第20話 美しい武器、醜い発明品

 魔王家の所有する、ガゼッタのプライベートビーチ。

 目の前には、輝くコバルトブルーの海。

 穏やかな日差しと、緩やかな波の音が、時の歩みを止めてしまったかのような、不思議な気持ちにさせてくれます。


 そして、浜辺では二人の水着の美女、クリオール・クリオール中央銀行総裁と、魔王エテルナ様が、ビーチチェアに寝そべっています……が、二人はここ3時間ほど、まるで動く気配を見せません。


「エテルナ様……海ですよ。泳がないんですか?」


 僕がそう問いかけると、エテルナ様は微動だにせず、こう答えます。


「いいか、エル。今は休暇だ。休むべきときだ。海で泳ぐのもいいだろう。浜辺で遊ぶのもいい。だが、本当にこの瞬間、私たちがすべきことはなんだ? 本当に休みの日にしかできないことは?」


 僕は隣に立つベベと顔を見合わせて、答えます。


「わかりません」


「エル、お前はまったく無粋な男だな。休みの日にするべきことなんて、決まっているだろう? 昼間から酒を飲んで、好きなだけ寝るんだ」


 すかさずクリオが同調します。


「さすがです、エテルナ様。クリオもそう思います」


 普段、激務に追われる彼女たちですから、休みの日くらいダラダラしたいというのはわからないでもないのですが……


「エル、わかったらバーに行ってカクテルのおかわりをもらってくるんだ」


 エテルナ様とクリオの空になったグラスを持って、僕とベベはバーのカウンターに向かいます。

 歩きながら、ベベが僕に聞きます。


「ねえ、エルさん。シメオンさんはどうして来なかったんですか?」


「苦手なんだってさ。暑いの」


「へえ~、あの人にも苦手なものがあるんですねえ」


 ベベにはそう言いましたが、シメオンは僕とクリオに、誰にも言うなと断った上で、「魔王城で調べることがある」と言って今回の同行を見送ったのでした。


「エル、クリオ。これは身の危険を感じて黙っていたことだが、あんたたちには伝えておこうと思う。ユンカーマンで帝国の将軍を狙撃したとき、俺は奇妙なものを見た。将軍の本隊に先行している部隊が、突然進路を変え、見当違いの方向の森の中に消えていったのだ。その部隊がもし真っ直ぐ先に進んでいたら、俺は将軍を狙撃したポイントに入ることができなかった。あれは単なる命令の誤認なのか、裏切りなのか、それとも別の何かなのか……無謀に見えた帝国軍の動きは、本来もっと現実的な作戦行動になるはずだったのではないか? 北部戦線の劇的な勝利は、もしかすると仕組まれたものだったのではないか? 俺にとってはどうでもいいことだったが、あんたたちの命を狙う連中のことと考え合わせると、どうも俺には、でかい秘密がありそうに思える。それも、この魔王城に」


 シメオンはそう言って、城に残ったのです。


 僕には、シメオンの言葉がどれだけ真実を捉えているのかわかりません。しかし、これまでに僕たちが遭遇した何度かの危機には、たしかに不可解なことがいくつもあるのです。


 とはいえ、今は休暇。そうした不安は一時忘れて、僕たちは果てしなく広がる青い空と海を眺めながら、何をするでもなく、緩やかな時間を過ごしたのです。


 たとえ僕たちがなにもしなくても、波は規則正しく浜辺に打ち寄せながら満ち引きを繰り返し、太陽は真西へと降っていきます。この健やかな無為……海が太陽を溶かし、夜のとばりがゆっくりと降りてくる中で、僕たちは本当に久しぶりに、時間を気にせず、夕餉ゆうげを、そして宵の団欒を楽しみました。




 翌朝、僕たちは一路、ガゼッタの工廠へ向かいました。

 ガゼッタ半島には多くの鍾乳洞が存在し、ドワーフたちは古来よりこれらの洞窟を住居兼工廠として活用しています。


 僕たちが向かったガゼッタ第一工廠も、鍾乳洞を人工的に拡大・整備したものです。地下に広がる大空洞に展開された要塞のような工廠は、見る者を圧倒する威容を誇っています。


