第27話 最悪の敵

 早暁、まだ暗い街の中を、僕はギルモア邸に向かって馬を走らせました。

 ふと街に目をやると、暁闇の中に明かりのいている建物が見えます。ギルモア銀行の本店です。


 僕は予感を得て、ギルモア銀行へと馬首を返します。

 夜明け前の街には人が絶え、僕がそこへたどり着くのに、時間はかかりませんでした。


 不思議と開け放たれたままの門をくぐると、声が聞こえます。


「あら……お早い到着ですわね。使者様」


 そう言って僕を出迎えたのは、レミ姉その人でした。

 彼女は一束の書類を抱え、今まさに馬車に乗り込もうとしているところだったのです。


「レミ姉、これからどうするつもりですか?」


 僕がそう問いかけると、彼女は少し自嘲気味に笑って言います。


「決まっているでしょう。魔王城に出頭します。憲兵隊に無理やり連行されるよりは、自らおもむくのが貴族の流儀というものですわ」


 その言葉と態度から、彼女がすでにギルモア伯の反乱を知っていることがわかりました。

 僕は重ねて問います。


「逃げないの? お父様のところに行く道もある。その書類は、ギルモア伯がリューベックと裏取引をしていたことを示す、帳簿上の証拠なんだろ。それを持って、あなたが彼のもとに行けば、まだ彼が生き残る可能性もある」


 彼女は大きな瞳で僕をまっすぐに見据えながら、こう答えました。


「侮らないで。ギルモアの女は、男よりも信義を重んじ、決して友を裏切らない。わたくしが逃げれば、この国はどうなります? エテルナは、あなたは、クリオは、この国の人々は? 国と友とを裏切って、流された血で以て自らの命をながらえるなど、わたくしの誇りが許しません」


 そう語る彼女の、おかがたい高潔な美は、彼女が真の貴族であることを思い起こさせます。

 この時のレミリア様は、かつて見たどんな時よりも美しく、輝いて見えました。


「でも、エル。あなたが来てくれてよかった。馬はそこに繋いで、馬車にお乗りなさい。少し話しましょう」


 僕が馬を置いて馬車に乗ると、レミリア様も乗り込み、馬車はすぐに出発しました。


「……エル、わたくしの覚悟は先に述べた通り、固まっております。国家の定めた法に従い、命を捧げましょう。でも、気がかりなのは、残るギルモア家の者たちです」


 レミリア様はそう言って、僕の手を取ります。


「エル、お願いです。私の命と、父の野望を砕くこの帳簿の代わりに、ギルモアの者たちの助命を。あなたからも、エテルナ様に進言していただきたいのです」


 僕は、心を決めて答えました。


「もちろんです。エテルナ様のためにも」


 馬車は、魔王城への道をひた走ります。




 馬車が魔王城に到着したのは、正午少し前のことでした。

 僕たちが議場に向かうと、すでに会議は紛叫しており、閣僚たちの怒号が飛び交っています。


「今戦うのは無謀だ! ここはギルモア伯と交渉し、時間を稼ぐべきだ」


「ギルモアの新国家を認めろというのか! それこそ完全な敗北ではないか! 東部諸島を押さえられるのは、制海権を失うに等しい。帝国の艦隊を防ぐ手立ても失われるぞ!」


「だからこそギルモア伯が帝国に降るのを防がねばならんのだろうが!」


 その騒ぎを静めたのは、レミリア様の一声でした。


「魔王様、レミリア・ギルモア、まかしました」


 議場に入ったレミリア様は、気丈にも背筋をまっすぐに伸ばし、悪びれることなく、自分の義務を果たそうとしているように見えました。


 エテルナ様が、その心労をねぎらいます。


「レミリア、あなたのつらい立場は察するに余りある。しかしまずは国家の危機を救うために、あなたにも協力いただきたい」


 レミ姉は深く首を垂れ、謝罪の言葉を述べました。


「父の大罪は許しをうべきものではなく、わが身もまた死を以てむくいを受ける覚悟であります。願わくは、国の窮地を脱する力の一助となることで、わずかにでも家名の汚辱をそそがせていただきたく、伏してお願い申し上げます」


