第5章 人間、国家、戦争
第21話 オークをマイクロファイナンス
さて僕たちが休暇から戻ると、早速、魔王府の統計調査が上がってきました。
「雇用統計は、まずまずといったところですね。除隊した兵士たちの再就職が本格的に始まっても、なんとか雇用は耐えられるでしょう。しかし……」
クリオの表情が曇ります。
「物価は思ったより上がっていません。コアコアCPIで見ても、インフレ率は前年同月比+1%以下。名目賃金も、期待していたより伸びが悪い」
それでも、クリオは追加緩和という手段に踏み切れずにいました。
彼女の悩みはわかっています。
もしこのまま追加の金融緩和を行い、財政での刺激を与えるにしても、それが有効に機能するためには、何かが足りないのです。
北部戦線への魔力路敷設は、一時的に活況を示しましたが、北部戦線の解体とともに、当初の勢いは落ち着き、その目的も軍事輸送路から通商路へと変化しています。今や熱狂する投資案件ではなく、安定したインフラ整備の政策となっているのです。
これ自体は決してまずいことではないのですが、魔物の国の経済全体を見渡すと、金融緩和によって生み出された資金のめぼしい投資先、いわゆる「水の流れる先」がないのが現状です。
クリオが頭を抱えていると、ベベがなんだか微妙な表情で総裁室に入ってきました。
「あのぉ~、クリオさん、実はちょっと相談がありまして」
「なんですか? ベベ。なんでも言ってください」
クリオは眉間に寄っていた縦ジワを消して、ベベに言います。
言われてベベは、恥ずかしそうにいくつかの手紙を差し出しました。
「僕、コクマ村のかあちゃんに手紙を出してるんです。月に一度、仕事のこととか、皆さんのこととかを報告していました。その中で、レミリア様のことを書いたら、地元のみんなが勝手に盛り上がっちゃったみたいで……」
ベベが差し出した手紙は、コクマ村の女性たちが書いたもののようで、そこにはなんと、食料品の生産から物流、販売までを一貫して行う事業計画が記されていたのです。
「こういう事業をやりたいから、ギルモア銀行のレミリア様を紹介してほしいって言われてまして……もちろんダメですよね、こんな……」
「ベベ」
さっそく手紙を仕舞おうとするベベを、クリオが真剣な表情で止めます。
「ごっ、ごめんなさい、僕……!」
「ベベ、これは天啓かもしれません。この人たちをベセスダに呼んでください。費用は私がもちます」
思わぬ成り行きに、僕とべべは顔を見合わせました。
ともあれ、僕たちのやることは決まっています。
「ベベ、農商務省に問い合わせて、コクマ村の村長に魔力回線をつないでもらおう。すぐに出発の準備をするように伝えるんだ。僕はレミリア様の予定を押さえて、船を取ろう」
「わかりました!」
そうして僕たちは、ギルモア銀行頭取と、コクマ村の主婦たちという、異例の会合を設定することとなったのです。
そうして、会合当日。
「ううーん、アイデアはよいと思うのだけれど、この経営計画では、破綻が目に見えていますわ。少額すぎるということを別にしても、これでは銀行が出資するのは難しいと言わざるをえないのだけれど」
コクマ村から来た主婦たちの期待は、レミ姉のその一言で無残にも打ち砕かれてしまいました。
「そ、そんな悲しい顔をしないでくださいな! そもそもクリオ、あなたが一度目を通したなら、こんなずさんな経営計画は出てこないはずでしてよ。わざわざコクマ村からこの方たちを呼び寄せて、どういうつもりですの?」
レミ姉はオークの主婦たちのすがるようなまなざしにたじろぎながら、クリオに問いかけます。
「レミリア様、申し訳ありません。しかし、私が手を入れていない、この方たちが書いたそのままの計画を見ていただく必要があったのです。私もこの企画書を読んで、レミリア様とまったく同じ感想を持ちました」
クリオは、真剣な表情で言います。
「であれば、なぜ?」
レミ姉は、怪訝な表情で、再び問いました。
「レミリア様も、アイデアはよいとおっしゃいましたね。北部魔力路の建設が進み、アルサム地方からの農産物輸送は、近い将来格段にコストが下がるでしょう。今ここには、商機があり、商材があり、それに乗ろうとする人々の情熱があります。足りないものは何でしょう?」
クリオがそう答えると、レミ姉は、何かに気づいたように、はっとした表情になります。
「お金と、知恵ですわ」
「ええ、私たちは、それがどこにあるかも知っています。あとはそれを提供するだけで、“水の流れる先”ができると思うのです」
レミ姉は少し考えてから、考えを整理するようにつぶやきます。
「商機は魔力路の敷設だけではない……オルシュテインの占領に伴い北の海と南の海との交易路が開けたこと、南部のドワーフたちが帝国の動力技術を吸収したことによる新たな市場の可能性……その中で、生まれてくるアイデアは無数にあるはずですわ」
「ええ。しかし、そのアイデアを生む人々の多くは、資本にアクセスできる環境にないのです」
それから、しばらくの間、沈黙がありました。
レミ姉は、深く思考に沈み込むように目を閉じ、黙っています。
クリオも、それ以上何かを言って決断を促すようなことはしませんでした。
やがて、レミ姉はゆっくりと目を開くと、コクマ村から来た人々の顔をじっくりと見て、それからにこやかな笑顔で言いました。
「コクマ村の皆様、先ほどわたくし、間違ったことを申しました。この起業計画は、ある程度の助言と財務統制があれば、十分に採算が見込める計画だと思います。いくつかの条件と準備が必要になりますので、今すぐにとは言えませんが、近日中に、ギルモア銀行として改めて投資をオファーさせていただくことになるでしょう」
コクマ村の面々が喜びに沸き返る中、レミ姉はいつになく真剣な表情で言いました。
「クリオ、この後少しお時間よろしいかしら? お話ししたいことがあります。あなたと二人だけで」
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