 多数のドワーフたちが、すさまじい速さで銃を組み上げていく中を通って、工廠の奥へと進むと、小さな応接室に、年老いた白髪白髭のドワーフがいました。


「おお、エテルナ様。ようこそお出でなされた。貴重なご休暇の最中に、こんなむさ苦しいところへ申し訳ありませぬ。工場長のエンツォでござる」


 老ドワーフの時代がかった歓迎に、エテルナ様が答えます。


「エンツォ、懐かしいな。小さいころ、お父様に連れられてやって来たときのことを思い出すよ」


 エテルナ様の言葉に、エンツォ氏は皺だらけの顔をくしゃくしゃにして笑いました。


「憶えておいでか。あのとき、エテルナ様はエンツォの顔が怖いと言って、泣いてしまわれてな。わしゃグラム公に首を飛ばされやせんかとひやひやしたもんじゃ」


「勘弁してくれ、エンツォ。それより、例の『蒸気機関』が手に入ったというのは本当か?」


 エテルナ様の問いで、エンツォ老に真剣な表情が戻ります。


「うむ、あれは間違いなく、動力機関じゃ。規模は小さいが、完全に作動する」


「それを、見せていただけますか?」


 クリオが、身を乗り出して言いました。


「あんたが異世界から来たって人かね。うむ、あんたの意見も聞いてみたい。案内しよう」


 そう言って、エンツォ老は僕たちを工廠の機密ラインへと案内してくれました。


「ここでは、開発中の試作品や、敵軍から鹵獲した最新兵器など、国家機密指定の品目を扱っておる」


 さまざまな武器や弾薬の並ぶ中、洞窟をさらに奥へ、奥へと進んでいきます。

 十数分は歩いたでしょうか、やがてひと際開けた空洞で、エンツォ老はひとつの奇妙な形の機械を指して言いました。


「これじゃ。あんたらがオルシュテインで見たものよりもだいぶ小さかろうが、こいつは完成品じゃ。動かすこともできる」


 エンツォ氏の言葉に、クリオが進み出て、その機械を見つめます。


「これは……自動車! 蒸気自動車です!」


 クリオは、その機械を見回しながら、言葉を続けます。


「港で蒸気機関を見たときから、予想はしていましたが……すでに自動車まで実用化しているなんて。おそらく、人間の国に現れた異世界人というのは、かなり高度な工学の知識を備えた人物なのだと思います。それにしても……」


 そう語るクリオの声が、わずかに震えています。


「こんな機械をつくってしまうなんて……この人は、この世界の文化や文明を捻じ曲げてしまうことを、少しも恐れていないのでしょうか……」


 クリオの肩を、エテルナ様がそっと抱いて言います。


「クリオ、無理をするな。一人で背負い込むんじゃない」


「エテルナ様……ありがとうございます。でも、私は恐ろしい。これは今、まだ小さな車ですけれど、きっとすぐにも、巨大な戦車が生み出されるでしょう。早く備えなくては、一方的に蹂躙されてしまう……」


 クリオの言葉に、僕たちはみな、黙り込んでしまいました。

 少しの沈黙の後、エンツォ氏が口を開きました。


「のう、お嬢ちゃん。あんたは、この機械の未来に、とんでもない悲劇を見ておるようじゃな。あんたの世界では、事実、そうした悲劇が起こったのかもしれん。しかし、わしはこの機械に、もう少し違う未来を見たよ」


 エンツォ老は、そう言って、一丁の銃を手に取ります。


「見てくれ。先週ロールアウトした新式の銃じゃ。実に美しい。人を殺すことに特化した兵器を、どうしてこうも美しいと感じるのか。わしはこの美しさに魅せられて、自身の半生を、兵器をつくるために費やしてきた」


 言いながら、老人は自動車を手で叩きます。


「それに比べて、こいつの醜さよ。なんとも不合理な形をしておる。ずんぐりとして、まるで老いたドワーフのようじゃ。しかも、高位の魔導士が御者を務める馬車に比べれば、速度も踏破性も、圧倒的に劣っておる。しかし、これこそ、世界を救うのかもしれないと、わしは思うのじゃ」