 この言葉を受け、エテルナ様は閣僚たちに告げます。


「聞いた通りだ。ギルモア伯の急所、レミリア嬢は我が方についた。魔王府の決断は変わらない。あくまでギルモア伯の新国家建設は認めず、投降をうながす。各位は不測の事態に備えよ」


 こうして、エテルナ様は閣僚を解散させました。


「レミリア、すまない。あなたの身柄は、魔王府が預からせていただく。決してあなたをはずかしめることはしないと誓おう。承諾してほしい」


 エテルナ様の言葉に、レミリア様は従容しょうようとして答えます。


「わたくしの身はすでに国家に捧げております。いかようなりともお使いください」


 エテルナ様はうなずき、担当官を呼んで、レミリア様を貴賓塔へと案内させます。


 僕はエテルナ様に続いて魔王執務室へと移り、二人だけになると、エテルナ様に問いました。


「エテルナ様、レミリア様のこと、いかがなさるお考えですか?」


 エテルナ様はうつむき、頭を抱えながら答えます。


「私がレミリアを殺せると思うか?」


「いいえ。しかし彼女を放免すれば、帝国との内通者を処断するのは難しくなるでしょう」


 僕がそう答えると、エテルナ様は立ち上がり、窓から外を見ながら言いました。


「そうだ。伯父上が亡くなられた今、帝国との関係は予断を許さない。下手をすれば、戦うことすらできずに、政敵に国を乗っ取られる危険すらある」


 それから、エテルナ様は自分に向かって語りかけるように、言葉を続けます。


「思えば、ギルモア伯が先走って新国家建設を言い出したのは僥倖ぎょうこうだった。明らかな国家に対する反逆。これをにすれば、帝国との内通者から、私に対する潜在的な敵対者まで排除できる。信頼できる者、私の意をんでくれる者で閣僚を固め、魔王を中心とした強力な中央集権体制を復活させるのだ。クリオにも今まで以上に活躍の場が与えられる。これまでできなかったような政策も……」


「エテルナ様!」


 危ういものを感じて、僕は、大声でエテルナ様のお名前を呼びました。

 エテルナ様は、びくりと体を震わせると、突然正気に戻ったように、不安げな目で僕を見ます。


「エル……私は何を言っていた?」


「エテルナ様、ご自分を見失われてはなりません。本当に信頼できる者というのは、あなたが魔王だから従っている者ではなく、あなたがあなただからこそ従う者です」


 ああ、いまこの時、エテルナ様の心労はいかばかりでしょうか。最大の庇護者であり父に代わる存在ともいうべきバルトルディ候を失い、その死を悲しむ間もなく、彼女は政治的な窮地に立たされています。そんな中で、自らの持つ権力に溺れずにいるために、どんな言葉が彼女の助けになるのでしょうか。


