艦隊の注意はシメオンたちの船に集中しており、僕たちの船と、敵の旗艦との間に、何の障害もありません。
「敵旗艦、目前!」
兵の声に応じて、エテルナ様が立ち上がります。
「初めてだな……魔王としての力を、戦場で振るうのは」
すさまじい魔力が、エテルナ様の内側から湧き出してくるのがわかります。
まるで炉心のような熱量。
その熱が、エテルナ様の背から、幾条もの黒く輝く魔力の束となって這い出していきます。魔王の覚醒、その恐るべき荘厳さ。兵たちの畏怖と戦慄が、僕の肌にまで伝わってくるようでした。
「私が空から偵察する。可能な限り、敵旗艦に接近せよ」
闇に包まれてなお、より黒く輝く、漆黒の魔力。その魔力の束が、無数の大蛇のようにうねっています。
目の前には、巨大な敵の旗艦の影。
出撃のとき。
そのとき僕の頭に、言い知れぬ不吉な予感が走りました。
「エテルナ様! 僕も……僕も連れて行ってください! あの船は何か、何か危険なように思えるんです!」
エテルナ様は、僕を振り返ると、僕をぐいっと抱き寄せ、笑いました。
「行こうか、エル。夜の空を飛ぼう」
エテルナ様の魔力の束が、空に向かって一斉に立ち上がります。
先ほどまで蛇のように見えていたそれが、今はとんでもなく大きな、蝙蝠の翼のように広がっているのです。
僕を抱えたまま、エテルナ様の体がふわりと浮き上がります。
次の瞬間、重力を振り払う感覚とともに、僕たちは空にいました。
「風が心地好いな。いい夜だ」
ここが戦場ということを忘れてしまうかのような、エテルナ様の穏やかな声。
月の無い暗い夜の空を、エテルナ様はしばし、舞うように飛び回りました。
それは、久しく秘め置かれていた自らの強大な魔力を体に馴染ませているようでもあり、また、それを愉しんでいるようでもありました。
「見ろ、エル。妙だな」
エテルナ様の視線の先、僕たちの眼下には、敵の船が見えています
船の上には、わずかな兵たちが待機していますが、皆持ち場を動かず、誰もこちらに気づいているようには見えません。
「……確かに、妙です。誰も動いていない。隠遁術のおかげで僕たちが気づかれていないのはともかく、シメオンの奇襲に対してすら誰も注意を払っていないように見えます」
僕がそう答えると、エテルナ様はふっと笑います。
「試してみるか」
言うなりエテルナ様の背後から、痛烈な雷撃が三発、船に向かって放たれます。
小規模な城塞であれば容易に粉砕するとまで言われる魔王の一撃。
しかしその攻撃は、敵の船に着弾する手前で、激しく火花を散らしながらも完全に消え去ってしまいました。
「無傷……! とんでもない規模の防御魔法陣が敷かれています!」
「ああ、それより、見ろ。敵の兵士たちを」
エテルナ様に言われて目を凝らすと、確かに異様な光景が広がっていました。
あれほどの強烈な攻撃を受けたにも関わらず、敵の兵士たちは誰一人、こちらを見てすらいないのです。
「これは……おそらく魔術迷彩ですね」
あの攻撃を受けてもまだこちらに気づかないなどということは、さすがにあり得ません。
おそらく、船の上に見えている兵士たちの姿は、魔術で映し出された映像。どの方向から見ても立体で矛盾なく視認できるよう、巧妙に偽装された、高度な魔術迷彩と思われます。
「いったい何のために迷彩している?」
「わかりません。船の上にある何かを隠すためとしか……」
船の上に何が隠されているのか、まったくわかりませんが、罠である可能性も排除できません。
退くべきなのでしょうか? ここまで来て……
「退くという選択肢はない。行くぞ、エル。敵の魔力障壁を打ち破る」
「……はい!」
エテルナ様の声に迷いはありませんでした。
いかなる罠があるにせよ、ここで退いては敗北同然。ならば、前に進んで突き破るのみ。
エテルナ様は一度高度を落とすと、自らの船に近づき、兵たちに告げます。
「これより敵旗艦への接舷を開始する! 総員、私に続け!」
エテルナ様の翼が、再び無数の蛇のように伸び、接舷用のワイヤーフックを掴みました。
そして、膨大な魔力が集まり、エテルナ様と僕の身を包みます。
「エル、後悔はないか?」
「はい。エテルナ様は、必ず僕が守ります」
エテルナ様に抱えられたままの僕の言葉は、あるいは滑稽だったかもしれません。
エテルナ様は笑う代わりに僕の体を強く抱き、高く吼えました。
「行くぞ、接舷作戦開始!」
体が、雷のように奔ります。
急上昇、そして、一瞬の停止。
眼下には、敵船。
そこに向かって、真一文字の降下。
そして、魔力の壁を突き破る、衝撃。
ふわりと敵の船に降り立った瞬間――
「――エテルナ様! まずい、罠です!」
すさまじい数の複合型妨害魔術が、同時に連鎖発動するのがわかりました。
強制魔術封印。
魔力放出阻害。
爆発型魔術起動阻害。
炎熱型魔術起動阻害。
劇毒生成魔術阻害……その他十数種。
ほとんどあらゆる魔術の使用を不可能にするような、異常ともいえる妨害魔法陣の多重構築です。
さらに、魔術迷彩が消え去った船上、僕たちの目の前には、数百とも見えるおびただしい数の重装兵たち。
その中から、将校と思しき一人の人間が進み出てきました。
白銀の鎧に身を包んだ、王者の風格を感じさせる人間。
近づくにつれ、その人が、明らかに女性であることがわかりました。
恐らくは、彼女こそこの船の主、帝国海軍将校“鉄の心のルキア”。
彼女は、僕たちの目の前に立ち、魔物の国の言葉ではっきりと言いました。
「ようこそ我が
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