 クリオが不思議そうに聞き返します。


「世界を、救う?」


「うむ。この世界では、ヴァンパイアやエルフのような強力な魔力をもった種族や、体格と魔力にバランスの取れた人間たちが、大きな力をもっている。魔力の弱いわしらドワーフやオーク、力の弱いホビットなどは、この国が生まれるまで、常に抑圧される側じゃった」


 エンツォ老は、過ぎ去った時代を思い起こすかのように、目を細めて語ります。


「今でもその遺風は残っており、人間の国でも魔物の国でも、強固な貴族制が敷かれておる。しかし、この異世界の発明品は、魔力や体力がすべてを決めるわけではないと教えてくれているのではないか? この“自動車”は、魔力をもたずとも運転できるし、力が弱くとも重い荷物を運ぶことができる。もし、多くの人がこれを手に入れれば、世界は変わるじゃろう。もはや生まれは人の資質を決定づけるものではなくなり、すべての人の命は同じ価値をもつようになるのではないか」


 それは、穏やかだけれども、熱い言葉でした。

 白髭の老人の口から出たとは思えないほど、燃えるような情熱が込められた言葉でした。

 そんなエンツォ老に、クリオは戸惑いながらも、言葉を返しました。


「それは……そうなのかもしれません。たしかに、この世界にこそ、機械は必要なものなのかも……」


「わしも長く兵器をつくってきた者として、お嬢ちゃんの言わんとしていることはわかる。こんな動力機械があれば、当然ここから兵器を生み出そうと考えるじゃろう。しかし、わしらとてここまで国家を、文明を築いてきたのだ。異世界からの訪問者一人の知恵に、むざむざ滅ぼされるものではないよ」


 エンツォ老は、しわだらけの顔で微笑んで言います。


「国の強さとは、技術力で決まるものか? あるいは単に物量で? そんなことはなかろう。国の力とは、もっと雄大なものであるはずだ。国の力とは、多くの人が、それぞれの知恵と力を束ねた結果として生まれるものであるはずだ。そうであるなら、たとえ超絶の技術をもった人間が敵国にいようとも、こちらはその技術を盗むとともに、別の側面で国力を整え、相対すればよいではないか。そうではないかね、お嬢ちゃん」


 そう言いながら、エンツォ老はクリオの肩をぽんと叩きます。


「あんたには、わしにできない仕事ができるんじゃろう。できることで向き合えばよい。そうして、いっしょに見ようじゃないか。戦いに敗れるほうの未来ではなく、救われるほうの未来をな」


 エテルナ様が、エンツォ老の言葉を引き継いで言います。


「エンツォはよいことを言った。クリオ、人間の国に降り立った異世界の者がどんなに優れていようとも、私たちには十分勝てる要素がある」


「エテルナ様、私には、わかりません。なんでしょうか?」


 不安げなクリオの問いに、エテルナ様が笑顔で答えました。


「私がクリオを信じていることだ」


 その言葉を聞いた瞬間、クリオの目から、涙がどっと溢れました。


「う……エテルナ様……わ、私……」


 まるで、せき止められていた感情が一気にあふれ出るかのように、クリオは声を上げて泣きました。


「うっ……ううっ……あたしっ……み、みんなのことがっ……すっ、好きですっ! だからっ……!」


 泣きじゃくるクリオを、エテルナ様が抱きしめます。


「わかってる。私たちもみんな、クリオのことが好きだ。だから、安心してくれ」


 クリオの涙は、彼女だけでなく、僕たちの心の中にあった不安や恐れを、流し浄めていくかのように、とめどなく溢れていきます。

 僕には、これから起こるであろう大きな歴史のうねりを、見通すことはできません。しかし今日、ここにいる誰もが、たとえ抗い難い運命の中にあっても悔いなく生きようと、そう感じたのです。


 こうして、僕たちは心の休暇という大いなる目的を果たすことができたのでした。

 これから訪れるであろう大きな困難を予感しながらも、僕たちは魔王城に戻ります。やがて来る試練のときのために、自分たちにできる精一杯のことを成すために。

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