「エル、私は怖い。私は、もしかすると、レミリアを……」


 僕はひざまずき、シンダール公、僕の実の母である人から受け取った、美しい指輪をエテルナ様に捧げました。


「僕はどんなことになっても、あなたに忠誠を誓います。信じる道をお進みください。エテルナ様にこれをお預けいたします」


 短い呪文を唱えると、宝石に、次々と文字が浮かび上がります。


「こっ、これは……帝国側の内通者のリストか! シンダール公はこれをお前に託したのか!」


 驚愕するエテルナ様に、僕は言いました。


「はい。さすがはわずか数年でエルフの大盟主にまで上り詰めた女傑です」


「いつ気づいた?」


「べセスダに走る馬の上で」


 エテルナ様は、しばし目を閉じ、数秒間考えると、決断を下すように言いました。


「エル、非公式ではあるが、お前にバルトルディ候の襲名を許す。その肩書を使って、ここに名前のある主立った者たちと、秘密裏に接触しろ」




 拝命して執務室を出ると、僕は入院しているクリオを見舞いました。

 クリオは、僕の顔を見て、僕を気遣ってくれたのでしょうか。多くは聞かず、中央銀行の業務に関する指示と、とりとめもない会話だけで、僕を解放してくれました。


 それから僕はすぐに、地下の大納骨堂に入ります。

 大納骨堂の長い階段を下りながら、いつの間にか、この国でクリオの占める位置がとても大きくなっていることに気づき、僕は、一刻も早い彼女の復帰を願うのでした。




 この切迫した状況にあっても、国は動き、日は足早に過ぎ去っていきます。

 一両日が経ち、魔物の国は運命の日を迎えました。


「さて、約束の日だ。魔王エテルナ、我が国の独立を認める用意はできたかね?」


 僕たちは再び議場に集まり、旗艦ミョルニルに立つギルモア伯と対峙したのでした。


「残念だが、ギルモア伯、あなたの国を認めることはできんな」


 エテルナ様の答えに、ギルモア伯は一瞬、まゆひそめましたが、すぐに余裕の表情を取り戻すと、こう言いました。


「諸君、私は魔王エテルナがこう言うだろうと、なかば予想していたよ。しかしよく考えてもみたまえ。強がりを言ってみたところで、君たちはいま、ほとんど海軍戦力をもっていない。大半の艦船は私の手にある。私の独立をはばむ実力を、君たちは持っていないのだよ。多少手間はかかるが、東部諸島を支配するのも時間の問題だ。せめて帝国と手を組まれないよう、私の機嫌を取っておくのが、得というものではないかね?」


 議場にざわめきが起こりました。

 レミリア様が進み出て、一喝します。


「皆様、このような茶番につき合う必要はございません!」


 男にも勝る大音声で、思わぬ人から放たれたその言葉に、議場は一転、静まり返りました。


「お父様。あなたの国は成立いたしません。王権を持つ者は力のみでなく、大義をも要求されるのです」


 その言葉に、ギルモア伯は少し怯んだ様子で問いかけます。


「レミリアよ、何を言っている。大義は私にあるのだ」


 レミ姉は首を振り、はっきりと言いました。


「あなたが過去十数年間にわたって政治資金の援助を帝国宰相リューベックから受けていたという確かな証拠が、私の手元にございます。このことを知ってあなたを王と戴く民は、この国におりませんわ」


 再び議場が騒然となります。


「ばかな……レミリア、なぜお前は……」


「思えばバルトルディ候はご立派でした。同じことができるお立場であったにも関わらず、ひたすら身を清くたもたれ、国民のためにその命を投げうたれた。お父様、残念ですが、あなたは王の器ではなく、宰相の器でもなかったのです」


 ギルモア伯は、眉間に深い皺を寄せながら、それでも平静を装ってこう言いました。


「ならば、ならば仕方あるまい……私は艦隊ごと帝国に亡命する。海軍をもたない貴様らは、帝国の艦隊に踏みつぶされるだろう。それでいいのか!?」


 伯のその言葉には、僕が応じました。


「それはできません。ギルモア伯、帝国は決してあなたの亡命を受け容れないでしょう。これを見てください。ここに名のある方々のうち、主立った方々はすでに、この情報を公開しないことと引き換えに、内密ながらあなたの亡命を拒否することを了承してくれました」


 そう言って、シンダール公の指輪に文字を浮かべ、ギルモア伯に見えるよう、僕は指輪を差し出します。


「……あの女……っ!」


 ギルモア伯の表情が、ぐにゃりと歪みました。


 その時、轟音が響きます。

 映像の向こう側での音のようです。


「何事だ!」


 ギルモア伯が叫びます。

 海軍の兵士たちの悲鳴に近い声が聞こえました。


「てっ、敵襲! 敵襲ゥー!」


「超長距離からの砲撃! か、艦が次々と轟沈していきます!」


 直後、爆発音とともに映像が大きく揺れます。


「なんだと……なぜ帝国の艦隊がここにいる!」


 ギルモア伯が、狼狽の声を上げます。


「船首部に被弾! 保ちません!」


「退避! 退避!」


 逃げ惑う兵士たちの中で、一人ギルモア伯は、茫然と海を見ています。


「お父様! 逃げて!」


 レミリア様が、映像に向かって叫びます。


 ギルモア伯は、こちらに向かって、苦笑いのように見える不器用な微笑みを浮かべて言いました。


「レミリア、私はお前に……」


 ギルモア伯が言葉を終えるより先に、艦橋は爆炎に包まれ、間もなく映像が途切れました。

 真っ黒になった映写幕の前で、レミリア様が泣き崩れます。


「お父様……わたくしがもう少しだけでも、あなたを愛することができていれば、こんなことにはならなかったのかもしれませんでしたのに……」




 恐ろしいことになりました。

 まさか、クーデターからわずか3日で帝国海軍が侵攻して来るとは、誰も予想すらしなかったのです。


 議場の人々が事態の変転についていけず、茫然と立ち尽くす中、エテルナ様が諜報担当官を叱咤します。


「何をやっている、早く偵察映像を回せ! 敵艦を確認しろ!」


 ややあって、議場の扉が大きな音を立てて開きました。

 車いすに乗ったクリオが、シメオンとベベに付き添われ、駆け込んできたのです。


「レミリア様、申し訳ございません。私が早まったばかりに、ギルモア伯は……」


 レミリア様は、クリオを抱きしめて言います。


「謝らないで、クリオ。あなたも命を失うところだったのだ。せめてあなたが生きていてくれてよかった」


 再び魔術映像が復帰し、ネグロス島近海の映像が映し出されます。

 その惨状を見て、議場の中央でゴリテア候がうなりました。


「なんということだ、海軍の主力艦隊が完全に壊滅しておるではないか……!」


 海上には燃え上がり沈みゆく船が満ち、さながら地獄のような様相をていしていました。


 エテルナ様が顔をしかめながら言います。


「やはりギルモア伯はまだ完全に艦隊を掌握できてはいなかったのだろう。まともな反撃すらできていないようだ。しかし、この攻撃はリューベックが命じたとしても早すぎる」


 飛行する偵察用の使い魔が、沖に近づいていきます。

 立ち込める煙の中から、ゆっくりと、巨大な艦船の姿が浮かび上がります。


「これが、船か!? なんと巨大な……」


 エテルナ様が驚愕の声を上げます。


 映し出されたのは、あまりにも巨大な、完成された蒸気機関を備えた軍艦だったのです。


 ゴリテア候が、船の旗を指して言います。


「あの旗印は、帝国海軍第二艦隊、提督は“鉄の心のルキア”であろう。現在この時点において、間違いなく最強、最悪の敵だ」


 そして、ゆっくりとその船の全体像が映し出されます。


 屹立する3本の煙突。

 前後に二門ずつ備えられた、巨大な砲台。

 そして、鋼鉄でできたその船体には、見たこともない文字が描かれています。


「あれは何だ? なんと書いてあるんだ」


 ゴリテア候の問いに、クリオが答えます。


天地不仁以萬物爲芻狗天地は仁ならず、以て萬物を芻狗と為す……自然の摂理というのは優しさや慈愛といったものをもたず、すべての物を等しくわらでできた犬のおもちゃのように無惨に扱うという、古代の箴言です。あれは、私のもといた世界の文字です」


 鋼鉄の船が、ゆっくりと動き出します。

 映像を睨みながら、エテルナ様が言いました。


「見ろ、進路を西に取ったぞ」


 それは、恐るべきことを意味しています。


「次の狙いは、ここ、魔王城だ」


 議場に、戦慄が走りました。

 今、魔物の国は、建国以来最大の危機に直面しているのでした。

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